詐欺師は予知夢を見ない


「怖い夢を見るのか、悪夢を見るのか?」

俺の隣で、菊弘が運動後のストレッチをしている。このストレッチをやるやらないで明日起きたときのコンディションが大分違うらしい。
ぎ、ぎ、とベッドが軋むので、俺の体はそれに合わせて少し揺れる。この揺れで俺は心地好い眠りに入るところだったのだが、菊弘が急に会話をしてきた。
おかしな尋ね方だな、と思った。
だから俺は答えではなく質問で返した。

「怖い夢と悪夢は別なのか」
「別だろ」
案外すんなりと答えられて俺は驚く。もう少し迷うところではないのか。
俺の認識では特に怖い夢と悪夢は同じものだったので菊弘がただ単に言い間違いをしたと思ったのだが。
「どちらも同じ夢だぞ」
俺はしっかりと覚醒し、ストレッチをする菊弘に隣り合うように座った。
軽くシャワーを浴びたその裸体のままで、菊弘は足を伸ばしている。それを真似して俺も同じようなストレッチをする。
へとへとに疲れていたはずの体が、優しく柔らかく伸びていく感じがして気持ちが良い。この感覚は学生の時以来だ。
「夢と分類するなら同じだがまるで内容が違うじゃないか、君はほんとそういうことに疎いねえ」
「怖い夢も悪夢も不快な夢だろうに。内容もなにも」
「怖い夢はどういう夢だ、言ってみろ」
「…………」
俺は答えたくなくて黙り混む。
二人の息遣いがしばらく空間を支配した。
「言葉の使い方として考えてみろ。私が道中で恐怖を感じるものと出会い怖がる、わー怖い!となんやかんやで目が覚める。これは怖い夢、分かるな?」

俺は菊弘が道端で猫を見つけるところを想像した。彼女が猫を嫌っていても怖がっていても何故か猫はいじらしく鳴いてすり寄るのだ。
「怖い夢だな」

猫に近寄られて、まるでゾンビや猛獣に囲まれている人のように悲鳴を上げ鳥肌を立たせ体を震わせる菊弘を想像して、俺は少し言葉に笑みを含んでしまう。
あざとく気付いた菊弘は俺を睨むが、そのまま話を続けた。

「私が道中、急に動けなくなる。体は動かないのに意識がはっきりしている。でもどんどん体が減っていく感じがしている、どう考えても異常だ。誰も助けてくれない。いや助けようとしてくれてるのかもしれないが私にはそれが分からないし、どうしようもできない」

「怖い、夢じゃないのかそれは」

「怖いとは感じている、しかしそれ夢ではない。悪夢だ」

「は?」

頭の悪い一言だった。
だが到底理解しきれない説にクエスチョンしか浮かばない、しかもそのクエスチョンははっきりと言葉にならない。

「怖い夢と悪夢を使った短文を作ってみろ」

急にまた新しい設問が増えたが、それが恐らく答えに繋がるヒントになりうると考え、俺は素直に応じる。

「…昨日私は、怖い夢を見ました」
「夢の内容も付け足して」
猫が寄ってくる、という内容にしようとしたがこれが学校などで出される国語の問題であるのなら、一般的に怖いとされるものが登場する夢にした方が良いと思ったので安直に幽霊の出る夢にする。

「昨日私は、幽霊の出る怖い夢を見ました」

「お手本解答でよろしい。じゃあ悪夢を」

「昨日私は幽霊の出る悪夢を…」
俺は同じで良いと思って例文を併用した。が、なんだか居心地の悪さを感じてとどまる。
俺は怖い夢も悪夢も同じだと言った。
だから同じように幽霊出演の夢も悪夢でいいはずだ。
しかしどうしても菊弘の供述した<悪夢>がひっかかった。
だからやはり答えの前に質問で返す。
「お前の言う悪夢は、何故それを悪夢と定義付けたんだ?怖い怖くないじゃないだろう」
「そうだな、怖い夢も悪夢もどちらも怖いと感じた。だが怖い夢は目が覚めて“あー怖かった”と思って夢であったことに安心した。だが悪夢は」
「覚めてない…!」

思わず大きな声が出た。
その声の大きさに俺は自分で驚き、鼓動がどんどん早くなって行くのを感じた。
菊弘もそれに驚いたらしく、ストレッチをやめて俺に向かい合った。
覚めてない、俺は菊弘の言葉を思いだし口にした。怖い夢は覚めたと話した。
悪夢は覚めてない。

