23
「勝つよ」
「、はい」
掴んでいた孝成さんの手が、今度は俺をしっかり捕まえ、立ち上がるように促した。それから、孝成さんは俺の胸元に額を押し付け、もう一度「勝つよ」と、今度は自分に言い聞かせるように溢した。
「体、大丈夫ですか」
「もう、出るものもないし、気分も試合中より良くなった。それに葉月が勝つって言ってくれたから、勝たないと」
自分の肩にあったタオルを孝成さんの肩にかけ、抱き締めるのを誤魔化すみたいにタオル越しに肩を撫でた。硬くてしっかりした肩だ。するりと、そこから手首まで撫で下ろして指先を軽く揉むと小さな笑いを孕んだ息が静かな個室に響いた。
「冷えてますね」
「少し。でもすぐに暑くなるから」
「……待ってます、コートで」
「すぐいく」
「でも無理は」
「葉月」
「はい」
「はづき」
「はい…?」
「擦って、背中」
ぐ、と孝成さんの重みが胸にかかった。抱き締める度胸のない自分を情けなく思いながら、片手でゆっくりそこを撫でた。この背中に一体どれだけのものを背負っているのか、俺には到底計り知れない。俺に出来るのは、この人の勝利の為にコートに立つことだけ。
もうキスを求められない、必要とされないならせめて、高見先輩が言ったように花道を飾りたい。
「行けますか」
「ん、行こう」
「はい」
二人で控え室に戻ると、そこは微妙な空気のままで高見先輩が腕を組んで眉を寄せて仁王立ちしていた。その格好のまま「遅い」と、俺の頭軽く叩き、視線で「孝成は」と問うた。それに気づいたのか、孝成さんは俺の背後で一つ咳払いをした。
「俺のせいで空気悪くしてごめん。後半、立て直そう」
「孝成、一分だ」
「時間ないね。じゃあ…」
ぐるりと部員全員に視線を向け、パン、と手を叩くと「勝つよ」と、それだけを口にして孝成さんは入ってきたばかりのドアから出ていった。その背中に迷いはない。
第3クォーター、孝成さんはベンチの隅でストレッチをして足を動かし、俺が三本目を決めたところでゲームに戻ってきた。
勝つよと一言、そのたった一言で空気が変わった。確かに。嫌な流れを断ち切りながら、それでもリードを許すこの状況で、時間は正確に進んでいる。
綺麗に締まった足のラインが、黒いスリーブ越しに強調されている。その足が軽い動きでコートに入った瞬間空気が揺れた。軽いタッチを交わした手は温度を取り戻していて、きゅ、と胸が一瞬苦しくなった。
孝成さんの足元でしっかり結び直したバッシュの紐が揺れる。そこから色が変わっていく、そんな感覚だ。
「葉月」
「はい」
「どう思う」
「え?」
「孝成」
「どうって…」
「挽回できると思うか」
「俺は孝成さんを信頼するしか」
騒がしいはずのコートの中で、高見先輩が小さく問いかけてきた言葉がすっと耳に届いた。けれどすぐに審判の笛に消され、「それでいい」と少し強めに俺の背中を叩いた高見先輩は、見た目の強靭さからは想像も出来ないほど身軽に前に進んだ。俺は孝成さんを信頼して、高見先輩を信じて、自分のやるべき事をするだけだ。
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