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冬が好きだった。

ピン、と張り詰めて透き通った空気が他のどんなものよりも綺麗で、明け方の、静寂に包まれた中で吐く息の白さも、特別に好きだった。寒さに凍えながら夜空を見上げて、冬の星座を数えた日はもう遠く、それでも僕は鮮明に覚えている。
濃紺に紫を混ぜた空が、下から沸き上がるオレンジ色の光に溶かされ、じわりじわりと明るんでいくのを見ると、今でも泣きそうになる。星が見えなくなる瞬間、青空になる瞬間、自分がその一部になれたら良いのにと、心から思っていた。
太陽が昇ると雪に包まれていた世界はキラキラと輝きだし、冬の一日が始まる。

凍てついた道路脇には除雪車が押し退けた雪の縁石が出来る。虫や鳥の鳴き声も、人の声も、物音もない。早朝に通りすぎた除雪車のゴゴゴ、という低い音を聞いたきりだ。動物たちの小さなやりとりは雪に吸収されて耳に届かないのかもしれない。
やまない雪は容赦なく除雪した道路に降り積もり、もう既に足元には雪の絨毯が出来ていた。

長靴を履いてくるべきだった。

「霜焼けになるぞ」と、そう言って笑ってくれる彼は、もう隣にはいないのに。

これだけ寒いと剥き出しの目元が痛いし、鼻で深呼吸をすれば鼻の奥が痛い。ここの冬は本当に寒いのだ。バナナで釘が打てるし濡れたタオルを振り回せば凶器にもなる。もう何年もここにいるのに、冬が来る度「今年は一段と寒いな」と、浅はかなことを思う。

目的の場所で足を止め、手袋を外して鞄から一眼レフを取り出す。冷えた指先が、それでもカメラを持つと熱を帯びてじん、と感覚を捉えた。同じ鞄の中に押し込んでいた携帯がチカチカと光っていて、ホームボタンを押すと「年度末忙しいので…」というメッセージ。昨夜、同窓会のお知らせが来た。高校を卒業して十年、今時は葉書ではなくスマホでそういうものがくるのらしい。
まだ返事はしていない。一月半ば、予定は三月だ。もう少し考えてから返事をしよう。

この十年でたくさんの事が変わったけれど、季節が巡って冬になると、雪に全てを埋められてしまう。そのまま春になる頃全てを溶かされて、ああ、また、あの人は帰ってこなかったと、僕は絶望する。

『カシャ』

早朝の寒さは、今日が晴れであると教えてくれているのに、少しも暖かさを感じない。吐く息で視界が曇り、目の前の田舎の景色が霞む。遠く、どこまでも見渡せそうなほど空気は澄みきっている。鞄の中で携帯がまたチカリと光る。「司の連絡先知ってる人いたら、グループに招待して欲しいです」と。こんなに朝早くから起きている人が居ることに少し驚きつつ、そのまま鞄をしめてファインダーを覗く。

「司…」

高校時代、カメラを教えてくれた友人の名前だ。卒業式を前に家の事情で引っ越してしまい、それきりの。卒業したことにはなっていたものの、誰もその後の消息を知らない。携帯も繋がらず、唯一、僕だけが姿を消したその日に司と言葉を交わしていた。
今くらいだ、一月の終わり、酷く冷え込んだ早朝。司と二人で明け方の星を見て、シャッターを切って、朝を迎えた。司は、どちらかと言えば口数の少ないクラスメイトで、けれどカメラのことになるとよく喋ってくれた。そんな司が好きで、今もこれを手放せないでいる。

記憶の中の最後の司は、寒さに鼻を赤くして「もっと一緒に写真撮りたかったな」と、眉を下げて笑っている。それじゃあまた学校でと、別れたあの日、司は学校には来なかった。司の家はもぬけの殻で、司がそこにいた痕跡は何もなかった。

それからもう十年、だ。あることないこと噂はたったけれど、卒業してしまえばそれも聞かなくなる。司は本当に存在していたのか、不安になるほどどこにも彼の痕はなくなってしまった。あの日、せめて好きだと言っていればよかった。僕はこの恋を終わらせられないまま大人になって、ここで立ち止まっている。

「、あ…」

十年前、司が見たいと言った景色を、僕は今でも一人で眺めている。大気中の水蒸気が凍り小さな氷の結晶が空を舞う、この幻想的な光景を。朝日がその細氷を照らし、一面にダイヤモンドが輝くような。
慌ててシャッターを切る。
カシャリと目元で音が鳴り、それとほとんど同時に背後でザクザクと雪を踏む音が響いた。静寂に包まれた世界で、それはあまりにも大きく、反射的に肩が揺れた。野性動物かもしれない。まだ活動する時期ではないけれど、人よりも可能性は高い。
ゆっくり、なるべく穏やかに首を回して振り向く。
ザクリ、一歩、こっちにその足音が進む。

「桜!」

「、え…」

ダイヤモンドダストの舞う田舎の平地で、ここで出歩くには軽装すぎる黒いコートを羽織っただけのその人は、僕の名前を叫んで手をあげた。思ったよりもその人影は遠く、目を細めるけれど誰かわからない。いや、嘘だ。忘れられるわけのない、この声は。
もう一度カメラを構えてレンズ越しにその姿を捕らえる。

それは、十年待ち続けた、彼だった。

「司!!」

カメラをその場に落として、雪にとられた足を不格好に前に運んで、飛び付くように駆け寄ると、十年前、ここで別れた時のままの司が僕を思いきり抱き締めた。

「会いたかった」

司は冷えた頬を擦り寄せて、「帰ってきたよ」と、声を震わせた。首にはカメラが引っ掛かっていて、あとから、その中身を見せてもらおうと、僕はその胸で静かに泣いた。


冬が好きだった、 春を待つ冬が。
雪の下で眠る春を、僕は一人、ここで待っていた。





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