詐欺師は鏡に映らない


なんだ?と二人共同時に顔を上げた。
この家は、どこかの扉が開くと空気が動く。

『黙って声をあげず、そのまま二人でくっついていたまえ』
耳元で、凛と声が響いた。ハルアキラだ。
『声を出しちゃいけないと言ってるだろカイキ』
どこに?と言いそうになった俺の口に、ビタアッと紙が張り付いた。剥がすと、半紙のような薄っぺらい人の形をしたものが、ふわふわと空中を泳ぎだす。式、というやつだろうか。
『声を出すと結界が破れる。そのまま黙って息をひそめていてくれ、窃盗犯が姿を表す』
俺と菊弘は、言われたとおり息をひそめた。自然と体を寄せ合う。菊弘が、いつもみたいに片膝を立てて座り直した。俺を庇うように。それで俺は「ああ、菊弘に戻ったのだ」と分かった。

静かな部屋、耳鳴り。静か過ぎるゆえの、空間の音。

がちゃり。ドアノブが動く。
そこからは、男が出てきた。みすぼらしい格好の、太った中年男性。何日も風呂に入っていないのか、肌がぎたぎたと光っていた。しかし、不思議と異臭はしない。気温が低いせいか。
男は、まっすぐにクローゼットへ向かった。タンスを開ける。指紋をつけないように、手袋をしている。中から下着をごっそりと持ち出した。無表情だ。そして長居はせずに、部屋から出ていった。隣の部屋にも入る気配がした。だが、やはりすぐに出ていく。階段を降りて、そして再び。
密閉された家の空気が、動いた。

「…………」
「…………」
二人して、押し黙っている。
『もう大丈夫だ、話してもいい』
ハルアキラの声がする式は、やはり空中で漂った。
「菊弘…お前、さっきのは見えたか?」
見えたのなら、それは<現実>だ。この世に存在するものだ。
「見えた……」
菊弘は、ゆっくりと尻をついてあぐらをかく。
『じゃあこれでこの家に窃盗犯が侵入したことは証明出来るね。のちのち警察にきちんと話してくれ、そしたら窃盗犯の件は片付く。そして芋づる式に、全て片付くよ』
べらべらと捲し立てて、ハルアキラさんの式は突如燃え上がり、灰も残さず消えた。
「あっ!ちょ、待ってくださいハルアキラさん!芋づる式に、とは言いますけど…」
─覗かれてるっていうのは、どういう…。
菊弘の語尾は、弱々しくなって消える。
「…さっきの窃盗犯が覗いてるってことだろう」
俺が言うと、菊弘はむっと顔をしかめた。
「ちがうだろ。よく考えなさいよ、覗けるかい?あの鏡の向こうから」
立ち上がる菊弘、窓に近づいて鏡に触れる。
「この鏡…窓の向こうは壁だ。あんな太った男がひそめるわけがない、ね?」
「二階、だしな…お前の言う通りだ。すまん」
俺は素直に詫びる。
いつもなら、こんな風に謝ったりはしない。なぜだ。なぜ、俺は。
菊弘の隣に並んで、鏡を覗き込む。そっと腰に手を回せば、菊弘が自然と体を寄せて俺にくっついてきた。
菊子だ。
思わず名前を呼びそうになる。鏡に映る、その女の名前を。

そして、背筋が凍った。俺と菊子の間に、何かが居る。視線。2つの目。大きくてくりくりとした、子供の目だった。


突如サイレンが鳴り響いて、俺はハッと我に返った。
「ハルアキラさんかな」
菊子は、俺を促した。二人で歩いていく。階段を降りる。
玄関が開いた。
「囮ご苦労、これからは警察の仕事だ。帰るよ」
ハルアキラは、つまらなさそうに肩をすくめた。
「勝手に帰られてしまうのは困ります、陰陽寮の明成…さん」
メガネの気苦労が多そうなイメージの男、刑事はハルアキラに言う。
「あ、君はたしか…」
菊子が、俺の背後からひょっこりと顔を出した。
「はい、お久しぶりです熊谷さん。セルの友人の浜崎三郎です」
「わたしは帰っても問題ないじゃないか。家の中に居て窃盗犯を目撃したのはこの二人…わたしは関係ない」
「最高責任者は陰陽寮の人だと令が下っていますし…帰られてしまうと困るんです…」
浜崎三郎は、眉を下げた情けな顔で笑いながら言う。
「待ってくださいハルアキラさん、説明をお願いします。窃盗犯…あの男が捕まれば芋づる式に事件が解決するってのは一体…」
「そうですよ、こっちにも簡潔な説明しかしてくれてないじゃないですか」
俺の言葉に浜崎三郎が乗っかってくる。
「探偵ごっこは嫌いなんだけどね…」


