06


絞めたつもりで不格好に緩んだネクタイ、寝癖、スラックスのポケットは飛び出ているし教科書やノートと一緒に腕に抱いた筆箱は開きっぱなし。
それを一つ一つ、直していきたい衝動に駆られて窓枠に指が食い込んだ。三年生の廊下は見た目から静かで、そのうちの一つの教室から出てきた孝成さんを見つけて思わず声が出そうになる。

眼鏡をかけた彼は、一緒に出てきたサッカー部の先輩と言葉を交わしている。中庭を挟んだ反対側の校舎、俺の視線に気付かないまま進む二人がふと立ち止まり、先輩が孝成さんの筆箱を指差した。

「あ…」

それからネクタイをちょんちょんと触り、孝成さんはもたもたと指摘された場所に手を動かして当たり前みたいにバサバサと教科書を落とした。あーもう、と心の中で声が漏れた。俺がそこに居れば…なんて情けないことを、思わずにはいられない。
でも孝成さんにとっては、俺が居ない事の方が“普通”で、今までだってそうやって生活してきたんだ。そう思うと、必死に孝成さんの隣に居ようとした俺はとても滑稽だった。日に日にダメになっていくのを感じながら、それでも軌道修正出来ない自分に、何も出来ないでいた。

そんな俺を取り残して、三年生は忙しく毎日を受験勉強に費やし、校内はぴりたいた空気を保ったまま卒業式を迎えた。寒い冬をやっと越えたのに、俺はずっと凍えたままだった気がする。
雪が溶けて、少しずつ昼間の気温が上がって、桜はまだまだ咲きそうにないけれど春は確実にそこまで来ている。答辞を読み上げた孝成さんは記憶の中のまますっとよく通る声で、綺麗な目を伏せて、お手本みたいなお辞儀をした。さすがに今日ばかりは制服にも髪型にも乱れはなく、イメージ通りの“水城孝成”だ。堂々と胸を張り、首席で難関高校を卒業する。彼らしい姿だった。

中学までの卒業式とは違い、高校の卒業式なんてものはあっという間に終わってしまった。去年もこんなふうだったのか…あまり覚えていないのは、きっと卒業していった先輩たちのことを知らないからだ。部活の先輩だって、高見先輩や孝成さんほど親しい人は居なかったし、それ以外となると話したことのある人はほんの数人。思い入れがなくても仕方がない。

柔らかい日の差し込む体育館で、俺はずっと孝成さんの背中を見ていた。最後に話がしたい。最後…そうか、最後なのか。今の自分にとって“高校”という場所は大きくて、高校生になったときは世界が広がったのだと思ったのに…それが、今はとても狭くて窮屈なものに感じる。今よりもっと広い世界へ出ていく孝成さんを、引き留めたくて声をあげそうになる。

「卒業生、退場」

今、ここでその名前を叫んで足を止めさせたい。整った姿勢で、少しのブレもなく通りすぎていく孝成さんは、一瞬目元をぴくりとさせて視線を僅かに上げた。そのままちらりとこちらを、俺のことを見た、気がした。

「、」

試合中の敏感さなら、ここまで視線を向けられて気付かないはずはない。でも今は違う。“特待生”を繕ったいつものボケ倒し孝成さんだ。それでも、一瞬絡まった視線に「あとで」と言われたように感じた。すぐにそれはほどかれ、俺だけが見えなくなるまで孝成さんを見ていた。
式が終わると生徒会や一部の生徒を残して教室へ移動するよう指示があった。俺はどうしようもなく急いていて、三年生はまだ最後のホームルーム中なのに早く孝成さんに会いたくて、移動するクラスメイトの群れから逸れた。

「おい、葉月?どこ行くんだよ」

「トイレ」

「はあ?今?まだ帰れねーぞ」

「腹痛いって言っといて。ずっと我慢してた」

「まじのやつ?」

「マジマジ」

「じゃあ言っとくからすぐ戻れよー?」

はいはいと軽く手を上げ、賑やかな廊下を教室とは反対の方向へ進む。さすがに部室棟の方に人影はなく、見られたら相当目立つな、とドキドキしながらバスケ部のドアの前に立った。鍵は開いていないだろう、そう思いながらドアノブを回すと、予想外にガチャリと気持ちよく音が響いた。




back next
[ 93/188 ]

>>しおり挿入


[top]




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -