09
うねった前髪の隙間から覗いた紺野の目は、アイラインを引いたような濃い睫毛に囲まれていた。
「紺野さ、あっさり大失恋って話したけど、まだ引きずってんの」
「……」
「俺考えたんだけど、自分だったら許せないしましてや結婚式なんて出れないよ。紺野はさ─」
「大人になると、そういうことが出来るようになるんだよ。好きな人の幸せを、願わないといけないって思うようになるんだ。それが正しいことだから。例え思えなくても、思っているように振る舞えるようになる」
それは、つまり、紺野はまだ引きずっていて、写真の中の彼のことも祝福していない、ということではないか。眼鏡がなくても、ちゃんと俺の表情は見えるらしい紺野の目はこちらを見ない。
「どれくらい付き合ってたの」
「どれくらい…どれくらいかな、十年くらいかな」
「じゅ…はあ、まじかよ」
「ほら、もうこの話はおしまい。車あるし、家まで送るよ」
「途中じゃん」
俺の手から眼鏡を奪おうとした紺野の手から逃れ、飲みかけだった麦茶を喉に流し込む。
しっかり冷やされたそれに頭がキンとしたけれどそのままグラスをテーブルに戻して体を紺野へと向け直す。
「いいじゃん、俺誰にも言わないよ。今橋先生が戻ってきたら、もう紺野だって“先生”じゃなくなるわけだし、よくない?」
「よくない」
「……じゃあ、俺、紺野に興味あるから聞かせて。は?」
「チャラいし軽い」
「今橋先生が戻ってきて、紺野が居なくなっても、紺野と会いたいと思ってるよ」
「折原」
「寂しいじゃん、せっかく仲良くなれたのに」
「……」
「紺野が話して余計に嫌な気分になるって言うならこれ以上は聞かないけど。でも、せめてもうちょっと雨弱くなるまで雨宿りさせて。ちゃんと電車で帰るから」
そうか、“寂しい”のか。
紺野と会えなくなったら。
じゃああれは、一目惚れだったんだろうか。
今こうやって改めて見ても、紺野は全然綺麗、というタイプではない。勘違いだったとさえ思えるくらいに普通だ。
それでも、乾いた唇を舐めた赤い舌から目が離せなくなった。
「…なら、雨宿りの間だけ、大失恋の話でもしようかな」
「うん」
それから紺野は一瞬躊躇って、静かに口を開いた。
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