「覚めたよ、大丈夫。夢だったさ」

肩に菊弘の手が置かれる。
「だが、起きたときに思ったのは“なんだこの夢”という疑問だけで恐怖じゃなかった。まあ内容的には怖いだろうけども私にしてみりゃ猫が出てくる夢の方が怖いからね。他にも悪夢には“何故か知人が現れて消える”とか“鏡の中の私が幼くなってる”とか恐怖より先に、何故こんな夢をみたのだろうと感じるものばかりだ」

「じゃあそれは、一般論や客観的な意見を考慮するかぎり…悪夢と言うより不思議な夢、じゃないか?」

「世論はそうさ、嬉しい夢以外の夢…不快な夢はひっくるめて悪夢と言われる。だが悪夢という言葉は他にも使い方があるだろ」

言うと菊弘は手元にあった俺のケータイを取り、勝手にいじり始めた。
別に慣れたことなので、最早俺は苦言を呈しない。
ほら、と菊弘はケータイの液晶を見せた。
ネットで辞書のページを開いたらしい。


悪夢〔名〕
二度と見たくないような、いやな夢。不吉で恐ろしい夢の類をいう。
「悪夢から覚める(=自覚せずに行ってきた悪に気づく)」
夢でしか起こりえないような恐ろしい現実。「悪夢の一週間が過ぎた」

現実。
俺は菊弘の言わんとしていることに気が付いた。
「そう、悪夢は現実で起こりうる不吉なことを指す。私は」

体が動かない。
意識ははっきりとしている。
体が、減っていく感覚。
誰も助けてくれない。
でも誰かが助けてくれようとしている。気がする。
分からない。
どうしようもできない。
知人が現れて、消える。
鏡の中の自分が幼くなってる。

「私は悪夢を、現実で起こりうる未来の出来事であると思っているよ」

予知夢。

それは予知夢というのではないか。
「すなわちお前は予知夢を見れて、それは悪夢だと言うんだな?」
「うんまあそういうことだね」
「予知夢には、良い内容は無いのか」
「君は予知夢を本当に未来を予測する能力の産物だと思っているのか?だとすると最早この話題は私と君とでは認識が違いすぎるので話にならんな」
「お前の認識を説明しつつ話を進めてくれたらいい、俺はもう何も言わない」
「そもそも夢は誰が見せている?脳だ。人間の脳に未来を予測する超人的な力があると思うか?無いだろ。はっきり断言する、無い。予知夢が当たった実例が出たとしてもそれは理詰めで論破できるぞ。予知夢が当たったと思うのはいつだ?その夢を見た後のことだ、見た後で、分かりきった後で、経験した後で“ああ、この前見た夢は予知夢だったんだ”と始めてその時不思議な夢が予知夢に変化する」

「宝くじがあたった予知夢とか…」
俺はいつもの癖でちゃちゃを入れてしまう。
「後付けじゃん、そんなの」
「確証はあるのか、後付けという」
「そもそも夢だろ?そんなにはっきり覚えてる?覚えて無いだろ。覚えてると言い張られてもそれを確かめる証拠がない、その人の脳が見せた幻覚が証拠なんだからな。訴える方もそれを立証せよと言う方も、戦える根拠はあれどまさに机上の空論なわけだ」
「じゃあお前の言うその予知夢ってのは」
「あのねえ、私がいつ自分の見た夢が予知夢だなんて言ったよ。悪夢だと言ってるじゃん」

わけがわからん。
俺は掛け布団を羽織った。

「予知夢を否定してるがね、順序が逆なんだよ。さっきも言った通り過去に見た幻覚が未来の出来事であることは証明できないんだよ。未来の出来事だとは言うが、なぜそれを現在に結びつけれるんだ?」
「宝くじが当たった夢を見て、宝くじを買おうと思って、当たったんだろ?それは」
「超常現象じゃないかってか。起きてるじゃん。起きて自分で宝くじを買うって思ってるじゃん。それで当たったから予知夢なわけじゃん。じゃあ宝くじ買おうと思って買って当たらなかったら予知夢じゃないじゃん。過去の時点で予知夢を見てるのに、現在の結果次第で予知夢の有無が決まるのはおかしいじゃん。順序が逆じゃん」

じゃんじゃんじゅんじゅんじょん…
頭が痛くなってくる。
「言いたいことはなんとなく分かった、脳が未来を予測しているのではなく脳が未来を決めようとしているってことだな」

これも机上の空論だが。
宝くじが当たる夢を見る。
予知夢だ、未来の出来事だ!と思い宝くじを買う。
ここでその宝くじが当たれば夢は本当に予知夢になる。
宝くじが当たる夢を見る。
ラッキーな夢を見たな、とは思う。
だが宝くじは買わない。
買わなければ当たらない。
夢は、夢で終わる。


