紫陽花の恋 | ナノ


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「普通に客だと思ってスルーしてたんだけど、どっかで見たことあるなってずっと考えててさ、式の時に折原の顔見て思い出した」

「なんだそれ」

「不思議なことに。でもあれ以来見かけてないし、スタッフじゃなかったのかもな〜普通に白シャツだったし…」

じゃあ、紺野は結婚したんだろうか。
あの冴えない顔で…いや、綺麗な顔だった。小さな顔面に綺麗に配置された目が、特に。
そうか、紺野は幸せになったんだ…

急速に加速していた鼓動が、ゆっくり鎮まっていく。大恋愛と大失恋を経験しても、ちゃんと、前に進める。そうか、それでいい。
紺野が経験した失恋の辛さを俺が知ることはできないし、測ることも出来ない。それでも仮に、今目の前で幸せボケしている吉村のことが好きだったなら、立ち直れないくらいには辛いのかもしれない。出来るのはそんな想像だけだ。

「俺全然話したこともなったのにすごくない?覚えてたとか」

「すごいすごい」

「相変わらず俺のこと馬鹿にしてるよな」

「馬鹿じゃん」

「うるせーよ!」

「それで一家の大黒柱とか不安だわ」

「それ嫁にも毎日言われてるからやめて」

「言われてんの」

終始のろけていた吉村にも、傷ついていつも悲しそうにしていた紺野が結婚したかもしれないことにも、俺は素直に“嬉しい”と思った。でも、紺野を前にしたら俺は少しも喜んだりしないのかもしれない。紺野は大人になるとちゃんとそう振る舞えるようになると言っていたけれど…俺は彼の言った通り、フリ、をするのかもしれない。

吉村と別れたのは十時前で、こんなに早く飲みの席が終わることなんて滅多にないなとタクシーに乗り込みながら思った。紺野の傘を傍らに置いて。

飲み屋街から一本通りを出ると若者で賑わう通りだ。夜でも眩しいくらいに光で明るい道をタクシーは緩やかに抜ける。何とはなしに眺めていた道沿いのクラブやライブハウスの中、少し雰囲気の違う看板が見えた。ちょうど、その正面に差し掛かった時、店の看板は光を失って中から店員らしき人が出てきた。

雨が降っているのに悠長にシャッターを下ろそうとしている。雨で滲む光が曖昧にその足元を照らしているけれど、俺の目にはその白いシャツがとても浮いて見えた。
気付いたときには慌ててタクシーを止めていてた。そのまま冷たい雨に打たれながらその人に向かって短い距離を走った。

胸が、さっきよりも激しく動き始めている。






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