階段に座って、ハルアキラは話し始めた。
俺たちは、風呂場とリビング、そして玄関に続く廊下の交差点に立たされている。
「資料を読んだだろう?菊弘、おまえが気になったのは何だった?言ってみなさい」
「…私は、半田家の前に住んでいた黒田さんの前の住人の」
「櫻井家の事件だね」
ハルアキラは、人差し指を立てる。
「櫻井さやかちゃんの失踪、この件を解決すると半田家…視線を感じて窓に鏡をはめ込んだ黒木家の件も解決だ。簡単なことだ、櫻井さやかちゃんは見つかっていない。見つけられなかった。それもそのはず、この家で…いや正しくはこの家の近辺で死んでしまっているからな」
ハルアキラの言葉に、浜崎三郎が目を見開いた。
「すぐに櫻井さやかちゃんの事件を担当していたものに、連絡を取ります」
そして、玄関から出ていく。外には、ランプを消したパトカーが二台止まっていた。隣からやかましい声が聞こえる。隣の家の、林由美だ。
どこまでも野次馬根性らしい。
「続けるぞ。今から話すことは、あとでおまえたちが警察に話せばいいことだ。二度手間はごめんだからね」
ハルアキラは、中指を立てて指を二本にした。
「黒木家の事件…いや、これはまぁ事件にもなってないけども。怪奇現象が起きたのは黒木家から、覗かれているという現象が起きた。そしてカイキ、おまえが気になったのは?」
突然話題が振られて、俺は少しどもった。
「ちょ、長女のひとりかくれんぼ…」
「ああ、あれはいけないな。陰陽寮も、あれについては規制を掛けたはずなんだけど…やはり人の口に戸は立てられぬ、ということか。…で、ひとりかくれんぼのときに長女が見たアレ。それが今回の窃盗犯だ。同一人物で間違いない、彼は秘密の入り口を使ってこの家に侵入しているのだ」
こうして説明されていると、すんなりと腑に落ちる。背後の姿見。あれだ。
「そうだカイキ、そのとおり。そこの鏡は<扉>だ」
俺は振り向く。
そこには、小さな女の子が映っていた。こちらをじぃっと見ている。
不思議と恐怖は感じない。
風呂場のところの大きな姿見。確かに、これが扉なのだと言われるとそのサイズに納得する。
「彼女は…さやかちゃんは、死んでこの家に閉じ込められた。だから、ああやって鏡の中からこちらを見ている、自分がなぜこんなところにいるのか分からないから。黒木家や半田家が感じていた、覗かれているという現象の正体は彼女…櫻井さやかちゃんの霊だ。さて、では菊弘………いや。菊子」
呼ばれた女は顔を上げる。
「おまえには、死体探しをやってもらうぞ」
ハルアキラの声と同時に、浜崎三郎が慌ただしく玄関を開けて入ってきた。


「ハマザキ、刑事のハマザキ。きみには、この扉がどこから開くのかを調べて欲しい」
「と、扉?これ…この大きな姿見、扉なんですか?」
「ああ、こちら側からは開かない。あちら側から開けれるのだと思う」
「あちら…というと、お隣の林さんの敷地内になってしまいますね」
浜崎三郎が難しい顔をした。
「ふふ、どうせ林由美は家になど…敷地内になど入れてくれないだろうなぁ。しかし、櫻井さやかちゃんの死体もきっとそこで見つかる。一網打尽にできるわけだ。ついてこい菊子、カイキはここで扉が開くのを待っていなさい」
「ちょっハルアキラさん!あなた、めんどくさいからってなんでもかんでも端折り過ぎですよ!ったくもう…」
「行きましょう、既に応援は要請しています」
「仮に犯人が居たとしても、逃しはしません…最悪応援は待たずに二人で確保しましょう」
すたすたと行ってしまうハルアキラを、菊子と浜崎三郎が連れてきた初老の刑事は追った。
俺だけが、この鏡の扉の前に残されてしまう。
ふと、視線を感じた。
櫻井さやかの視線。姿見から、俺を見上げて立っている。
「…………」
俺は懐から赤い紐を取り出すと、それをある程度の長さで結んだ。そして、あやとりを始める。櫻井さやかは、興味深そうに眺めていた。青白い顔に、少しだけ明るさが差した気がする。きらきらと目を輝かせている。
死んでいるとは思えない。そこには、子供の無邪気さがあった。

