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そうやって少しずつ自分のなかで気持ちを固めて、孝成さんには自信を持って伝えたかった。けれどそれは孝成さんと過ごすほど難しくなり、言えないままずるずると引きずることになってしまった。
「孝成さん、すげー沸騰してますよ」
「うん、あっ、」
「うわっ、大丈夫ですか?切れました?」
「手は大丈夫、豆腐は落としたけど」
足元にべしゃりと落ちてつぶれた豆腐を見下ろした孝成さんは「今日の味噌汁はえのきとワカメだけだね」と言って謝った。孝成さんが怪我をしていないなら、味噌汁に豆腐が入っていないくらいどうってことない。
けれど、一年と半年、味噌汁を作り続けた彼が初めてした失敗だった。
「いってらっしゃい」
「……」
「どうかした?」
「孝成さん大丈夫ですか?顔色悪いですよ」
「味噌汁失敗したから落ち込んでる」
「ちゃかさないでください俺真剣に心配してるんですよ」
「ごめん、大丈夫だから。ほら遅れるよ」
「たか、」
背中を押され、半ば強引に外へと出された。久しぶりに孝成さんに、こんなに力を込められた気がする。
「気を付けて」
俺のいってきますは閉められたドアに遮られた。時間はギリギリ。だけどもう一度ドアを開けてきちんと顔を見て言おうかと迷い、数秒鉄のドアを見つめた。意を決して「孝成さん」と、その場で名前を呼んでみたものの返事はなく、もう中に戻ってしまったか、と踵を返した。その瞬間だった。部屋の中でガシャンと何かが割れる音と、ゴトンと低く鈍い何かが床に落ちたような不審な音が聞こえたのは。
俺は慌てて今出てきたばかりのドアを開けた。
「孝成さん?」
部屋は静かで、まだ味噌汁のいい匂いがやんわりと漂っていた。さっきまでテーブルに残っていたはずの孝成さんのマグカップは無惨に割れて床に散らばっている。僅かに残っていたらしいお茶が床に小さな水溜まりを作っており、そこに孝成さんの指先が浸っていた。
「た…孝成さん!?」
「……」
「孝成さん?大丈夫ですか?孝成さん!」
靴を脱ぐ間も惜しく、俺はそのまま倒れている孝成さんに駆け寄った。顔はやっぱり青白く、閉ざされた目は寝ているだけなのか意識がないのか俺には分からなかった。
ただ、何度名前を呼んでも頬を軽く叩いても反応はなく、すぐに救急車を呼んだ。大袈裟、と怒られてもいい。少し様子を見て、という判断は出来なかった。
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