詐欺師は誰かと出会う



綺麗な動作で、畳の上に正座する菊弘。
「あなたのお姿をお借りします、失礼」
深くお辞儀をすると、まるで神具を扱うかのような丁寧さで三面鏡を開いた。
古い三面鏡は、軋みながらその姿を表した。
三面の鏡に、菊弘が写る。
背後には俺たちも写っている。鏡の中の俺は、酷く疲れていた。

菊弘は、真ん中の鏡に近寄って、扉を閉めた。
鏡には菊弘の顔しか写っていないだろう。
「出てこいネモ、誰でもないもの。体を貸す、仕事をしろ」

よくは聞こえないが、そのような事を菊弘はぶつぶつと呪文のように唱え出した。
時間にして、だいたい4分。
呪文が途切れ、菊弘が笑い出した。いや、菊弘ではない。
まるで声が違う。いつもの菊弘よりも、少しだけ高い。
菊子の時は、女らしい艶かしさがあった。
今は、この笑い声は女というより、少年…。

「うふふふふ、僕が出るまでもないだろう?その後ろに居る陰陽寮の面々に出来る仕事だ」

菊弘は、乱暴に三面鏡を開いた。
鏡越しに菊弘と視線が噛み合う。
隠していた右目を出す、垂れ下がっていた前髪を後ろに撫で付け、正座を崩して座り直した。
「こいつらにも手に負えぬというからお前を出しているんだ」

菊弘の顔は、右と左でまるで別の人間だった。
左は、右の顔をぎらりと睨み付け、心底嫌そうに口角を下げている。
右は、傷で歪んだ目をくっきりと開き楽しそうに笑っている。
人間に、左右で違う表情を作ることなど不可能だ。
「僕を出すなんて最終手段も良いところじゃあないか菊弘、久し振りだねえこうやって君とお話しするのも。何十年ぶりかな?」
「無駄口を叩くな、この顔は疲れる」
「さっさと僕に体を引き渡せよ、そしたら楽になるよ?」
「まだ説明と約束が済んでいないだろう、それ無しではお前を表に出すわけにはいかないからな」
「記憶は共有しているんだ、君がちゃあんとここの事件の下調べをしているのも知ってるよ。そして君がなにが原因でこうなっているか既に判っているのも知ってるよォ菊弘」

右側の菊弘―、否…ネモは笑う。
「じゃあ、お前が出ないと解決しないことも判っているな?」
「もっちろん!僕しか出来ないねえ、僕の力でしかそれは出来ない」
「全て承知ならば無駄な話はするまい、では説明は終わりだ」
「もっと君とお話ししたいなぁ〜あっそうだ新しい恋人のことを話そ」
「黙れ。約束はいつも通り、人間の命を奪わないこと、人間を傷つけないこと、すなわち人間を徹底的に守ること、暗示、催眠の類いは使わないこと」
「分かってるよ、はぁ…つまらないなぁ、じゃあ一日もあれば終わってしまうじゃないか。僕はもっと色んなことをやりたいのに。あっ!貝木くんと仲良くしてもいいよね?」

右のネモが、俺を視界に捉えた。
少し濁った目玉が、今までは死人のように光を無くし、ただただ前髪で隠されていたのだが。
今はそこに違う魂が宿っているように、光り輝いている。

「…貝木に酷いことはするなよ」
「仲良くするって言ってるのに。なんで酷いことするなって怒るんだよー」
「お前の仲良くするはつまりそういうことだからだ、貝木に変なことするなよ」
「分かった!分かったよ!ほら、お仲間が気味悪がってるよ?早く一人に戻ろうよ。僕だって片方だけ出てくるのはとても疲れるんだ」

菊弘は、左の顔は俺たちを見た。
鏡に写る俺たちは、怯えているような、驚いているようなそんな顔をしていた。
菊弘はそれに悲しむような素振りを見せない。
やっぱりな、というようにちょっとだけ笑ってみせた。
「じゃあお願いするよ、ネモ」
「うん、いいよ菊弘。しばらくの休息を」

ぱん!
菊弘が両手で自分の顔を叩いた。
俺たちはそれぞれ驚いて、少し後退りしていた。

菊弘は、しばらく両手で顔を包んだまま下を向いていた。
「んんんんん…!」

喉の奥で、高い声がくぐもる。歓喜の唸り声だ。
周りの空気がごわごわと振動をして、俺たちをその場から動かさなかった。
熱のような、水のような、とにかく大きな塊が部屋の中を張りつめていて動けない。

「五体満足だ!」

菊弘…ネモが立ち上がった。
その瞬間、四方に置いてあった菊弘の髪が燃え上がった。
髪の燃える嫌な臭いが広がる。
「ああ、ごめんごめん。思わず」
ネモは結界―塩の線を蹴飛ばして破ると、手のひらを燃えている紙の方に向けてぱっぱっと動かした。
まるで埃を払うかのように。
すると火の勢いが消え、やがてそこには煤が残った。
「難しいね、加減が」

