詐欺師の手には目がひとつずつ


詐欺師とは何をもって詐欺師と云うのか。
他人に嘘を付き信頼を得て、そしてその信頼を裏切る。他人へ益をしめしておきながらそれを約束した振りをし渡さない。とかく他人へ嘘をつくこと、それだけで詐欺を働く人詐欺師となるのだと俺は思う。俺が俺自身が詐欺師を名乗っているわけではないのだが行っているのはそういうことだ、詐欺師だ。嘘を付いて他人を騙し利益を奪っていく。大金を奪うときもあれば小さく騙し数で大きく奪うときもある。敵は多い。一度騙した相手、つまり敵には絶対に会わないようにしている。困るのが未だ敵になっていないはずのクライアント、依頼人の時点で敵になってしまうこと。今回の件もそうだった。
「しかし貝木さん。これは本当に効くのでしょうか」
「ええ松井さん効きます、効くから私がこうやってあなたにお教えしている」
俺はなんともまあわざとらしくオーバーリアクションで応えてやる。わざとらしい方がいいときがある。
「もし効かなければ」
「もし、もしもこのお呪いが効かなければ…それはわたしではどうしようも出来ません。わたしが直接力を使うわけではないのですから。このお呪いというのは呪術を行う張本人の心がけ、それただひとつなのです。おかしな不信感から心がけを劣り呪術が完成しなかった場合はわたしのせいにはならない、力を信じなかった、あなた自身の力を信じなかったあなたの責任だ」
「はい、分かって…おります」
中学生の息子を持つ至って平凡な母親。集荷のピッキングのパートで家計を助けている。父親はお決まりのろくでもない男で定職に付かないギャンブルばっかり借金ばっかりのダメ親父。俺が言うのもあれだが最低の男だな。そんな父親の息子はそれに反発して反抗期。しかし敵意は弱者に向かう。母親は夫や息子からの言葉の暴力だのなんだののオンパレード。弱った心は詐欺師に見つかりまんまと騙される。
「ですが、未だに分かりません…なぜあなたがわたしに手助けをして…あ、いやとても嬉しいです、ありがたいことです。貝木さんが私に好意で助けを差し伸べてくださるのは。しかし」
「分からないと云いますけどあなたは自分で答えを言っているじゃあないですか。私の好意、ただそれだけですよ」
今回のこのターゲットは中学生相手に広めていたお呪いというやつを、大人の界隈でも広めてやろうと踏んだ一段階目だった。この母親から主婦間のネットワークでじわじわと広がれば色々な応用が生まれターゲットが増えやすくなる。大きな仕事になるだろうとするその一歩手前、そこで早速俺は躓いていた。ころころと騙されるかと思いきや自分の不安などの感情で疑心暗鬼になり詐欺師への疑いが強くなる。変に疑い深いターゲットだった。
「そんなに疑われるのは私も流石に傷つきます…」
俺は本心を隠さずに、まあ取り繕って弱弱しく言った。母親は敏感にその感情を読み取る。すぐにフォローしてきた。
「も、申し訳ありません。違うのです、わたしはそういった好意を素直には受け入れることが出来ないのです…ごめんなさい」
「まあ疑わしいのは分かりますよ、そりゃあそうですよね。こんな風に都合の良いことが」
「いえ、違うのです」
俺の言葉をはっきりと否定した。
「わたしは目が少し不自由なものですから、騙されることが多いのです」
「…………はい?」
全く気付かなかった。しまった。俺は素直に自分の失敗を認め後悔した。傷を負った獣は警戒心が強い。それは人間も同じだ。健常者ではないもの、自らに先天的後天的障害があればそれを利用しようと近づくものは多い。そして純粋な人間はまんまと騙される。これは参った。俺はとんでもないミスを犯した。そうそうにこの件から身を引かねばならない。
「貝木さんに失礼なことを言いました、これではまるで貝木さんを詐欺師と決め付けたような言い方でした…ごめんなさい」
絶望した。