「ですから、捜査なんです」
浜崎三郎が厳しく言っても、林由美は引き下がらなかった。
「じゃあ捜査令状を持ってきなさいよね!人んちの敷地に勝手にずかずかと…!」
林由美は、持っていた箒を振り回した。それが、初老の刑事に当たる。かすり傷にもならない。
「ちょっと!やめてくださいよ!」
「いいんだ浜崎くん、いいんだ。…林さん、ぼくを覚えているでしょう。櫻井さやかちゃんの事件を担当した刑事です」
「その話はもう終わってます!きちんと答えたじゃないですかぁ!!知らないって!私達は関係ないって!!」
騒ぎたてる林由美、手に負えない。ハルアキラが、長く大きため息をついた。その息が、その場を冷やす。まさしく冷気だった。背筋を凍らせるような、不気味な風。
林由美だけが、それに冷やされずかっかと頭から湯気を出している。
「林由美さん、とおっしゃいましたね」
ハルアキラが、ずずいと前に出た。黒い影が、夕日に照らされて蜃気楼のように歪んだ。人外に耐性のある浜崎三郎だけが、その異質さに気付く。とっさに初老の刑事を庇った。
「敷地内に入れたくないのは、結界を破られたくないからだな?何の結界だ?何を外に出したくない?何から守っている?あばくぞ、あばく。わたしは呪いを解くために来た…!」

林由美は、ハルアキラの圧に負けた。
がくん、と膝をつく。
「あばいても、かまわんな?」
大妖怪・ハルアキラの低い声。
「は、はい…」
「入るといい、警察諸君」
その言葉をきっかけに、現場は動き出す。

「勝手口の向こうは…小さな庭?ですね」
浜崎三郎が開けた先に、ハルアキラはずんずん進んでいく。
「ああちょっと!先に行かないでくださいよ!」
「林家には、母由美とその息子直輝だけだ。驚異は無い」
「そ、そういうことじゃあなくてですね…!?証拠とか、汚染されたら困るんですよ!」
「わたしがそんなヘマをすると思うのかい?…ほら。さっさと見つけろ菊子、この辺一帯の壁を引っ剥がすわけにはいかない」
「………分かりましたよ。やります」
「それが終わったらさっさと消えろ、おまえはカイキに必要ない」


がちゃり。
そこが開いて、櫻井さやかの姿が見えなくなった。
「終わったぞ。さっさと警察の事情聴取を済ませてホテルに帰ろうぜ」
扉から顔を出したのは、菊子ではなく菊弘だった。
「…終わった?」
「ああ、櫻井さやかちゃんと思われる死体が、半田家の壁の中から見つかったよ。この扉の近くの壁だ。…隙間があって、そこにぎゅうぎゅうに押し込まれていた」

