10
課題の量は対して多くはなく、二時間ほどで残っていた半分を終えてしまった。残りはほんの少しで、これくらいならなんとかなるだろうというところ。まあ、なんというか、孝成さんの指導レベルが高いおかげなのだけれど。
「葉月、ご飯食べてく?」
「いや…帰ります」
七時を回ったことを携帯の画面で確認して課題を鞄に押し込む。外の寒さを想像するだけでぞっとするけれど、窓の外を見ながら「今夜も降りそうだね」と溢した孝成さんには胸が熱くなる。それから目を逸らすみたいに立ち上がり鞄を肩にかけた。
「帰ります」
「外まで見送るよ」
シャツにカーディガン姿のまま、俺を玄関まで見送ってくれた孝成さんは俺が靴を履いてから自分もスリッパに足を通した。
「ここでいいです」
「外までいくよ」
「だめです。そんな格好で」
「あはは、心配しすぎ」
「ダメ。冷やさないで下さい」
「葉月」
「はい」
「そういうのは女の子に言う言葉だよ」
黄色い玄関の電気が孝成さんの顔をぼかす。
もう爪先は冷たくなり始めていて、玄関でも息が白いのだから仕方がないかと視線を落とす。
「でもありがとう」
「……孝成さん、すぐ風邪引くから」
「ひかないよ。試合前は」
スリッパに押し込まれた孝成さんの足は、窮屈そうにかかとがそこからはみ出ている。おばあちゃんのスリッパなのかもしれない。
「じゃあ、帰ります」
「ん」
「また明日」
「葉月」
「、はい」
少しドアを空けただけで、そこから一気に冷気が入り込んできた。すぐに閉めないと孝成さんまで冷えてしまうと思ったのと呼び止められたのは同時で、鞄をひかれて体が傾いた。
「また明日」
やんわりと俺の唇に自分の唇を重ねて小さく笑った孝成さんは、そのままゆっくり歯をたてた。俺の下唇を柔らかく食み、ちゅっと音をたてて離れる。その口は、気をつけて、と、声を漏らしてもう一度笑った。
「たかなり、さん」
「自転車乗りながら携帯触っちゃダメだよ」
「……はい」
足りない、なんて…到底言えるわけもなく、俺は孝成さんの家を出た。
孝成さんのキスにはムラがある。
これ以上は理性が持たないと止めたくなるほど執拗にしてくる時もあれば、今日みたいに別れ際の挨拶みたいなキスだけの時もある。全然しない時だってもちろんある。その差は俺には分からない。
俺は与えられるキスを受け入れて、孝成さんに従うだけ。たまに、恍惚と俺を見上げる彼を、支配している気になって。
「さむ…」
キスした唇だけがやたら熱いまま、凍えそうな道を無心で自転車をこいで家に帰った。
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