12


白衣のポケットでシロツメクサが揺れ、静かに頭を垂れたそれを指先で上を向かせる。するとすぐに孝成さんが俺の指先を捕まえそのまま手を引かれた。孝成さんは俺の手を撫で、腕を触り、肩から鎖骨まで手のひらを滑らせ、目を細めて小さく笑った。

「孝成さん?」

毎日繰り返されたボディチェックみたいな行為に、くすぐったさを覚えて声が震えた。俺の声に視線をあげ、射るような目で、ぞっとするほど真っ直ぐ、こっちを見る。そう、ぞっとしたのだ、孝成さんを初めて見たときも、初めて触れたときも。きっとその瞬間から俺は孝成さんに囚われている。

好きだったこの人の手は、今たくさんの人の命を救っている、あの頃も今も、ずっと正しく尊い、綺麗なものだ。その指先に自分の指を絡ませ、もうほどけないよにしっかり握って、顔を寄せた。

「今度こそ、していいですか、キス」

「止めてないよ」

「……」

「葉月」

「はい」

「大事にする。これからもずっと」

「だから、そういうことは…」

「忘れてるかもしれないけど、俺の方が先輩だからな」

何が先輩だ…確かに優秀かもれないけれど、まともに靴下だって揃わないくせに…俺はそんな孝成さんに手を焼いているつもりでいた、間違いなくそうだったと思う。でも、大きな誤算があって、それはその裏で俺がずっとこの人にコントロールされていたとだ。
頼るふりをして、上手に俺を躾て、立派に大きくした。この目に、手に、逆らえなかったのは俺で、まんまと捕まってしまった。

唇を重ねた瞬間そんなことがふと頭を過り、けれどすぐに、好きになったのは間違いなく自分なのだからどうしようもないなと、伏せられた孝成さんの目を見下ろして俺も目を閉じた。柔らかい唇の感触に、ビリ、と脳も体も痺れ、食み合いながら唇を開いて舌を擦るともうダメだった。
白衣を纏った綺麗な孝成さんを組み敷いて、強引にでも体を開かせて滅茶苦茶に抱き潰してしまいそうだった。思春期の子供みたいに夢中でキスをして、唇の隙まで安易な愛の言葉を囁いて。額を擦りながら唇を離すと、とてつもなく艶かしい表情をした孝成さんがその目から再び涙を落とした。
その涙を舐めとり「大事にしてください」と答えた俺に、孝成さんは凛とした声で「誓うよ」と鼻先をぶつけた。

初めてキスしたあの夏の自分も、今と同じだけ孝成さんを好きだっただろう。バスケを辞めた俺なんてと、この人は言ったけれど、バスケをやっていなければ出会えなかったし、孝成さんが辞めたことは間違いなく悔しい。でも、バスケをとっても俺は孝成さんが好きだったし、諦めることはなかった。

「大事にしてください…」

「はい」

孝成さんの涙の温度は、初めてその手に触れたときと同じように、ぞっとするものだった。同じ人間だと分かっていても俺はどこかで、孝成さんは完璧で圧倒的な何かで、自分とは違う生き物なのではないかと思っていた。触れた瞬間世界が変わる、漠然としていた「バスケで生活できたらいい」なんて夢が消え失せ、目の前に現れた水城孝成が俺のバスケの全てになる、鮮やかに、音をたてて、俺の世界は変わったのだ。

緑の芝生によく映える白衣がふわりと浮き、俺は手を引かれて立ち上がった。初夏の匂いが鼻の奥を撫で、日本の夏は暑かったなと、ふと思い出して涙が落ちた。孝成さんは「はは、もう泣かなくていいから」と笑い、どうしようもなく好きだった整った、正しい指先で俺の頬を擦る。帰ってきた、孝成さんのところへ。
「好きだよ、葉月」と、眼鏡の奥で細くなった目が、あの頃の鋭い瞳を宿している。

恋をしていた。
バスケにも、孝成さんにも。



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