その三日後、松岡と名乗った人がお店に来てくれた。

「こんにちは」

「こんにちは。具合はもう大丈夫ですか?」

「はい。ありがとうございました。…あ、えっと、エスプレッソを、一つ」

「はい、エスプレッソをお一つ。以上でよろしいですか」

「はい」

やっぱり肌は白いけれど、この前よりずっと顔色が良い。にこりと微笑んでお金を出した彼は、「園村さん何時に終わりますか」と少し小さな声で、遠慮がちに問うた。

「お礼、させてください」

「僕ですか?」

「はい」

「いえ、それは…僕何もしてないですし」

「……じゃあ、お友だち、になりたいです」

「へ?あ、それなら…」

「待ってて、良いですか?あ、このあと、園村さんが何もなければ…」

「はい、」

それから二時間、彼はカウンター席で本を読んで僕を待っていた。絆創膏を貼ったくらいしかしていないのに、お礼なんて…どんな律儀な人なのかと正直驚いた。今日はこのあと帰るだけでバイトも入っていない。虎も居ない夜だ。
着替えて声をかけると、すでに空になっていたカップを指定の場所に置いて、上着を羽織った彼のその姿はやっぱりモデルみたいだった。一つ一つのしぐさがとても格好良い。

「すみません、突然」

「いえ」

「あの、時間、大丈夫ならご飯、とか…」

「はい、大丈夫です」

悪い人ではないだろうという、第一印象で頷いた僕に松岡さんは安心したように笑った。その日二人でご飯を食べ、同い年だということ、この春日本に引っ越してきたことを聞いた。まだこっちに来たばかりで知り合いもほとんどおらず、親切にしてくれた僕と仲良くなりたかったと、素直に言葉にされてしまい、思わず笑ってしまった。僕が悪い人だったらどうするの、と。それはお互い様じゃないと笑い返され、こんなことがあったんだと虎に話したら、危機感無さすぎと怒られるんだろうなと思った。

結局、その日はレオくんがお会計を済ませてしまった。今度は僕が何かご馳走すると約束をして連絡先を交換して別れ、僕は誰も居ない部屋に帰った。静かなリビングに貼られたカレンダーと、その横に貼られた二人分のシフト表を眺めて、ため息が漏れる。見事に虎との時間が合わない。
無情にも空いている時間帯がバラバラで、どんなに眺めてみても、ゆっくり二人でご飯を食べるのでさえ無理だ。仕方がないかと諦めて、既に一人きりになってしまった部屋で考えるのをやめ、髪を乾かして寝室へ入った。
もう随分、虎と眠っていない気がする。気がするだけで、きちんと思い出せばそんなことないのかもしれない。それでも“寂しい”と感じるのは、自分がいろんなことを当たり前にしているからだ。

何となく寝付けないで一時を過ぎ、二時になる頃、虎の帰ってきた音にやっと微睡み始めていた意識が引き戻される。その足音はなるべく静かにと意識しながら廊下を進み、そのままバスルームへ。僕はその間にベッドから出て、虎の部屋のドアを開けた。ドアを少し開けたまま虎のベッドに潜り込むと、すぐに睡魔に襲われて瞼が重くなるのが分かった。
虎の匂いだ、と目を閉じるとシャワーを浴びて戻ってきた虎が驚いた様子もなくベッドにあがり、当たり前みたいに僕を抱き締めた。

「……おかえり」

「ただいま」

「ん、」

「なに、寝れねーの?」

「ううん…そうかも」

「どっちだよ」

鼻から小さな笑いを漏らし、やんわりと虎の唇が額に当たる。暗くて見えないけれど、虎も眠そうな顔をしているんだろう。お風呂上がりの匂いに鼻を擦り付けながらもう一度目を閉じて虎の名前を呼ぶ。

「なに」

「……好きだよ」

「なに、まじで」

「言いたくなっただけ」

「何かあった?」

「無いけど、でも、好きだなって」

手放しそうになる意識を虎に掴まれ、僕は遅いまばたきを繰り返す。

「れん」

「うん…」

「好きだよ」と、甘い声で小さく返してくれた虎に抱き締められたままキスをして、半分寝たまま笑う。

「すげー眠そうな顔」

「…うん」

「寝る?」

「迷ってる」

「いやもう寝てるだろ」

僕ら二人しか居ないのに、布団を被ってこそこそと小さな声で話しているのが可笑しくて口元が緩む。虎の口元も緩んでいて、やわやわと触れる唇の形でそれを感じるだけで幸せな気持ちになる。このまましたいなと思う思考に反して、意識は薄れていく。虎は「何かあったなら言えよ」と少し心配そうな声で呟いたけれど、結局僕は返事をする前に眠りに落ちていた。何もない。ただ、漠然と寂しいだけだ。

虎とゆっくり寝られるのも、当分無いかもしれない。それに気付いたのは目が覚めてからだった。よく眠る虎の胸で、布団から出たくない気持ちをなんとか振り切り、やっとの思いでベッドをおりた。

四年生になってから虎はほとんど一限がなく、僕はこの寝顔を置いて出ていくことが増えた。よく眠っている彼を起こさないようそのまま部屋を出るのだ。妙な寂しさはだんだん靄に変わり、嫌なざわつきみたいなものになっていった。







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