08


空港の中を行き交う人をベンチに座って眺めながら、「寂しい」と素直に言える香月が可愛いなと思った。
でも、“また”確実に会えると思うと、孝成さんと離れるよりずっと気持ちは楽だ。何かあれば必ず連絡が来ると確信があるのも同じように。

「香月」

「なに?」

「…やっぱいいや」

「なに?気になるじゃん」

「いいわ、次会ったときに話す」

「じゃあ…夏かな」

「夏?すぐじゃねぇか」

「夏に休みとってアメリカ旅行って決めた。今」

「うっざ。言っとくけど寮だからお前泊まるとこ自分でとれよ」

「えっ!こっそり泊めてよ!」

「無理」

ケラケラ笑いながら、しんみりした空気を軽く吹き飛ばしてしまった香月に、次会ったとき孝成さんとのことを話してしまおうと、俺も決めた。
それから香月はくそどうでもいい話を一人でベラベラ喋って、喉が乾いたからとベンチをたった。その時だった。
「あ、」と、香月と声をハモらさせたのは。もうすぐに時間がきてしまう。たくさんの人が行き交って、空港スタッフがその間を縫って、その中ですぐに見つけてしまった。ばちりと目が合い、少し離れていたのに俺を呼ぶ声はしっかりと聞き取ることが出来た。

「葉月!」

「孝成さん…」

「はぁー…良かった、間に合った」

孝成さんは上手く人を避けながら、スーツのまま息を切らして駆け寄ってきた。香月は「タカナリさんの分も買ってくる」と言い残し、空気を呼んだのかこの場を離れた。

「来ないと思った?」

「…少し…あ、いや、来てほしかったですよ、もちろん」

「はは、素直だ」

「……あの、孝成さん」

「うん」

「ずっと好きでした」

「俺も」

「難しいですね、最初は憧れてるって思ってたんですけど」

「好きになってくれて嬉しかったけど、俺は」

「そういうこと、今言わないでくださいよ」

ごめんと、笑った孝成さんはさっきまで香月が座っていた俺の横に座り、深呼吸を一つした。

ずっとその背中を追っていた。

「飛行機のチケットは?」

「あります」

「よし。ご飯はきちんと食べること」

「はい」

「でも太らないように」

「……」

「あと、怪我には気を付けて」

「はい…」

「元気で」

「……」

「返事は」

追い続けて手を伸ばし続けた背中だ。
今日、俺はその背中とお別れをする。

「葉月」

「……はい」

「はい、よろしい」

孝成さんはさらりと着こなしたスーツのポケットから手を出して、俺の手をとった。もうテーピングのされていない指が、俺の手首から腕時計を浚う。それがないと困る、けれど、俺にとっては時計がないより孝成さんが居ないことの方が困る。困るのに、孝成さんは平気な顔で俺の頭を撫でて、代わりに赤いお守りを掌に乗せた。

「怪我と病気しないように」

「お守り、ですか」

「持ってて。出来ればずっと」

「……はい」

時計の代わりに渡されたお守りを、手持ちの鞄にぶら下げて彼の最後の優しさを唇を噛んで飲み込んだ。孝成さんは「いってらっしゃい」と笑い、これで終わりなのだと、少し悲しげに目を伏せた。

人目を忍んだ最後のキスは優しくて、暖かくて、けれどとても痛くて、触れた唇の温度はいつまでも消えてくれなかった。

香月が買ってきたお茶は飲まないまま返して、飛行機に乗った。

その日も、泣いたのは俺だけだった。




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