13
学校に着くと既に体育館に移動していた一年生が数人いて、その中から深丘が俺を見つけて駆け寄ってきた。
「おはようございます」
「おはよう」
「あの、畑瀬先輩のこと…」
「あー…もう聞いてんの」
「詳しいことは、知らないです」
「俺も連絡取れてないから詳しいことは知らない」
「そうですか…心配ですね」
「馬鹿。よその心配してないで自分の心配しろ」
お前こそ、と香月がこの場に居たら張り倒されていたかもしれない。
自分で言っておきながら恥ずかしくて、隣で「葉月の言うとおり」と、小さく笑った孝成さんにやっぱり恥ずかしくなって口を閉じた。先輩っぽいと笑うこの人にしてみれば、俺なんてよくなついている子犬みたいなものなのだから。
一つため息を落としたところで深丘もそうですよねと頷いた。頷いてから、孝成さんの腕を見て「あ、部長」とゆっくり手を伸ばした。俺はそれを無意識に視線で追っていて。
「ん?」
「ここ、白いですよ。なんかついて─」
「、」
「あ…」
追って、深丘が白い線のついた孝成さんの腕に触れるより先にその手を掴んでいた。
深丘にしてみれば、触ってはいけないものを触ろうとして直前で止められた、と思うような素早い動きだったかもしれない。え、と驚いたように俺を見て、行き場を無くした手は俺の手ごと下に落ち、孝成さんには触れることはなかった。
「すみません、触っちゃいけないやつ、でした?」
「あ、歯磨き粉だ。ありがとう。拭いてくる」
「あ、はい…」
反射的だった。
慌てて掴んだ深丘の手を、孝成さんが背中を向けてからやっと離した。深丘はぽかんとその手を見て、俺の顔を見て、少し首を傾げた。
「悪い、反射に」
「いえ、びっくりしました、けど」
「一年」
「っ、はい!あ!おはようございます副キャプテン」
タイミングよく孝成さんと入れ違いで会話に入ってきてくれた高見先輩はニヤニヤしながら近寄ってきて俺の頭を鷲掴みした。
「気安く孝成に触んねぇ方がいいぞ。俺でも止められるから」
「あっそうなんですか?」
「しませんよ。ていうか高見先輩基本放置してるじゃないですか。孝成さんの天然ボケ」
「あんなのいちいち指摘してたらあっという間に一日終わるからな」
「部長ってしっかりしてそうなのに、意外と抜けてるの、ほんとギャップですよね」
三人でタオルを取りに行った孝成さんの背中を見つめると、視線に気づいたのかそれはくるりとこちらを向いて「なに」と問うてきた。なんでもないと高見先輩が手を挙げると、興味なさそうに再び背中が向けられた。
「でもさ、あれで孝成って警察犬みただからな〜どっちがギャップって感じ」
「え?犬っぱいですか?」
「いや、“警察犬”」
「警察犬…」
「こう…試合中の神経の研ぎ澄まし方が尋常じゃないって言うか。ほら、お腹いっぱいだと眠たくなるし体も重いだろ?だから孝成はあえて節制して集中してる感じだよ」
「はあ…なるほど」
「お前試合中の孝成見たことねぇの」
「すみません、俺副キャプテンとか藤代先輩の事ばっかり見てました」
「稀な奴も居んだな」
「稀ですか?」
稀だ、と頷きながら、それでも孝成さんがそこまで目立っていないことは理解している。それはやっぱりポジション的な問題なんだろう。でも、俺はそれでも孝成さんしか目に入らないし、孝成さん以上に“すごい”と思う人もいない。そんなこと高見先輩には絶対言えないけれど。ただ、先輩の言葉にはなんとなく納得できた。試合前の、ピリピリした空気とは少し違う張りつめた空気は、まさに神経を研ぎ澄ましているという表現に近い。そのせいで日常生活が疎かになっているのだと言われれば腑に落ちる。
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