※※※


「で、まんまと逃げ帰ったと」
熊谷菊弘は見下したような笑みを浮かべた。こいつお得意の、人を小馬鹿にしたようなにやついた顔…それよりももっと馬鹿にしたように凶悪に顔を歪め笑っている。少し汗で濡れたその黒髪は幼さの象徴である。本来俺と同じくらいであるはずの―否、むしろもっと年老いているはずのその体は十七歳の体である。とある影響を受けていて…まあこの話はいい。とにかく生意気なクソガキである菊弘のことを俺はとても嫌いであることが伝わればよい。
「逃げ帰ったとは誰も一言も言っていない次に会う約束を取り付けて帰ってきたと話したんだ相変わらず話を聞いていないようだなお前の悪い癖だ」
「理解力がすさまじくて申し訳ない、貴様の話したことを想像した上で正確に判断したのが逃げ帰ってきたという結果だったのだが違ったのか、それはすまなかった。でもまあ泥舟くんとしては?今日のうちに決着をつけるつもりだったのだろうから?これは失敗だなミスだ貴様の過ちだな」
「俺は念には念を重ねただけであって失敗して逃げ帰ってきたわけではないと言葉にしないと分からないようだな菊弘。ここのホテルのスウィート、お前の分を支払っているのは俺だというのを忘れてもらっては困るな、忘れたわけじゃあないだろうな」
「なぜお金のことが出てくるのだ。ああ、これだから金の亡者は話がかみ合わない、なんでもかんでもお金のせいだ」
「話をどんどん逸らしているのはお前の方だと何故気付かない?俺の収入は他人を騙すこと、詐欺を働くことで成り立っているんだから関連性の無いことは話していない」
「貴様の詐欺が失敗しそうだから私の生活する術が無くなりそうですよ、手を貸してください菊弘様ってわけかね?」
違う。
「お前も目が見えない身としてどうだ、まあ今は見えているだろうが元々右目は見えないのだろう?得体の知れない好意を受けるというのはどう感じる?と素直に質問をしたいところだった。それだけだ」
十七歳の体でなければ菊弘は右目を怪我していて前髪でそれを隠している。見えていないと本人は話していたが詳しくは知らない。
俺は重苦しいジャケットを脱ぐとベッドに腰掛けた。これから丁度シャワーを浴びるところであったのだろう菊弘はインナー一枚にバスタオルを抱えて突っ立っている。隣に座るように促すと長居はしないと云った感じで踵を返した。
「簡単だ、見えないものは怖い。それだけだ」
それだけ言ってバスルームへと消える。俺は外であくせく働いているのだが菊弘は何もしていないはず、なのに肉体労働をして帰ってくる。相変わらず何をしているのか全く読めない。俺の仕事に関与しない、邪魔をしないということは確約を結んでいるので確かだがとにかく怪しい女なので油断ならない。そんな敵とも言える人間と仲良くホテル暮らしをしている理由は簡単だ、利用価値があるから。ただそれだけである。知識の量が桁外れであり、呪術のスペシャリストである。これは詐欺に利用できる。大変有り難い。しかし菊弘は俺が犯罪を犯すことを良くは思っていない。だから肝心なことは秘密にし単純なものしか話さない。だがそれでいい、詐欺師はそこからどんどん創り出して行けるのだから。
俺は今回のターゲットである松井八代(まついやしろ)五十三歳のことを振り返る。
思えば彼女は俺が中学生のことを探っているときにたまたま出合った人物で所謂モブであった。教育委員会を名乗り家庭調査の一環ですと出鱈目を並べるとそれに食い付いて来た。モブからカモに変わったのだ。何のことは無い、家庭調査と聞いて自分の置かれている残酷な状況を愚痴りだした、ただそれだけ。だが俺はそこに目を付け、何度目かの相談を聞き例のお呪いを教えたのだ。彼女はすぐにでも実行すると言った。俺は前金をもらう。この金を受け取った時点で俺の仕事は終わり。彼女との関係も終わり。そのはずだった。だが実行前に彼女は怖気づいた。俺のことを疑い、否―自分に向けられる好意を疑い彼女は躊躇った。金を渡すことではなく、俺自身を。俺が詐欺師であると疑った。しかしすぐにそれは自分の気の迷い、気のせいだと言って俺を疑うことを止めたが最後にぼそりと呟いた言葉が引っかかった。


「私はテノメですから」



※※※

にちゃり。
にちゃり、にちゃり。
粘着質のものが手の中で蠢いている。あっちを、こっちを。きょろきょろと。
手のひらの中心に目がある。
俺の目と同じ目が。俺を見ている。視ている。
やめろ、こっちを視るんじゃない。
たまらなくなって俺は両手でその目をすり潰した。血は出ないが涙が出た。

どっちの目から?




