14
孝成さんの居ない体育館は、それでもいつも通りここにある。向けられた孝成さんの背中が伝えたかったことを、俺はちゃんと分かっているんだろうか。ただ、俺が寂しくて、高見先輩に話を聞いてからの不調は少しマシになったものの、後輩には示しがついていない。レギュラーを外す、と言われても文句は言えない。
孝成さんにもらったテーピングはお守りみたいに部室のロッカーに入れてある。普段あまり使わないけれど、必要になってもあれは使えない。本当に、お守り、だ。
硬くて厚い自分の手を見つめて、あの、正しい手を思い出すとやっぱりどうしようもなく触れたくなってしまう。指を曲げて、ぐっと握り込んで、軽く頭を振ってから練習に戻った。
三年になっても、相変わらず加藤とは同じクラスだった。朝練に顔を出さなかった彼を見つけて肩をぶつけると、まだ起ききっていないような顔が無愛想に俺を見た。
「サボりかよ」
「ごめんなさい」
「素直なのもこえーよ」
「宿題が追い付かなくて貫徹したんだけど気付いたら寝てて間に合わなかった」
「はあ?珍しいな。俺でもそれはないぞ」
「選択授業。ミスった〜」
隈も酷いし本当にだるそうな加藤に、けれどそんなことは関係ないなと「サッカー部のマネージャーのこと、変なふうに言いふらしてるだろ」と問いながら机を指先で叩く。加藤は間抜けに「あっ」なんて漏らして視線を泳がせた。
「いや、別に、変なことは言ってないって」
「へえ、」
「ただ、顧問に葉月不調だけどなんかあったかって聞かれて…」
「聞かれて?」
「色ボケっすかねーって」
「馬鹿」
「葉月よりは馬鹿じゃねーよ」
そういう意味じゃないと軽く肩を押して「豊峯に確認された」と続けると、加藤はゲラゲラ笑ってごめんを数回繰り返した。
「でもさ、良いじゃん別に。てかほんとのとこどうなってんの?」
「どうにもなってねーよ」
「なんだよつまんね〜」
「……」
「付き合わねぇの。浜坂さん絶対葉月に気あるって」
「なわけねぇだろ」
「ないのに連絡先聞くか?」
「だからって聞く相手みんなにあるわけじゃないだろ」
「…確かに」
「浜坂さん」と、加藤の口からマネージャー以外の呼び方が出たのは意外だった。バスケのマネージャーではないし、紛らわしいからその方が分かりやすくはあるけれど。
「まぁ、今の俺らの状況で付き合うって難しいよな。でも可愛い彼女欲しい」
「作れば」
「せっかく可愛い子と付き合うのに、デートとかほぼ出来なくて、時間があれば勉強に追われて…バスケしかしてこなかったから流行りも分からない…あぁ、フラれるのが目に見える」
だよな、リアルに考えると。
でも、もし孝成さんと恋人になれたら…俺はきっと今よりいろんなことへのモチベーションが上がる。バスケ一つとっても、あの人に一番見ていて欲しいし認めて欲しい。勉強も、孝成さんが優秀な分置いていかれたくないと意地を張れる。
もちろん、それは付き合っていなくてもそうなのだけど…ダメだ、居ないと考える度に心がダメになっていく。浜坂さんと付き合うなんて考えたこともなかったけど、付き合ったらどんな感じなんだろう。今、ぽっかり空いた孝成さんの穴を、彼女は埋めてしまうのだろうか。
埋めてもらおうとは思っていないけれど、それが魅力的に感じるほどには滅入っているのだ。
「浜坂さんが原因じゃないならさ、部長のこと?」
「……」
「水城部長」
「……」
「変な感じだよな、こうやって呼ぶの。そりゃ俺も寂しいけどさ…引退してからは一年近く経ってんだし、さすがに引き摺りすぎ。トヨが可哀想」
「いや、そうじゃないけど」
「未練がましい!インハイの予選なんてすぐだぞ?お前がそんなんでどうすんだよ。ふ・く・ぶ・ちょ・う!」
「はぁ〜うっざ…」
「しっかりしろ」
「分かってる」
「分かってねぇよ」
す、と加藤の表情が一瞬で変わった。真面目な目だ。そうか、こういう顔も出来る奴だ…孝成さんの事ばかり考えて腑抜けている場合じゃないのは分かってる。
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