27
コートに入る直前までそれは止まらず、俺は一歩先に出た彼を呼び止めた。
「孝成さん、」
「ん?」
「俺…」
「…はは、すごい音」
「え?」
「心臓」
「あ、」
振り返った孝成さんは、とん、と俺の胸に肩を軽く押し付けて小さく笑った。また、緊張しなくていいと言ってくれるのだろうか。ふとそんなことを思った俺に、孝成さんは「俺も緊張してる」と、俺だけに聞こえるような声で呟いた。
「え…」
「葉月」
「、はい」
「勝つよ」
この人と勝ちたい。
竦みそうになる足をひかれるような感覚だった。ぐん、と胸を張ってコートのラインに立つと、孝成さんが「日本一にするよ」と、俺を見上げて笑った。
そうか、この人は笑うんだろう。最後、あのタイマーがゼロになった時、俺はこの人に笑っていてほしいんだ。
「はい!」
決勝戦、人で埋め尽くされた観客席、熱気のこもった体育館。汗で背中に張り付くユニフォーム、手のテーピング、黒のスリーブ、履き慣らされてつま先の汚れたバッシュ。
ドリブルの音、孝成さんの足音、高見先輩の声、試合が始まると、途端に緊張は解かされてわくわくに変わった。
「迫力が違うな」
「は、?」
「ああ、ごめん、大きいなと、思って」
相手は去年の優勝校だ。
少しの隙でそんなことを呟いたのは、そんなチームの同じ二年。去年もこの場に立っていた、何度も聞いたことのある“前橋”という名前の選手だった。
「そっちのキャプテンの方がでかいよ」
「そう?そっち二人の方が大きいよ、多分」
何てことない、ほんのわずかな会話とも呼べないようなやりとりだ。言葉を交わすのは珍しいことではないものの、試合が始まってすぐ、今まで話したこともない相手に話しかけられるというのはなかなかに困る。何となく居心地の悪さを覚え、「そう」とだけ返してすぐにスローインされたボールへ視線を戻す。
身長は俺より低いものの、その差は大したものではない。しっかり筋肉のついた長い腕が、俺のマークについてきちんと試合の制御をしている。誰よりも早く試合の主導権を握る孝成さんが、僅かに迷ってボールを運び、それから容赦なく俺へとパスを出した。
「っ、」
「葉月戻れ!」
あ、なんて、間抜けな声が小さく唇の隙間から出ていった。孝成さんと自分の間に繋がれたパスがカットされることはほとんどなく、驚いた、のかもしれない。馬鹿げているとは分かっていて、それでも、まさかそんなことが、と。
そのせいで反応が一拍遅れ、ドリブルの音が遠ざかる。あっという間にボールは反対側のゴールへ運ばれ、清々しくゴールネットを鳴らした。
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