「おい、おい泥舟くん」
菊弘の声で目が覚めた。俺は気だるい体を起こす。
「疲れているんじゃないか、私がだいたい三十分シャワー行ってる時間で熟睡とは」
「…熟睡どころか悪夢を見た気がする」
「そうかそれは本当に疲れているじゃないか、早くさっぱりしてしまいなよ」
意外にも優しい言葉を掛けるが菊弘に他意は無い。本当にそう思っているから口にしているだけで悪意も善意も無い。そういうやつだ。
「なあ菊弘、テノメって知ってるか」
俺は柄にも無く自分で調べれば済むようなものを他人に聞くことで楽をしようとしてしまった。
「テノメ?それは手のひらの手に目玉の目で手の目かい」
「いや、どういった字を書くのかは分からん。さっき話した女が言っていた言葉で、はっきりと聞いたわけじゃない。テノメだったかも分からん」
菊弘は怪訝そうな顔をしたがすぐに答えた。
「妖怪に手の目というのは居るね、それがそうとは分からないが手の目と言われたらそれくらいしか思い浮かばない。両手に目がある座頭の形で描かれる。座頭ってのは分かるか?座頭一って映画あるようにまあ盲目の人のことだ。その人、自分のことを手の目と言ったのか。面白いな」
「何が面白い?」
「手の目とはまあ、詐欺師ということだから。どっちかというとお前のことじゃないか」
菊弘は結論から話すからある程度の話の過程を飛ばす。明瞭といえば明瞭だが深く知りたいときはとても不便だ。逐一聞かないと答えてくれない。分かっているのなら全てを懇切丁寧に分かりやすく話すべきだ。でも菊弘はそれをしない。
「詐欺師のことを妖怪に見立てて手の目というのか?由縁は?」
「えーーーーっと、たしかあれは…ってちょっと待て私を妖怪博士扱いするな。自分でケータイででも調べれば詳しいことが分かるだろうに」
「人の言葉で聞くほうが早いだろ知っているのなら知っていることを全て話せ」
「はぁあ…全く現代っ子は何でもかんでも他人頼りで困ったものだねぇ。さっきも言ったが手の目は座頭姿…で両目が両手の平ひとつずつつついている妖怪だ。『画図百鬼夜行』っていう画集には解説文がないために詳細は不明だが、江戸時代の怪談集『諸国百物語』には『ばけ物に骨をぬかれし人の事』と題し、石燕―鳥山石燕な?知ってるか?まあいいや。その石燕の描いた手の目をモデルにしたといわれる京都の怪談があって。ある男が墓場に肝試しに行ったら、80歳くらいの老人の化け物に襲われて、その化け物には手の平に目玉があったとさ。男は物陰に隠れたけど、化け物は追いかけて来た。そして男は体から骨を抜き取られて皮だけになってましたとさ。まさに骨までしゃぶられたわけだ。私はこの辺のエピソードが詐欺師を模しているとは思うけどね。それと、九州に保管してある絵巻の『百鬼夜行絵巻』には、手の目をモチーフとした『手目坊主』なる妖怪画があり、これは『化けの皮がはげる』という言葉遊びで描かれたものと言われているとか。目のついた手を上げている様子は、悪巧みやイカサマを明かすことを意味する‘手目を上げる’に通じ、坊主頭は‘はげる’や勝負の負けを意味する‘坊主になる’という言い回しに通じるという、まあ言葉遊びだねえ。のちのち『画図百鬼夜行』の「手の目」には背景に月とススキの野原が描かれているわけだが、月は花札の「坊主」、ススキは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の洒落ってわけ。幽霊の正体は風に揺れたススキでした〜というやつね。まあ石燕は洒落でこういうの好きなんだわ。もうひとつ、東北に伝わる怪談では、ある旅人が夜に野原を歩いていたところ、盲人が近づいて来ました。その盲人の両手の平に目玉がありまして、その目で何かを捜している様子でした。そんなもんで旅人は驚いて逃げ出し、宿へ駆け込みました。宿の主人に事情を話したところ、主人が言うには『そいつは…こんな顔でしたかい?』と………笑うところだぞ、これだと狢の怪だよ馬鹿野郎とツッコミを入れるところだ。まあいい、続きだ。あの場所では数日前に盲人が悪党に殺されて金を奪われて、その盲人が悪党たちの顔を一目見たい、目が見えないのならせめて手に目があれば!という強い怨みが手の目という妖怪になったのでありまして…と。要参照ウィキペディア」
「なんだ最後の要参照って。ネットで手に入る情報なのかよ」
「作者の怠惰の結果、コピーアンドペーストなわけだ。まあ話したとおり詐欺師を模した妖怪を手の目と言ったり、盲目の人が恨みを持って現れた怪であり、と。例の女性が自分は手の目であると言ったならどちらの意味と取ればいいのだろうな?」
菊弘はそこで話を切り上げ、俺をバスルームへと追いやった。俺は熱い湯を浴びながら考える。俺は妖怪や怪異の類は信じないが、相手が信じているというのなら騙しやすくて有り難い。存在しないものを信じるというのなら、いとも容易く誘い出せる。手の目に関することはある程度頭に入ったのでこの話題で話を進めていった方がいいだろう。個人的にも松井八代が己のことを手の目と言ったことが気になっている。目が少し不自由と言ったがそういった傾向は見られなかった。俺の顔を認識しているようだし、確かにどこか虚ろだったような気もするが全く見えていないというわけではなさそうだった。

