08
その日、家に帰るなり香月が走ろうと誘ってきた。
「走ってこよう」
「は?今から?」
「うん」
「一人で?」
「うん。心配?」
「しねーよ」
「あっそ。じゃあ普通に葉月も行こ」
別に断る理由もないし少し暗くなり始めた中を一人で行かせるのもなと、仕方なくジャージに着替えてランニングシューズに履き替えた。
「香月が走るなんて珍しいな」
「んー」
「何だよ」
「葉月こそ。なんかあった?」
軽く手首と足首を動かし、膝を曲げ、そのついでに はあ?と、息を漏らすと香月が一足先に走り出した。
「元気ないじゃん」
「別に、なにもないけど」
「タカナリさんと喧嘩でもした?」
「してねーよ」
「ふーん…まあ、あの人が怒るのって想像出来ないしなぁ」
もちろん怒る。けれど、それは声をあらげたり手を出すようなものではない。穏やかな顔に、目付きだけを少しキツくして、変わらないトーンの声ではっきりと言葉を紡ぐ。
「なんていうか、鎮座って言葉がしっくりくるよね、イメージ」
「なに、今日それ習ったのかよ」
「うん」
「馬鹿の一つ覚えじゃねぇか」
「その馬鹿に元気ないねって心配される葉月も大概だよ。顔にもろ出てる」
「それ言ったら香月もじゃねぇの」
「えー?」
「お前こそ何もないのにランニングするとかあり得ないだろ」
「あはは、まあ…んー、ショックなことはあった、かな」
揺れる髪が、時折腕を撫でていく。うっすらと暗くなった道で、それでも沈黙なく足を前に進めながらあっさり認めた香月に少し驚いた。
ジョギングコースは大体決まっていて、自然と二人分の足跡は同じように道を選んでいる。その音に紛れ、「とーるちゃんのこと」と香月が呟く。
「透?なに、アイツどうかしたわけ」
「聞いてない?」
透、とは幼馴染みの畑瀬透のことだ。「聞いてない」と答えて香月の方を見ると、じんわりと汗の滲んだ額に前髪が貼り付いていた。わかめだとか油まみれだとか、馬鹿にする台詞はいくつもあるのに、そのどれも口に出来ないくらい、衝撃的なことを香月は続けた。
「一年生が飲酒喫煙で試合辞退だって」
「…はあ!?」
「インターハイ予選も」
「え、まじで?」
「まじで」
「透は?アイツ大丈夫なの」
「うーん、電話の声は落ち込んでた」
「そりゃそうだよな、自分が悪くないなら尚更」
「悔しいだろうね。三年生は終わりだし、とーるちゃんにはまだ次があるけど、出場出来る保証はないし…しかも問題起こしたの一年生だからね〜やりきれないよね」
小中とずっと一緒にバスケをしてきた透は県外の高校に進学して家を出た。気軽に会うことは出来なくなり、実際、年末年始に少し顔を見て以来俺は連絡もとっていなかった。
まさかそんなことになっているなんて知らず、香月が教えてくれなければ他の誰かから聞いていたり噂で初めて聞くことになっていたかもしれない。僅かに落ちたペースに、香月が緩やかに振り返る。
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