陰陽師の時間旅行


「そうね、私はホシミアイ。お星様の星に見世物の見、相容れぬの相でホシミアイ」

人の、普通に生活している人間の、本名を偽り名乗る回数はどれくらいだろう。
インターネット等のSNSでハンドルネームを使うときが一般人の〈偽名を名乗る〉ことにカウントされると考える。今時インターネットでも本名を名乗る風潮があるのだから、人が偽名を自らに付けることは減っているだろうが。住んでいる国の法律(ルール)に則って犯罪を犯さず平和に生きている人は本名を偽る必要は無い、ネット上で、ゼロとイチの電波の中でお遊びのために本名以外の名を名乗る。
別の自分として交流するためにハンドルネームを名乗る。
偽名を使うのはこのような一般人ではなく、法律違反をして生きている人か又は生きていることすら許されない人だろう。いやしかし、人には生きる権利がある。誰にも奪われない権利が。最早何の義務さえ伴わない権利が。犯罪者でさえ人生を檻の中で全うさせて貰えるくらいドデカイ権利がある。全ての人間に生きている資格がある。全ての人間はその資格を生まれついて持っている。
しかし彼女は偽名を名乗る、法律を守らなかったわけでも犯罪を犯したわけでも無いのに。ルールに違反していない。生きる権利がある。資格がある。
だがその生きる権利があるからこそ、資格があるからこそ、全てのルールに反することになるのだ。彼女は、ホシミアイと偽名を名乗った彼女は。
自然の、命の、全ての摂理〈万物を治め全てを支配している法則〉に、全ての節理〈物事の道理、みちすじ〉に裏切りを、決別を、反乱を起こしたのである。





「相容れぬ、ねえ」
男―忍野メメは最後の煙草に火を付け、煙を肺に溜め込んだ。そして言葉と一緒にその煙を吐き出す。
「僕は忍者の忍に野原の野、片仮名でメメ。よろしく星見さん」
「おしめノノ?」
「そんなに難しい名前かなぁ」
からかってはいないようで、やけに真剣に首をかしげながら星見は名前を間違えた。
「ところで煙草休憩中に悪いんだけどねおしめノノさん」
「忍野メメね」
「メメさん、あなた他に連れはいないの」
星見は忍野の横に腰かける。
煙草の煙を浴びせないよう、忍野はなんとなく手で壁を作ったり煙を散らしたりした。
「ああ、いいよ大丈夫。私も煙草は吸うから」
たまに、と付け足して忍野は少しがっかりした。
これで同じ喫煙家ならば煙草のお裾分けを頂けたかもしれないのに。
煙草に依存しているわけではないのだが、こういう状況下ではニコチン摂取でもして冷静にならないと。
「星見さんこそ連れは?」
「私はひとり、そっちはその様子だとあと二、三人はいらっしゃるのでは」
星見は忍野の傍らにある大量の絆創膏と消毒液、その他医療品の入った大きなバックパックを指して言った。



忍野は貝木と影縫と別れて、それぞれ物資を調達するという作戦の真っ最中であった。
夜になると活発に活動する奴等との接触を避けるため、なるべく日が上ってからこの広い百貨店に物資調達しに来た。
午前10時、百貨店入り口にて別れ忍野は医療品を求めて。貝木は食糧を求めて、影縫は衣類を求めて。
日が沈む前の午後4時に玄関ホールへ集合し、そのまま安全なねぐらへと帰る予定だった。
しかしここで忍野はミスを犯す。
集合時間になっても二人は来なかった。
いや、正しくは来たのだが。忍野は集合場所を勘違いした。

「西と東を間違えちゃってねえ、はっはー」
「ナルホド。では他の人は無事合流し安全地帯へとお逃げになったのですね」
「そうだろうねえ、僕一人が来なかっただけでリスクを負って探し回るのもね。まあここにいればなんとか朝まで持ちこたえれるんじゃないかな」
「ココで持ちこたえれますか」