「はい、全く見えていないというわけではありません」
後日再び会った時に松井八代はきっぱりとそう答えた。
「しかし松井さんはご自身を手の目とおっしゃいませんでしたか?確か手の目って目が見えない盲目の妖怪のことじゃありませんでしたっけ?」
あえて少しだけ知っていて詳しくは知らない体を装う。
「手の目、詳しく知りませんか?まあ貝木さんの言うとおり盲目の妖怪なのですけれど…。何故私が自分を手の目であると言うのは、母に言われてそう思うようになりました……ってすごくつまらない話ですけど」
「いいえ、松井さんのお話を聞きたいのでどうぞたくさん話してください」
とでも言ってやれば女はほいほい口を開くのだ。
「えっと…その、私って医学的に目が悪いわけじゃないんですよ。視力検査はもちろん精密検査で異常が出たことなんかありません。でも、見えないんです。見えない、時があるんです。困ったもので病気でもなんでもないから治しようがないじゃないですか。それでも日常生活で不便だったりするから…精神的なものじゃないかって言われてたんですけどね…。ある日そのことで母親が『お前は手の目じゃないんだから』って。後から調べてその手の目のことを知ったんですけど。母が言いたかったのは『あんたは目が見えていないわけじゃないんだから』って。見えない振りをするんじゃないってとなんでしょうね」
松井八代の話は自分から見たものばかりで憶測で、正しいことがどれなのか全く分からなかった。母親の真意は結局分かっていないし、手の目に関しては‘目の見えない化物で、両手に目が付いている’という認識だ。まああえてここで正しいことを教えてやることもないのでそのまま話を進めた。
「目が見えない、ってことはなんとなく分かりましたが…じゃあ手のひらの目は?何かその手の目という妖怪のようなことがあるんですか?」
「はい、それはもう母が死んでほんと時間が経ってからですけど…見えない時はこうやってね、手を翳すと分かるようになったんです」
まあ錯覚なんだろうが。
「だから私は、手の目なんですよ」
「松井さんは化物ではないと思っていますよわたしは。だからそれを気に病んだりすることはないですよ、特にわたしがお教えしたお呪いには関係の無いことだと思います」
これでサヨナラできる。気のせいですよと言うよりも一度肯定して大丈夫だと伝え、今回の呪術には関係ないと断言してしまう。そうすれば俺もここで退場できる。
「そうでしょうか。だって、これって特殊じゃないですか…そんな、私が、お呪いで…お呪いを使ってしまうと」
簡単にはいかないようだ。
「…では、そこまでご不安というならまたお会いしましょう。私がアフターケアーをします。手の目をどうにかすることは出来ませんがお呪いのことは」
松井八代は俺の言葉を聞いて‘待ってました’というような渇望の目をした。もうこいつはカモではない。鬱陶しい客だ招かざる客だ。とっととお帰りいただこう。とは言うが俺が逃げるだけだが。逃げ帰るのではない、詐欺師のひとつの手段として逃げるのだ。それだけだ。
「お呪いのことはわたしに任せてください、じゃあ今日はこれで」
にちゃり。手の中で粘着質なものが蠢いた。



