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いけない、なんてことは始まる前から分かっていた。

悪い人


冬が始まり、クリスマスだの忘年会だのと名前を付けては催される飲み会にうんざりしていた。

その日もバイトを早くあがらせてもらって足を運んだサークルの飲み会。チェーン店の居酒屋で賑やかなその席へ通される。すでに出来上がっている何人かの下品な話をスルーして「ここ座れるよ」と声を掛けてくれた女の子の横に腰を下ろした。

「なに飲む?」

「あー…コーラ」

「飲まないの?」

「あんまり飲めないんだよね」

「そうなんだ〜」

でも少しくらい飲みなよ、とアルコールのページを開いて差し出されたドリンクメニューに、周りからも飲め飲めと囃し立てられ、「じゃあビールで」と言ってしまう自分にもうんざりする。一体これで何度目だろうかと、それでも出てきたビールに口をつけると少しだけ気分が上がるのは事実で。誰と誰が付き合いだしたとか別かれたとか、なんとか学部のなんとかちゃんって子が恐ろしくお尻が軽いとか、新年会はいつにするとか、そんな話をして一時間半。
すでに気分が悪くなり始めたものの、最初に頼んだビールはまだ三分の一ほどグラスに残っている。お酒を飲むたび、前より少しくらいは飲めるようになっているかも、と期待するのは俺の悪い癖だろう。現に、最初はそんなに飲めなかったはずの友人がい つの間にか大酒豪になっていたりする。

「ごめん、トイレ行ってくる」

そう言って席を外し、ぼんやりと暗いトイレに少しの眩暈を感じながら進んだ。
ああ、気持ち悪い。帰りたい。横になりたい。俺は多分、酒に弱い体なんだと何十回目かの気づきにふわふわする足で用を足す。それから手を洗おうと視線を下げた瞬間酷い吐き気に襲われてその場にしゃがみ込んでしまった。最悪だ、このまま立ち上がったら絶対吐く。

このままここにいようか、とりあえず席まで戻って横になろうかと考え、それでも動かない体に諦めて目を閉じた。

「君、大丈夫?」

そんな声を掛けられたのは、目を閉じてすぐだったように思う。

「……」

「顔色悪いけど」

「…すいません」

声を掛けてきたのはスーツ姿のいかにもなサラリーマンだった。霞む視界でその顔ははっきり認識できず、三十代前半くらいだろうかと曖昧に思いながら立ち上がる。
そこから、どんな流れでそうなったのかよく覚えていないけれど、気づいたら家の前に居た。声を掛けてくれたお兄さんがタクシーに乗せてくれたうえにアパートの階段を俺をおんぶしてのぼってくれたらしい。こんなに酔ったのは初めてだ、と妙に冷静な頭で考えながらいつの間にか着ていた上着のポケットから鍵を引っ張り出す。

「…あ、の、すみません…お金」

「ああ、いいよ、俺の家も近くだし」

「いやでも…」

「俺も早く帰りたかったし。逆にありがとう。だいぶ顔色良くなってるけど、もう平気?」

「はあ…」

大丈夫ではない。
気持ち悪いし寒いしふわふわするし、酔っているのか風邪なのかよく分からないくらいには最悪な気分だ。それでもさっきよりクリアになった視界で確認できたのは街灯に照らされているお兄さんがちょっと男前だったということ。

「あの、お礼に、お茶でも…」

「あはは、大丈夫そうだね。俺が悪い人だったら、このまま泥棒されるよ。ほら、早く入って鍵閉めな」

「……悪い人なんですか?」

「悪い人だと思う?」

到底、悪いことをするようには見えない。
トイレで見た時には着ていなかったジャケットの襟に、俺でも知ってるバッチが見えた。俺が思うに、そこそこお金は持っているだろう。しかもあんな安いお店で飲み、酔っぱらった大学生の男を家まで送るなんて、“悪い人”ではないと思いたい。裏があるのだとしたら…なんだろう。それが逆に怖くて「お茶でも」なんて言ってしまったのかもしれない。

「…じゃあ、マフラー、貸します」

「え?」

「お兄さん、寒そうなんで」

「ああ、ああいうとこにコートとか掛けておくとニオイつくでしょ。あえて会社に置いてきただけだからいいよ」

それでも少々強引に引き止めて自分がしていたマフラーを彼の首に巻きつけた。
その日、俺はシャワーも浴びずに眠った。目が覚めると昨日飲み会の席にいた何人かから電話とメッセージがきていて、俺は昨日あのお兄さんを「親戚」と誤魔化して帰ったらしい。
それにしてもビールを半分ほど飲んだだけであんなに酔うなんて…空きっ腹に飲んだ気はするけれど、それでもこれはやばい。

しばらくお酒は控えよう、と着替えを掴んでバスルームへ向かう。その時ふと玄関が目に入り、郵便受けを覗いた。そこには小さな紙が一枚。名前と会社名の書かれたそれは名刺で、裏に‘マフラー返しに来ます’と手書きされていた。

「悪い人、ね」

法律事務所と書かれたそれに、やっぱりお金には困っていないなとため息が漏れる。あんな安いマフラーを返すなんて言うんだからただのお人好しじゃないかと、それを下駄箱の上に置いてバスルームに入った。

彼がマフラーを返しに来たのは、それから三日後だった。クリーニングにでも出したのかとても綺麗になったそれを、紙袋に入れて。その人は「気分はどう」と言ってやってきた。
受け取ってさようならと言えば終わる関係だったのに。何故か、一回りも歳の離れたその人に、目が眩んだ。恐らく彼の方も。
何となく伸ばした俺の手に、その人が触れたのだ。その時俺はああ、たぶんこれが『ビビビ』というやつだ、と、錯覚した。

それからは早かった。
彼は端から俺とそうなるつもりだったんだ、きっと。じゃなければ飲み屋でつぶれただの大学生に声なんて掛けない。
俺はまんまと泥沼に片足をとられ、けれどもう片方の足を突っ込んだのは自分だ。
あの日、マフラーに対して微妙に抵抗した彼がドアに手をついたとき、カツン、と小さく金属のぶつかる音がしたことに俺はちゃんと気づいていた。

だから、彼が“悪い人”だということにもちゃんと、気づいているはずだった。


それでも僕は
恋に落ちて、






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