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「さ、あと半分」
「……」
「葉月、始まるよ」
「あの、孝成さん」
「ん?」
「……」
「泣かない」
「、泣いてません」
「どうした」
「俺…」
「うん?」
「終わったら、話、聞きます」
「…ほんとだ、まだ、一昨日の続き話してなかったね」
じゃあ、試合が終わったらと、孝成さんは小さく微笑んで横に並んだ俺の背中を強く押した。
あと二十分。タイマーの数字がゆっくりと動き、俺は、ぴたりとマークについた前橋をしっかりと見据えた。ここから孝成さんが居なくなっても、俺はこの男と戦わなければいけないし、ここにくるまでに当たったチームも選手も、数えきれないくらいたくさんいる。ここで負けるわけにはいかないなんて、お互いに思っているし、負けるつもりだってお互いにない。
「目つきが変わった」
「……」
「やっと本気って感じ?」
「勝たないといけないから」
「…なるほど、俺も、負けられないんだ」
ここはまだゴールじゃない。それでも、孝成さんと目指せる場所はここが最後になら…最後に怪我をしても倒れても、ここで負けるなんて出来ない。勝ちたい、その思いは強くなって、均衡した状況が続く中で進む時間を止めたいとさえ思った。勝ちたい、でも、この試合をまだ終えたくない。勝っても負けてもどっちでもいいから、もう少し長くここに居たい。そんな、絶対にかなうことのない願いに形を変えながら、段々と朦朧としていく意識の中で俺は孝成さんの足音を聞いていた。
空いている場所、ゴール下、高見先輩のアシスト、ほとんど、考えてはいなかった。
とくんとくんと、頭の中で心臓の音が止むことなく聞こえ、時間はぴったりぴったり進むのに景色はスローで、手のひらにじんと響く孝成さんのパスだけが妙に現実的だった。時折ぶつかる前橋の腕も自分の腕も汗で濡れていて、不快なはずなのに今は少しも気にならない。
「七番マーク!」
「葉月止めろ!!」
「っ、」
「はづ、」
あ、と後ろに倒れて床に肘をつく。けれど、審判の笛はならない。ファウルじゃない。
あっさりと俺を抜いてパスを出した前橋は清々しい顔で俺の腕を引いて立ち上がらせた。スピードの差だ。体格の差があっても、それを感じさせない速さ、だ。でも、意識を集中させてその動きを見ていれば必ず止められる。視線の揺れや僅かな息遣い、筋肉の動き。毎日毎日孝成さんにチャックされてきたんだ、俺にだってわかるはずだ。
肘を擦りむいたくらい全然痛くもなく、きっと後になって嘆くのだろう。
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