※※※


やはり菊弘は汗をかいていた。
「で、どうだったよ。手の目は落としたかい」
「手の目をどうにかするのは俺の仕事じゃないしそれにあの女は自分からそいつをどうにかするつもりはないようだぜ。被害者の悦ってやつだな悲劇のヒロイン。よくあるパターンだ」
俺は重苦しいコートを脱ぐ。すると菊弘は昨日と同じようにバスタオルを抱えてバスルームへ消えるところだったのを止めてベッドに腰を下ろした。長居する気のようだ。だが今日は俺が早くシャワーを浴びたかったのでなんとなくタイミングの悪い奴だなと嫌な気持ちになった。
「その女性を騙すつもりならば手の目を一度離さないとずっと貴様に付きまとうことになるぜ?なんせ貴様も手の目なんだからね。今日もまた後日会う約束をこじつけられたんだろうよ」
「ならお前にお願いするとしよう、その手の目とやらはな。俺はもう松井に呪いを教えて前金も頂いてる。俺の出番は終わりにしてアフターケアーとして菊弘、お前にやってもらおう」
言いながら汗で張り付いたシャツのボタンを外す。菊弘が入ろうとしていただろうが構わない。俺が先にシャワーを浴びさせてもらう。俺はそれ一心を考えていたので菊弘が俺の手を凝視しているのに気付かなかった。そして菊弘はそのまま俺の手を掴んだ。冬の寒い季節にしては温かすぎるその手は、俺の冷えた体にはびっくりするくらいの温度だった。
「…なんだ」
驚きを表に出さないように静かに菊弘を見た。菊弘は俺の手のひらをじっと見つめているだけで何も言わない。不安になる。不安になるとあの不快感がよみがえる。にちゃり。
「案外手に汗かくような神経質なのねぇ」
「手に、汗…だと」
はっとした。
「いや、人を騙すような男だから感情はコントロールするとは思うけどさ。俗に言うこれは体は素直じゃねえか…うへへへへってやつだね。緊張すると手汗が凄い」
「冬だから余計に、だ。特に多汗症でも無いはずだ」
「ま、今回厄介な相手みたいだし、内心焦ってるようだね。貴様の手の目はこれで落としたから大丈夫だろうけど」
「はあ?」
だからこいつは結論しか言わないから全く要領得ない。
「あのね、詐欺師は手の目だって私が言ったから貴様は自分を手の目だと思った。だから手に汗かいて余計に錯覚した。つまりはそう。その松井八代って人もそうさ。母親に言われたんならそうなんだよ、彼女の中では。何度も何度も説教するみたいに言うが言葉は呪いだ、そう言ってしまえばそうなのだよ」
「………」
言葉の力はそれはもう身を持って知っているつもりだ。
「彼女も貴様が貴様自身がアフターケアをやると言ってしまったのだから貴様がやるしかない。アフターケア、つまりアクシデントの尻拭い。ということは?アクシデントが起きることが決まったわけだ彼女の中で。やってしまったねえ泥舟くん」
悪魔は笑った。すると示し合わせたかのように俺のケータイが鳴った。相手は勿論、松井八代だ。
「貝木さん、私どうしたら、どうしたらいいのでしょう」
酷く落ち着きの無い様子で電話越しの松井八代は言う。震える声。荒い息遣い。俺は最悪の状況を思い描く。まさかこの女、お呪いを―否、命を。
「夫が倒れて病院へ運ばれて」
…俺の考えすぎだったようだ。パチンコをやっていると松井八代の夫は急に苦しみだして店員によって呼ばれた救急車に運ばれ今は病院で検査しているという。そして松井八代はそれを自分が行った呪術、お呪いのせいだと言う。まあ最初から夫に使うつもりでいたようだが迷いに迷って未だ決心はつかぬままとりあえず行ったのだと言う。自分の心がけが足りなかったと、松井八代は慌てている。
「夫は、夫は助かってしまった!!」
「落ち着いて下さい松井さん、私は確かに心がけが足りないといけないとは言ったが、それが、お呪いが人の命を奪う力を持つわけではな」
「殺せないの!?おまじないじゃあころせないんですか!!」
