07
「葉月」
「はい…」
「俺は夏で引退するから、だから、勝ちたいって、言ったんじゃないよ」
「……」
「葉月を日本一にしたいから言ったんだ」
「それは、」
「最後だから。俺が葉月を一番にしてやれる、最後のチャンスだから」
「…大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃないよ」
しゃがみこんで紐をほどいて、視線をあげると孝成さんは真っ直ぐ俺を見ていた。「大袈裟じゃない」と、その目が訴えている。最後のチャンスと言っても、もともと二回しかそんなものはなくて、けれど、俺は出来るなら孝成さんと大学でも一緒にコートに立ちたいと思っていて。もちろん、俺が孝成さんの後を易々と追えるとは思ってはいない、それでもそんな期待や希望を抱くくらいには孝成さんに焦がれている。
それこそその為の努力なら、いくらでもする覚悟は出来ている。それを口にして、目の前の孝成さんに伝える勇気はないのだけれど…
「葉月を日本一にするって決めた」
「…誰がですか」
「俺が。葉月がうちに来たときから決めてた」
「俺、それは聞いてないです」
「そうだった?」
ずるい。
「俺じゃなくて、孝成さんがなるんじゃないんですか」
「どうかな、それは違う気がする」
「……じゃあ、俺がします」
「え?」
「俺が、孝成さんを日本一に」
いたって真面目に。というか、本気で。
俺が孝成さんにしてもらう、というのは見当違いで、けれど、俺が孝成さんを一番にするというのはおこがましいかもしれない。それでもその器を持っているのは俺じゃないし、どちらかと言えばそれは俺より高見先輩やほかの三年生に向けられるべき言葉だと思う。そんなとても大きな言葉を俺にくれたという事実はこの上なく嬉しいのに、胸はとても痛くて今にも泣いてしまいそうだった。
「…大袈裟、だ」
「孝成さんが言い出したんですよ」
「そうだけど…いや、うん。…学校によってはもう三年が引退してるところもあるんだよ。それを思ったら俺たちも危機感を持ってないといけないし、本当に最後のチャンスだと思ってるから」
「その、最後のチャンスって…」
「バスケは、ここで終わり」
「は…」
「受験に集中しないといけないんだ。だから、今はここに全て注ぎ込んで、終わったら、俺はただの受験生になるんだよ」
当たり前のことだ。引退となればそこで終わりで、それにあえて、“最後”と付け加える孝成さんの真意がわからない。まるで、バスケ自体がここで終わり、のような…
「孝成さん、もしかして─」
「帰ろう」
「っ、」
「お腹すいた」
「……テーピング、まだ残ってますよ」
「あはは、ほんとだ」
孝成さんはロッカーを閉め、抱えた鞄を床に落として完全には剥がされていなかったテーピングをぺらりと剥がした。いつもはきちんとリムーバーを使って、手も洗うのに。何かを隠すみたいに剥がしたそれをゴミ箱に押し込んで俺を振り返った。ボタンを掛け違えて歪んだ衿に形だけは綺麗に絞められたネクタイが不恰好に揺れた。それに手を掛けると硬い孝成さんの手に捕まってしまった。
「孝成さん?」
「それ、結構好き」
「はい?」
「“孝成さん”って呼ばれるの。葉月、最初からそう呼んでたよね」
「……ずっと前から、名前知ってたんで」
やわやわと指先が擦れ、それはゆっくり俺の腕を滑り、首に触れた。
「帰るだけだから直さなくて良い」
「もう、直しました」
ダメだ、誤魔化されてしまった。
聞きたかったことはもう言葉にはならず、声を飲み込んで、 すり寄ってきた孝成さんに目を伏せた。
放課後の部室で、もう何度も交わしたキスが、終わりを見つけてしまった。少しでも多くその回数を重ねたい気持ちと、丁寧に大切にしたい気持ちと、両方が膨らんで、けれど、どちらにしても俺からは触れられないのだと思うとやっぱり胸は痛いまま。
それでも目を閉じて、キスをして、孝成さんを送り届けた。
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