02
成人式を終えてアパートに戻ると、珍しく孝成さんが勉強する格好のまま机に伏せて眠っていた。数日離れていただけだけど、その数日ずっと勉強でもしていたのかもしれない、そんな不安に駆られるほど珍しいことで、俺は眠る彼の顔を覗き込んだ。呼吸はしている。
「孝成さん」
「……」
「風邪ひきますよ」
気持ちよさそうに寝ているのを見るのも久しぶりな気がして、俺はその肩に毛布をかけて起こすのはやめた。そうか、こんな些細な日常も、あと少しで終わってしまうのか。
別れると決めながら、茶碗が割れたからと色違いの茶碗を揃えたり、夏用のシーツを来年は買い換えないといけないと話したり、桜が咲いたら見に行こうと約束をした。なんて馬鹿なことをしてしまったのか、だけど、孝成さんは一つも否定しないでくれた。あと少ししか使わないのだからもう茶碗なんてなんでもいいし、夏どころか春が来る前に、俺たちは別れることになるのに。
叶えられない約束をして、必要ない俺のものを残して、きっと残酷なのは俺の方なのに。安らかに眠る孝成さんのまつげを眺めながら、その目から涙が零れるのを俺は一度も見ないまま離れるのか、と唇を噛んだ。
「、ん…」
「っ、」
「はづき?」
「ごめんなさい、起こしました?」
「ううん、あー…しまった、寝てた」
「温かいお茶いれますね」
「あ、葉月」
「はい」
「おかえり」
「…はい、ただいま」
「お茶入れるならお菓子も食べよう。昨日プリン買ってきたから」
こういうところもだ。
自分一人だったら絶対プリンなんて買わないくせに。俺のために、と…孝成さんのそういう気遣いのような、無責任な部分が、今はこんなにも辛い。
「葉月?」
「あ、いえ…」
辛くて苦しい。
憧れているだけの頃の方がマシだったかもしれない。そんなことを思うのも辛かった。
「あ、香月ちゃんが写真送ってくれたよ。二人のツーショット。葉月のスーツ姿見たかったな」
「パツパツって言われたんで孝成さんには新調してから見せますね」
「あはは、大きくなってた?確かに背も伸びたし」
「……そういえば、高見先輩に会ったとき…」
「葉月の方が大きかったんじゃない?」
「高見先輩にも言われましたけど、そんなことない気がするな…」
「葉月の中では高校生の高見がよっぽど大きかったんだ」
「それはあるかも…絶対抜かせない体格だなって思ってたんで」
それは今でも思うけれど。
高見先輩の活躍は圧倒的で、大学卒業後はいろんなところから声がかかると噂されている。野球やサッカーのように大々的ではないものの、それでも有名な人だと、俺は思っている。
「葉月は大きくなったんだよ」
「なんかそれ子ども扱いしてません?」
「あはは、少し」
「も〜」
む、と目を細めて孝成さんを見ると彼は心底可笑しそうに笑って「ごめん」と言い、あの頃の続きのような、俺を試すようなキスを一つしてくれた。
何度目のキスだったんだろう。
数えることをやめたのはいつだっただろう。
「葉月?」
「……」
「どうした?」
「なんでもないです…ただ、」
「?」
「……」
あなたが好きだって、俺はもう、言えなくなってしまった。
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