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その人は歌っていた。

「明日の夜八時、北町のShallって喫茶店で待ってるから」

その喫茶店の場所は知っていた。でもそこは七時で喫茶店としての営業を終える。八時なんて、お店は開いていないんじゃないのか…

けれど僕はそう反論することも出来ず、ただ渡された紙を受け取っていた。
いや、反論の余地も与えず、その人は僕に背を向けた。喧嘩していたはずなのに会いに来てくれた、そんなふうに喜んだ自分を恥じた。

きっと、ちゃんと話をしたい、ちゃんと別れ話をしたい、そういう意味で呼び出しに来たのだろう。


重い足を引きずって、僕は北町のその喫茶店に向かった。
予想に反して、そこの駐車場には数台の車やバイクが止まっていて、店の窓からは灯りも漏れていた。営業時間が延びたのだろうかと思いながら、チョコレートのようなドアを押す。ここへは一度だけ、母さんとモーニングで来た事があった。だから営業時間なんて知っていたのかもしれない。

ドアを開けてすぐ、人がいた。

「こんばんは」

「あ、こ、こんばんは」

その人は派手な金髪を黒いニット帽に押し込んで、窮屈そうに笑った。

「チケット、ありますか」

女にも男にも見える。けれど、声の低さと差し出された手のゴツさから男の人だろうと思えた。

「チケット…」

「これくらいの、白と黒の紙切れなんだけど」

「あ、ああ…はい」

昨日、受け取ったものだ、と思いついて上着のポケットに手を入れる。雑に押し込んできたそれはちゃんとそこにあったけれど、ぐしゃりと見事に歪んでしまっていた。
それを金髪のお兄さんに渡して、しばらくの沈黙。全然状況は理解出来ないままで、その人は僕にさらに小さな紙を差し出してきた。


「これ、ドリンクの引換券なので、カウンターの人に渡してください」

「ああ、はあ…」

「一組目、そろそろ始めるころだから急ぎなよ」

一組目?始まる?
言われるまま僕は階段を下りた。
階段を下りるドアがあることを、そのとき初めて知った。だって前に来たとき、このドアは閉まっていて、飾りなんだと思ったから。だから、この板チョコみたいなドアの向こうに階段があって、そこを下りて、こんな予想も出来なかった光景があることに、言葉をなくしてしまったのだ。


「えー、こんばんは、Elementです。今聞いていただいたのは…」

階段を下りて、突き当たり。
ガラスのドアの向こうにはたくさんの人の背中があった。その視線の先には、少し高い場所にあるステージ。嫌でも目に入る、彼の顔。

ステージまでの距離はほんの十数メートル。薄暗い室内を照らす、赤とオレンジのライト。スポットライトはステージの上で止まっていて、その顔を鮮やかに浮き出させていた。

ライブ。
そう気づくのに、少し時間がかかった。
原因は二つ。喫茶店の下にライブハウスがあるなんて知らなかったから。もうひとつは、今ステージの上にいる、そこでマイクを持って喋っている見慣れた顔が、バンドを組んでいるなんて知らなかったから。後者の方が、原因の大部分を占めている。


「次は俺たちのオリジナルで、“Lovers”という曲です。えー、これは、俺が…」

あ…

「好きな人に向けて書いた曲で」

目が、あった…

「ただ好きって気持ちを綴っただけの歌詞で」

ステージの上から真っ直ぐに、その目は僕に向けられている。

「その人が聞いてくれるか、正直すごく不安です。でも、今ここにいるから…心込めて歌います。聞いてください」

状況は理解出来ても、思考がついていかない。
僕はここ何日か恋人と喧嘩して、気まずくて…それで昨日会いに来てくれて、チケットを渡されて…あれ、それと今の状況と、何の関係があるの?ああ、今言った“好きな人”のことだろうか。僕は、ふられるのだろうか。

ゆっくりと流れ始めたギターの音。

マイクを握り直した彼は、ひとつ深呼吸をしてから形のいい喉仏を上下させた。


暗い部屋で君は言った
“永遠に結ばれないよ”と
ああ、君の言う通りだね


初めて、歌う姿を、見た。


けれど君は僕を好きだと
確かに言ったんだよ
僕はそれ以上に君が好き


ああ、喧嘩の始まりは僕の一言だったんだ。最近なかなか会える時間がなくて、それを嘆いて…言ってしまった。

「好きな子でもできた?そうだよね、僕ら男同士だもんね、最後は女の子を選ぶよね」

不安だったんだ。


君は今何を思っているかな
もう僕の事は忘れたかな
僕はまだ想っているから


足は勝手に、ステージに向かっていた。


ここから君に愛を誓おう


「アキラ!」

それは誰の声だったんだろう。僕の声?それとも“アキラ”に手を伸ばしたことを怒る、お客さんの声?どちらもかもしれない。でもそう思ったときにはもう、目の前にその人の顔。

熱い唇が、その存在を主張していた。
ああ、見つけたよ。



暗闇の中で
をみつける

(好きだけじゃ伝えきれないから)
(俺の世界はお前が全てだから)






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