06


「一対一ですか」

「バスケはもうやらないって決めてるけど、最後に、もう一度だけ葉月のバスケが見たい」

「もちろん、それは…いいですけど。…あの、じゃあ、俺からも…最後のお願い、してもいいですか?」

「なに?」

「孝成さんのシュートが見たいです」

ボールを両手でとても大事そうに触っていた孝成さんは、ぴたりと動きを止めて視線だけを俺に向けた。意地の悪いことを言っている自覚はある。もうやらない、遊びでもやらないと決めているこの人に、そんなことを言うなんて。
でも、それくらい言ってもいいのでは、と、それくらい、俺はまだ孝成さんと別れることを嫌だと思っている。どんなに固く決意しても。

「一本だけ」

「えっ」

「え?やらなくていい?」

「いや、見ます、見たいですやってください」

「三年以上やってないから、もう入らないかも」

「入ると思います、俺は」そう答えると、孝成さんはきゅっと顔を引き締めた。相変わらず綺麗に切り揃えられた爪と、あの頃と変わらない整った指。目付きがほんの一、二秒で変わり、古びたバスケットゴールと、所々剥げてしまった線を確かめる。それから一度ボールをついてその感触に目を細めた。

「た─」

俺の声をかき消すように、孝成さんは軽い動きでシュートのフォームに入った。それは本当に軽くて、あの頃よりたくさんのプレイヤーを見て戦った今でも、間違いなく一番綺麗な動きで。
息を飲むような、時間が止まったような、周りの音が聞こえなくなって、世界に二人だけのような。きっと数秒だったはずなのに、孝成さんの手から離れたボールはスローに見えた。それが迷いなくゴールに吸い込まれるまで、心臓も止まっていたかもしれない。それくらいの静寂だった。
汚れたゴールネットがボールに触れて揺れ、足元に使いなれたそれが転がって爪先にぶつかった。

「入った」

俺が憧れた人だ。
初めて孝成さんを見たときの衝撃が鮮明に甦る。すごいとか格好良いとかその次元ではなかった。猛烈に憧れた。バスケは楽しかったし好きだった。もちろん努力も惜しまなかった。だけど、孝成さんを見て、あの人と同じコートに立ちたい、仲間として、あの人に託される立場で、そう思ったんだ。
もう精子は出ないし、涙も枯れたと思った。この三日間で、アメリカにいくと、孝成さんと別れると決めてから。それなのに、たった一本のシュートで決意は揺らいで、止める間もなく涙が溢れた。

「葉月?なに、ど─」

「ごめんなさい、俺やっぱり…」

やっと隣に立って、同じチームで、一番になって、きっとそれ以上の希望や望みはなかったはずなのに。あのまま、時間が止まればよかったのに。追いかけて追いかけて、憧れ続けて、それが恋だったとしても、それでもやっと孝成さんに触れたのに。「葉月」と、彼のゲームメイクの中に俺が入って、名前を呼んでもらえたのに。

「孝成さんと、別れたくないです」

「はづ、」

「ごめんなさい、どうしても、どうしたって、孝成さんのことが好きなんです。俺が、向こうに行ってる間に、孝成さんに好きな人が出来てもいいから…」

「葉月、聞いて」

しゃがみこんだ俺の前に、同じように膝を曲げた孝成さんが、やんわりと俺の手を握りながら続けた。

「これは俺のエゴかもしれないけど、俺は葉月のファンだから、葉月がやりたいって言ったことを応援したい。一ファンと して、日本の希望になって欲しいと思う。葉月が俺を追ってくれたように、葉月のことを追う、次の世代の為にも。葉月を目標にする人がたくさんいて、今もこれからも、だから、俺はそれを台無しには出来ない」

「孝成さんが言いたいことは、本当に、良く分かってます。時間がかかっても、ちゃんと言い聞かせて、受け入れます。でも、俺が、孝成さんを好きだったことは、それだけは、忘れないでください」

初めて触れたとき、孝成さんが俺の手をとってくれたとき、その手の感触にぞっとして背筋がのびた。こんな手にはもう一生出会わないだろう。今、孝成さんがバスケを続けていたら、俺がアメリカに行きたいと言い出すのはきっともっと後か、言い出すこともなかったのだろう。今、たった一本のシュートに、こんなにも心が壊れそうになっているんだから。
でも、そんなかもしれないに、決意を流されてはいけないことも分かっているから。今の自分は自分の意思で行くと決めたんだから。

「忘れない。約束する」

だから、俺はこの恋とさよならをして、孝成さんを置いて、日本を出ていく。この先他の誰を好きになっても、なれなくても、こんなにも好きになれるのはきっとこの人だけだ。

その日、暗くなるまで、俺は久しぶりに孝成さんにバスケを見てもらった。



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