金切り声が響く。電話口でこんなにも喧しいのだから周りの反応は尋常じゃないだろう。病院にいるのかそれとも自宅なのか。俺は相手の慌てぶりに柄にも無く影響を受け、冷静な判断が出来なかった。この電話だって出なくても良かったのだ。無視してこのままこの街から出るのが最良だったのだ。それなのに俺はこの女に執着してしまった、否―執着されてしまった。
「とにかく、電話ではなく会いましょうか松井さん」
手の目に俺は惹きつけられている。
「お電話を代わりました、初めまして松井八代さん。わたくし貝木砂櫂と申します。今回の呪術に関する最高責任者であり、」
菊弘はお決まりの偽名を名乗った。いつの間にやら俺の電話の回線を横取りし自分のご自慢の違法改造イリジウム携帯でぺらぺらと話をしている。
「呪術のスペシャリストです」
「え…貝木?さかい?さん…ええっと苗字が貝木で」
「サカイは砂漠の砂に船のオールの櫂で砂櫂です。まあ電話でお話するのもなんですし今から泥舟とそちらに伺いますね」
菊弘はにこにこと電話口だというのに営業スマイルを忘れない。成りきっているのだ、貝木砂櫂とやらに。蚊帳の外になってしまった俺は菊弘を見つめる。なんだかんだ言って甘い奴だ、こうして助けてくれるのだ無償で。後々何か請求されるかもしれないが俺はお願いとして頼んだんだ。そこに金銭は発生しないそのはずだその通りだ。
というわけで俺と菊弘は松井八代の実家がある九州の田舎へとやってきたのだった。自宅か夫の居る病院かというヤマは外れ、辺鄙な地へ向かうと聞いたときには良くもまあそんなことまで分かるなと正直感心した。そういえば手の目の話で九州のことが出てきた気がするがまさかそこで判断したのか、こいつは。訳が分からん。菊弘が言うには俺は何も言わずただ隣で黙ってみているだけでいいと。
「何故、ここに―九州の私の実家にいると分かったのですか…」
松井八代は古びた一軒家のお世辞にも片付いているとはいえないくたびれた和室に座っていた。
「まあそれはわたくしには分かるのです。泥舟から話はだいたい聞いておりますから全部分かっています。貴女がどうしたいのか、どうして欲しいのか」
菊弘はいつもの学生服ではなく、スーツ姿だった。どこで拵えたのかは分からないが本人の体にぴったりと合っているのでオーダメイドであり高級なものであることは一目で分かる。あえて髪はオールバックにして綺麗にまとめている。爽やかな印象からは、呪術のスペシャリストであることが全く分からない。
「砂櫂さん…どうしたらいいのですか私は。お呪い、失敗してしまったので私にバチが当たるのですか」
「まずですね松井さん、貴女の呪術は失敗していません」
菊弘は松井八代の目の前に正座し、項垂れたその肩に手を添えた。優しく、語りかける。
「呪術というのは必ずしも術者の目的を達成しないと発動したことにはならないのですよ。貴女は旦那様のお命を奪うためにお呪いを行っている。ではまだその呪術は完成していない、旦那様が倒れたのは偶然です」
こうも言い切ってしまう神経が信じられない。こいつは自分の言葉の責任を取るつもりが無い。まあそれは俺もそうなんだが。
「ぐう、ぜん…ですか」
「はい偶然です。なのでこれからもお呪いは続けるべきです、ここで止めてしまってはせっかく貴女が思い続けた力が無効になってしまいますからね。それよりも大切なことはまず、松井八代さん貴女の手の目を落としましょう。それが貴女の精神面を回復させるための一番の良い方法です」
手の目、という単語が出て松井八代ははっとした。
「そうです…手の目を、どうにかしないと私は…」
「大丈夫ですよ、松井さん。貴女の手の目は落とせる。いとも簡単に」
「お、落とすっていうのはどういう…お金が掛かるのですか」
「落とすというのは汚れを落とすというような意味合いと同じです。憑き物落とし、というものは聞いたことがありませんか?もっと簡単に言えば幽霊退治だとか、ゴーストバスターだとかそういうものです」
ゴーストバスターと言う時に菊弘は俺のほうを見た。俺はこの茶番劇に全く必要の無い人間だ。存在していることが嘘みたいで、松井八代には俺が見えていないかのようにまっすぐ菊弘のみを見ている。