二分の一の確率だ。
選択肢があって、それを自分で意図的に選ぶ。
夢に沿いたいなら“予知夢”に従えばいい。
夢を否定したいのなら回避する手段を選べばいい。

「で、話元に戻すけど。現実に夢の内容が起こるのが悪夢なわけだ。不吉な夢。じゃあそれはそうならないように脳が見せた、第六感的なものならいい。事故に会う夢を見せて車に気を付けようとなるなら良いじゃないか、な?でも」

でも。
俺はさっき菊弘が言った悪夢の内容を思い出す。
確かに現実に起こりうる内容だ。
体が動かないのは事故か病気か。
知人が現れて消えるのは、その知人に何かアクシデントが起きるのか、それとも知人のせいで自分に何か起きるのか。

「鏡の、中の…」
俺は言葉に詰まった。
現実では起こらないことだ。なのに菊弘はそれを怖い夢とは言わずに、悪夢だと言った。
起こったのだ。
現実に、夢で見たことが起きたから、菊弘はそれを悪夢と決めた。夢は順序が逆なのだから。

俺が黙り込んだから心配になったのか、菊弘は肩を揺すってきた。
「おい、何をビビってんだ」
「その悪夢ってのはその、お前が死んでから見たんだよな」
死んでから、とはなんだかおかしな話だが、実際彼女は一度死んで、そして甦っている。
それなら、菊弘は若い時の自分に戻っていた時期があったのでその悪夢はそれを示唆していると俺は考えたのだ。

「え?生前だけど?って生前って言葉もおかしいけどな」
菊弘は笑いながら言った。
正直に言う、俺はビビっていた。わけがわからん。
わけがわからんが菊弘はそれをさも当然、自然の摂理とばかりにさらっと言ったのでその言動さえ怖く感じた。
それを察して菊弘はにやりと笑うと
「まあ生前のことだから、もう解決した話だ。気にするなよ」
いつか話してやる、と本人は励ましたつもりなのだろうが俺は肝が冷えただけで別に元気にはならなかった。

「ところで一番最初に戻るが。怖い夢を見るのか?悪夢を…不吉な予知夢を見るのか?」
そう、そういう話から始まったのだ。
しかしその問いには俺は黙るしかない。
黙秘を徹底するために羽織っていた掛け布団をフワッと翻して、俺はそのままベッドに横たわった。
菊弘は声を上げて笑うと、俺の背中を撫でながら言った。

「ま、悪夢の対処法は分かっただろ?現実で選択肢を間違わないことだ。怖い夢はな、怖いと思ったときに私が助けてやるから。な?怖い夢をお前が見るときは私が助けてやるよ、だから大丈夫だ。安心して眠れ、な」

最近嫌にリアルで怖い夢を見る。
荒廃した世界で仲間たちと生活をしているのだが、仲間が奴等にやられてしまってやがて俺一人になる。
一人になると急に心細くなって、俺は夢の中で奴等に追いかけ回されながら泣いている。
怯えている。
怖い。
孤独が、怖い。
町も人も物もやけにリアルなせいで、これは現実なのではないかと思う。
夢から覚めても、その恐怖が付きまとい眠りたくなくなった。眠るとしても熟睡して脳が夢を見せる暇など無いようにしたい。
だからここ数日俺は結構しつこかったしハードだったんだと思う。なにが?とは聞くな俺は知らん。
菊弘はそれで気付いたのか分からないが、ああいう話をしてくれた。

なんだよ、怖い夢を見たら助けてやるって。
うなされていたら起こしてくれるのだろうか。
そんな風に背中を撫でられながら色々と考えていると、いつの間にか眠ってしまっていた。
怖い夢を見て俺は気付く、眠ってしまった、と。

奴等に追いかけ回されながら、俺は誰かに助けを求めていた。
誰だかは分からない。俺には、この世界には俺以外奴等しかいない。
しかし逃げ回る俺の背後で、いつもの夢とは違う気配がした。
奴等の列に黒光りするハーレーが飛び込んできて、奴等の血を、乾いた体の破片を浴びながら銀に光る剣を振り回していた。
奴等が半数になると、ハーレーから飛び降りてわざと燃料タンクに銃弾を撃ち込んだ。爆風に煽られ、空中で舞い、スタッと着地。そしてかっこよくポーズを決めた。
だっさい子供向けのヒーローのように、彼女は言うのだった。

「助けてやるって言っただろ」



それから怖い夢は見なくなった。






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