ココ。
正規の集合場所であったのは西側の玄関ホール。
忍野が間違って来たのは東側の玄関ホール。
何かちょっとしたアクシデントがあって少し到着が遅れているのだろうと、忍野は少しだけ待った。
その少しの間で、奴等に退路を絶たれてしまった。
玄関ホールにはお世辞とも言えない立派なモニュメントが、最上階の五階にまで伸びている。金属で出来たどっしりとしたモニュメント。
巨木のようなそれは、丁寧にも登りやすい形をしており、それを背にして逃げ場を失った忍野は、とある一声をきっかけに、その巨木を登ったのだった。

「上へ登って!ここまで来い!」

突如、奴等の呻き声を突き抜けたその女の声は荒ぶっているが鋭くそして明瞭だった。
忍野は言われるまま巨木を登る。
しかし忍野が登れるということは、人の形をした奴等も登れるわけで。腐ってしまったその体は思うように動かぬらしく挙動は遅い。
それでも何人も何人もがそれを繰り返し、やがて折り重なりそれを踏み台にして登ろうとしていた。
忍野が3階部分に到達すると、巨木の枝と枝の間に、やはりモニュメントと同じ金属で出来たの小さな小屋が、人が座れるスペースがありそこには声の主が居た。

「アレは?どうする」

無造作に後ろでくくった髪を揺らし、女は忍野に登山用のロープと金具を渡した。それを指して、体に巻けとジェスチャーする。

「お米だ、米を巻くとそこには近付かない」
「米ぇ!?なぜに米?」

女は驚き不思議がりながらも、忍野のアドバイスを聞いて自分の背負っていたバックから小さな袋を取り出した。
「非常食なのに!」
切れ長のつり目に涙を浮かべながら、女は言った。
そして米をばらまく。
階下の奴等はライスシャワーに参ったのか、一際大きな呻き声を出してモニュメントの周りから下がっていく。
その様子を見て、女は驚いた表情を浮かべた。
忍野は少しだけ違和感を抱く。
この生き残りは、奴等の対抗術を知らない?
「米を嫌がるのか…ならばこれはゾンビではないんだね」
「そっちの事に詳しいのかい」
「ん、まあそれなりに…米が嫌いなら乾死(カンシ)か?」
「カンシ?あいつらは、吸血鬼に吸血された不死の、吸血鬼の出来損ないさ」
「はあ?」
「アンデット、グール、ゾンビ。言い方は何でもあるよ」
「…米が弱点なのは乾死、キョンシーじゃないのか?」
「え?」

まるで話が噛み合わなかった。
とりあえず自己紹介から始めることにする。




忍野は自分達の目的などは話さないように、とにかく奴等がはびこるこの地で仲間と力を合わせて生きていると言った。
それに対し女―星見は時折分からないというように首を傾げ、自分で模索しているようだった。

「何がなんだか分からないが、6月14日に全人類が吸血鬼に吸血されてああなったと…」
「君さ、星見さん…その事を知らないのは頷けるけれど―急だったからね、人類にとっては。それでも奴等に、ゾンビに対して何か認識が違うというかなんというか」

違和感があるんだよね、忍野は煙草の煙を吐きながら言った。

「それを言うなら私だって違和感しかないわ。ゾンビと言うなら頭部を破壊すると倒せるだろ?でもこいつらは復活してしまう。ゾンビという〈怪物〉ならばそうはいかない」
「これはまあ、吸血鬼という〈怪異〉に吸血された人間の出来損ないだからねえ」
「怪異?またそれか…それはついて離れないのだな。とにもかくにもまあ手探りだが、対処の仕方は分かったよ。米が効くならこれも効くだろうな」

星見は、どこまでも響くような通る声で唱えた。

「かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ
つくしのひむかのたちばなの おどのあはぎはらに
みそぎはらへたまいし ときになりませる はらえどのおおかみたち
もろもろのまがごと つみけがれ あらむをば
はらえたまひ きよめたまへと もうすことを きこしめせと
かしこみかしこみももうす」

祓詞だった。
神様に災いがあったら祓ってくださいとお願いする言葉。

大きな声を出したので、それを聞き付けて奴等が寄ってくると忍野は思っていた。
しかしそれとは逆に、恐ろしいほどの静寂がその場を支配した。気配さえも、忍野と星見以外感じられないのだ。