櫻井さやかの死体は、この家…この地域特有の気温の低さで死蝋化しており、綺麗なままだった。行方不明になった日と同じ服を着ている。
鏡の扉…林家からは自由に行き来出来る扉、片方にしかついていないドアノブには、林由美の指紋がべったりついていた。
もちろん、窃盗犯は男だから林由美ではない。
だが、林由美は、窃盗も櫻井さやか殺害及び死体遺棄も、自分がやったと供述している。
「無論、どっちもやったのはその息子、直輝だろうけど。ま…どちらも事情を聞くために警察に連れていかれるし、死蝋化してる遺体から奴がやったと裏付ける証拠も出るに違いない。終わりだよ、この件に関してはね。あー疲れた」
「ハルアキラさん」
俺が名を呼ぶと、ものすごく不機嫌そうに顔を歪めた。つり目がちの暗い紫の瞳が細められる。
「そもそもきみ、カイキ。きみがゆらゆらとしているから、簡単につけこまれるんだ。守られてばかりではいけないよ」
人差し指で、俺の胸を強く突く。
「す、すみません…今回は、ご迷惑をお掛けしました」
「素直だな、カイキデイシュウらしくない。ほらな?やっぱり感化されている。菊子の思うように動く木偶人形にされているのだ。馬鹿だな、きちんと一人の女に目をつけていればいいものを…」
「ちょっと、ハルアキラさん」
「黙ってろ菊弘」
菊弘は、押し黙ってしまう。<言霊>の力だ。
「なあカイキ。きみ、菊子を助けるだけの男になりたいのか?ならそうするといい、今自分に働きかけている力に抗うことなく、骨抜きにされてるといいさ」
─きみはそうやって、この女を助けるために死んでいくのだ。
ハルアキラの言葉が、胸に突き刺さった。その突き刺さった先の、何かぐにゃぐにゃとした塊が、傷付けられて出血する。その出血の多さに、俺はめまいを覚えた。
そして、すーっと波が引いていって、冷静になる。
「どうだ、この女のために死ぬのか」
「……逆だな。この女が俺を守って死ぬ。それくらい献身的に付き従ってもらわないと割に合わない」
ネクタイをしめる。それを見ると、ハルアキラはにたり、と笑った。
「はっ、良い男だなカイキ。ハレが気に入るのも分かる。こういう男を手玉に取るのが面白いよなぁ」
「……」
細い指が、俺の顎を撫でた。俺はそれを無言で叩き落とす。
「………菊弘、もう喋ってもいいよ」
「余計なお節介をありがとうございましたハルアキラさん」
菊弘は、思いっきり嫌味ったらしく言う。それに機嫌良さそうにハルアキラは笑った。声を出さずに、口を開けて喉の奥で。
それがきっと、彼女の本当に楽しいときの笑顔なのだろう。

「ぅるるぁあああああああッ!!あ゛あああ゛ああー!!」

慟哭。
そして大きなエネルギーが突進してきた。咄嗟に菊弘の前に出る俺を、菊弘はジャケットの上から俺のベルトをひっ掴んで後退させる。
ハルアキラは動かなかった。スローモーションに見える事態のなかで、ハルアキラだけが微塵も動かない。
林直輝を連行していた警察官が、転げながらもこちらに手を伸ばして叫んでいる。周囲の警察官が走り出す。ゆっくりと、それを眺めていた。

ハルアキラの口が動く。
「やれやれ、このままだと肥えた男に強姦されてしまう…助けてくれないか?三篠みすず

りん!りんりんりん!
大きな鈴の音、そして小さな鈴たちのしゃんしゃんと細かな音色。
「喚んだか、セイメイ」
どんっ!と大きな地鳴りがした。ハルアキラの背後に、大きな大きな化物が両手をついている。黒い肌の人の手、そしてもう片方が馬の蹄だった。顔は馬だ。赤い目。薄紫のふわふわとした毛並みの、髪。
「なぁんだ、早いな。やはり近くで見ていたのか?おまえはわたしのことが大好きだなァ」
ハルアキラはにたにたと笑いながら、異形のそれ…<ミスズ>の髪を撫でる。
「馬鹿を云うな。私は従者として使役されたから来たのみ…ところで、これはよかったのか」
三篠は、大きな口で笑う。これ、と言ったのはこちらに向かってきていた林直輝のことだろう。三篠の起こした風に吹き飛ばされて、パトカーにぶつかり伸びている。
無論、その風には大勢の人間が被害を被っていた。
「いいのだよ、わたしには無関係なものたちだ」
ゆっくりと、時間が流れる。

「はぁ……面倒だね、ついでにこのまま連れて帰ってくれ。さっさと姿をくらましてしまおう」
「フン。また<馬>扱いか…仕方無い」
─乗せて帰ってやるさ。
そうして時間の流れがいつも通りになる。一瞬の出来事、一瞬の風。そしてハルアキラは、姿を消した。





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