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紺野は淡々と言葉を紡いだけれど、まるで独白だった。俺に話していると言うよりは独り言のような…時折俺に気付いて疑問符をつけるような。
「まあでも、もしより戻したいって言われても戻らない方がいいとは思うよ」
「はは、そりゃ…」
「その時は俺が怒ってあげる」
「ありがとう」
しっとりと濡れたまつ毛を伏せながら、紺野は今度こそ眼鏡を取り返してそれをかけた。
「前から思ってたけど、その眼鏡、紺野の趣味じゃないよね」
「……」
「あの人が選んだ、とか?」
「正解。自分でこんなにオシャレな眼鏡選ばないよ」
「だよね」
「失礼だな〜」
でもこれは未練とかじゃないと小さく笑って、「雨、ちょっと小降りになったね」と呟いた。
俺はカーテンの隙間から窓の向こうを覗いてそれを確かめた。スマホは鞄に押し込んだままで、もしかしたら吉村から連絡が来ているかもしれないなと思った。さっきの女の子の連絡先は知らないけれど、知っていたら絶対怒ったメッセージが届いていただろう。
「折原は、これからそうやって誰かを好きになった時、他に大切な人が出来た時、迷わず自分を優先するんだよ」
「そこは相手を思いやるんじゃないの」
「思いやられても傷つくから。だったら自分だけでも傷つかないでいてほしい」
「……それはそれでひん曲がってんね」
「大人になると上手に立ち回ろうとして、こうやってずっと立ち直れなくなるから。駅までの道分かる?」
「…うん」
「明日、学校来なよ」
「紺野こそ」
「今日はちゃんと前から学校に言ってあった休みだから」
「そう…あ、保健室の前の花壇の花さ、雨に打たれて落ち込んでた」
「落ち込んでた?」
「こうなってた」
立ち上がって、鞄を持って、頭を下げて“こんな感じ”とジェスチャーした俺に吹き出した彼は、少し目が赤かったけれどちゃんと笑ってくれた。
部屋を出る直前、俺は紺野の髪に触れた。
湿気に負けた柔らかい髪は俺の指をすり抜けてくるりと弾んだ。
髪に惑わされていたけれど、案外顔は小さい。顎は細く、肉のない頬の幅も狭い。厚い前髪に隠された額は大人の男にしては丸く、さらけ出すと少し幼く見えた。「なにするの」とすぐに手は払われてしまったけれど、そのまま壁に追いやって顔を寄せると少し緊張したように目を大きくした。
「今度、また遊びに来てもいい?」
「……時と場合による、かな」
俺が触ってしまった眼鏡には僅かに指紋が残っていて、思わず笑ってしまった。横に撫でつけて露わになっているおでこに素早くキスをして離れると紺野もつられたように笑った。
「慰めてくれてありがとう。でも、一回りも下の、しかも男の子にされるのは複雑」
「俺のこういうとこ、羨ましいんでしょ」
「人慣れしてるところは羨ましい。でもチャラ付いた人間性はちょっとなあ…」
「あはは、ひっでーの」
俺はそのまま、じゃあまた明日と紺野の部屋を出てもう一度同じ傘を借りて駅に向かった。
明日は晴れそうだ。
まだ雨は降っていて、けれど何となく、そんな気がした。
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