「ほらね、怪異にはやはりこういうことが大事なのだ。祓うための祓詞なのだから。言ってしまえば、やってしまえばそうなる」

忍野はその言葉を聞いて、何かを思い出した。

喋り方が、若者にしては老人臭い。
印象に残る切れ長のつり目。

相入れぬの〈相〉。

「あれ?君、昔会ってないかな」
「会ってない」

即答。

「まあノノくん、私はあなたの名前を初めて聞いたし私はあなたに名前を初めて名乗った。すなわち私はあなたに会ったことがないしあなたは私に会ったことがない、そうでしょう」

するり、と後ろでくくった髪が肩から落ちた。

「はっはー、なんだか良いように、言いように丸め込まれてしまったね。まあいいとするよ」
「そうね、日が登るまでの付き合いだし深く考えないでもらえると」

有り難いね、と。
それはそれは脅迫のように星見はその切れ長のつり目で忍野を見つめていた。



西から日が登るわけでもなく。
自然の摂理通りに東から日が登って、忍野は伸びをした。
星見の祓詞の効力のおかげで東玄関ホールには、一切奴等は寄って来なかった。本当に祓詞の効力なのか、星見が<祓詞が効く>と口にしたからなのか。忍野には判断がつかなかった。
忍野は星見のその存在感の、特殊な気配のせいで近寄れないんじゃないかとさえ思った。
忍野は女の正体に気付いている。
しかしそこには気付かない振りをしていた。
女が―星見が、気付かせまいと振る舞っていた。
だから何も本当に知らないふりをした。

「じゃあね星見さん。どこかでまた出会えたら」
「ちょっと待ってくれノノくん」

最後まで名前を間違える気らしい。
忍野はあえて訂正せずに相手の言葉を待った。
「ここも分岐点の結果かね」

誰にも分からないような、理解しきれないような問いだった。
しかし忍野は答える。
「そうだね、あなたには関係の無い分岐だろうけど確かにここはその結果だよ。僕らは最悪の結果の途中さ」
「なるほど、ここはそもそもの…」
「…逆に僕からも質問していいかい」
星見は肯定もせず否定もせず、ただ黙って忍野の問いを待った。

「あなた以外にもルートを行き来できる人物は要るのかな」

「答えは出ている、<人物>が要るからその問いかけが成立するのだろう?」

やはり忍野以外の誰にも分からないような答えを返した。
「そうだよね、いやなに答え合わせをして欲しかっただけさ」

忍野は確信を持った。
あの日出会った人が、まるでタイムスリップしてきたかのように同じ姿同じ声で現れた。
<Xルート>の出来事を知らない<別ルート>から来た彼女。
星見相は、もう話すことは無いと踵を返し忍野とは逆の西側玄関ホールへと向かう。

「最後にひとつだけ、いいかい」

忍野は叫んだ。
「星見相の名前の由来は?」

星見は答える。
「星見草、菊の別称」









おまけ


「セル、もう出てきてもいいぞ」
星見相―菊弘が言うと、どこからともなくその黒い靄は現れ、菊弘の隣に立った。

「そもそものルートから外れたルートもあるのだな、菊」
「エラーのようなものだろう。彼奴にもあまり制御が出来ないということが分かったぞ。我々は今まで彼奴の思惑で様々なルートへ飛んでいると見ていたが、どうやら<やり直し>をしようとしても元の同じルートには戻れないようだ」
「そこは私が調節しよう、でないと本当にキリが無い」
「ゲームマスターはゲームの内容は決められても、ゲームの仕様は考えられないようだなぁ!馬鹿な奴だ」

菊弘は元の姿に、菊弘の姿に戻る。
「忍野にはバレていたようだが」
セルはくつくつと笑う。
「だろうな、あいつは貝木みたいに愚鈍ではない。咄嗟に適当な姿を取ったが名前で分かったようだし、忍野に対してはいちいち隠さなくてもいいな」
「だが我々の求めるルートでは忍野とは会えない」
「遡らないと無理だな、だとするとこのルートは以外にも生存決定ルートなのかもしれないなぁ…」
「今度行き詰まったときにでもこのルート攻略してみるか」
「だな」

セルは時空の扉を開いて、菊弘を連れだって去ってしまった。
二人の旅は続く。







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