「まず貴女はお母様に手の目じゃないんだからと言われたそうですが、それはどういった状況で言われたのですか」
松井八代はまだ学生の頃、目が見えない時があった。それは決まって同じような状況で彼女は同じ言い訳をした。見えないから触って確かめただけだ、と。彼女は万引きの常習犯だった。彼女は本当に見えていないから触っているだけ。だが客観的に普通に常識的に考えればただの言い訳。苦しい言い逃れにしかならない。そんな彼女を見て母親は思う。目の見えない、両手に目の付いた化物。手の目だと。でも彼女は八代は自分の娘であって化物ではない。テノメジャナインダカラ。その言葉は彼女を救うための言葉だったはずだ。だが彼女はそれで正真正銘の手の目になった。忍野や臥煙先輩が言うのならこれは手の目の怪異とでも言うのか。否―これはただの気のせい、思い込みってやつだ。実際菊弘も本当に手の目という妖怪が彼女に乗り移っていてその妖怪が悪さをしているだとかそんなことは考えてもいないだろう。手の目という妖怪の名前を借りて松井八代の呪いを解いている。妖怪という形にはめ込んでそのまま汚れを落とすといっぺんに綺麗に落ちていくのだ。それがこの詐欺師の、いや呪術師のやり方だった。
松井八代の説得じみた何かは一時間も掛からずに終わった。やったことといえば菊弘がただただ話して松井八代がそれに答えて二人だけで納得しそして終わったそれだけだった。俺は只側にいただけで何もしていない。松井八代は最後まで俺を見ることはなかった。その顔についた両の目でも、手のひらの目でも。実際何があったというわけではない、菊弘は松井八代を救ったわけでもない。俺が詐欺師が持ちかけた嘘のお呪いをそのまま続けさせているわけだから救ったわけではない。菊弘の言うにはこのままだといつかは松井八代の夫か息子かが行動を起こし家庭崩壊が起きるのは防げないと。では何故それを救わないのか、詐欺師の俺は勿論そんなことしないが菊弘は人助けが大好きな輩のはずなので不思議だった。だが最近菊弘はもっぱら贔屓がちで俺にしか興味を示さない。俺が何かしらやらかすと必ず首を突っ込んでくる。おかしな奴だ。松井八代は救えないしまた騙した。菊弘が手の目の恐怖を祓い去り、呪術への信仰のみを強めた。こいつがやりたいのはなんだ、世界の破滅か。
「お前が出しゃばってきたから、あっさりとターゲットを奪われるかと思ったが何だ。肩透かしを食らった」
俺は帰りの特急電車の椅子に深く沈みこんで呟いた。
「私がやりたいことは全人類の救済じゃないからな。何度も言うようだがそういう大きな夢を見るのはもう疲れたのだよ。だから私は君だけを助けてあげようと思ってただそうしただけだ」
同じく菊弘も疲れて眠いのか椅子に体を預ける。こんな平日のこんな時間だから回りの人間はまばらで、俺たちは自然と普通に世間話をするかのように話している。
「俺を助ける?だと」
「助けてやったじゃないか、これで松井八代は貝木泥舟のことなんかすっかり頭に無いんだぜ。あの人、私が出た途端に君を見なくなったろ?気付かなかったか?」
「まあそれは…気付いていたが」
「ありがとう位言ったら?君を粘着質なおばさんから離してあげたんだぜ」
「君とか言うな」
それだけ言って、終点まで俺たちは少しだけ眠った。俺の手は相変わらずなんだかしっとりしていたがまあそれは菊弘が馬鹿に高い体温の持ち主で、菊弘の手が熱かったから。そんなのがくっついていたら手に汗くらいはかく。にちゃり、手の目の涙が流れた。


―手の目
―嘘吐きで、欲深い。
因業なのである。しかも、人の欲につけ込んで騙す。狡猾で卑劣なのである。
手に目が開くのは、詐欺を働いているということなのだ。
でも、それは偏(ひとえ)に、非力の証しでもある。
こいつには何も出来ない。何の力もない。
騙される方が悪いのだ。
『京極夏彦画文集 百怪図譜』より








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