「あー…どうもこんにちは、ネモさん」
加賀が立ち上がって、ネモに握手を求める。
ネモはとても楽しそうに体を揺らしながら、その手を握り返した。
「ああ!加賀さんお久し振り、よろしくねえ。あっ摂津さんも、土御門さんも」

ネモは二人に向かって手を振る。
白智は複雑そうな顔をした。
さっきのはるる子の言葉によると、白智は一度ネモに暗示を掛けられて大変なことになったらしいから、警戒しているのだろう。
「で、何をすればいいんですか?」
はるる子は、いつものテンションで自分のねぐらへと戻った。
「そうだなぁ、とりあえず調査の裏取りをしてくれるかな?僕の推測としては、これは家の問題だと思うんだよねえ」

菊弘は、いや―ネモは腕組みをして窓の外からえびす亭の中庭を覗きこんだ。
「ねえ貝木くん、君はどういう風に僕に推理を披露して欲しい?」

窓際のそばに居たはずなのに、いつの間にかネモは俺の隣に立っていた。
俺は平静を装い、問いに問いで返す。
「どういう風にっていうのは、どういうことだ」
「蘊蓄垂れて伏線を張りながらこんこん長々ずーらずらと説明して欲しい?それとも結論から話してそこから詳しく解説して欲しい?ああ、見たものを感じたまま支離滅裂の感想で言えるよ?おっと、それとも結論をぼかしながら意地悪に誑かしてあげようか」

まるで大人をからかう子供のように、にたにたと笑いながらネモは俺の腕にまとわりついた。
小さかった菊弘の体が、一層小さくなったような気がする。
動作や仕草が、幼くなったからなのか。

「…俺は結論から話してもらって、そこから説明を付け足してもらうのが一番いいかな」
「ちえーッ菊弘手法かよ、僕が居るんだから他のやり方でもいいのに」

他のやり方…菊弘手法以外の三通りは、なんだかまどろっこしいし理解できなさそうなので止めておいたのだが。
ネモは菊弘と同じことをするのが嫌らしい。
さっきから洋服が着たい、着物は嫌いだと文句を垂れている。

「本当なら僕が洋服にフォームチェンジしてから始めたいんだけどー、今回は時間が無いからこのままでやるけどさぁ」
髪をオールバックにまとめて、ネモは語りを始めた。

「さて、結論。ここには神紛いのものが存在していて、その神紛いのものがこの家に住む人間に害を成している」
「神、紛い?まさかこの家は神職の末裔なんですか?」
加賀が窓辺に座って腕組みをする。
「そうそう、もう家系図も残ってないから昔の戸籍謄本当たって調べたんだけどこの辺りは海から流れ着いたものを崇める信仰があってね。この家の人間は、それを管理する神職だったんだ。でも見たところ今は何もやってないみたいだね、神棚置いてあるのもいけないなー商売する家だから納得だけど、そもそも祀らなきゃいけない神がいるのに他の神様を招くような真似をしているから、そりゃあ怒るよね」
「ここの住人が過去、神職だったということは裏付け取れてました。ネモさんの推理は間違ってません」
はるる子が、キーボードを叩きながら言う。
「ちなみにその海から流れ着いたものを信仰するっていうのも、この地域は昔からそういった話がいくつか残っています。だからこの料亭の名前も〈えびす〉亭なんですね」

えびす。
それは福の神の名前だ。だからその縁起を担いでその名を店につけたのだと思っていたが。
俺の疑問に答えるように、ネモが言う。
「えびす。七福神のひとりだね、狩衣姿で右手に釣竿、左脇に鯛を抱える姿で描かれるのが一般的だ。しかしえびすには他にも姿がある」
「寄り神信仰…」

白智が、はっとしたように口にした。
「そう!それだよ」
ネモが大きく拍手をする。称賛だ。
「ここは海が近しい場所だ、漁師の町だ。鯨や鮫が海から流れ着いたらそれを大漁の兆しとして、海の漂着物を信仰する風習―寄り神信仰があっただろう。そしてそこの」

ネモは中庭を指した。
俺は加賀の隣に行って、中庭を覗く。
そこは、申し訳程度の庭があってすぐそこは崖だ。

「落ちてしまうよ」

びくりと体が硬直した。
俺の体はしっかりとネモに支えられていた。腰のベルトを掴まれている。
ネモは、とても愉しそうだ。

「次男嫁の啓子さんが引っ張られたと言ってたんだろう?そこの石段で骨折したそうだね」
「ええ、その石段を下っていったところには確か洞窟があるとか…」
加賀がタバコに火を付ける。
「そうだね、そこにえびす様が居るんだよ」
「と、いうことはネモさん…いや菊弘さんはもう洞窟に行ってみたんですか?」
加賀の言葉に、俺は不審を覚える。
菊弘は、それにネモはこの場から、この部屋から動いていない。
「いいや?僕はそこには行ってないよ?でも僕は分かるからさぁ」

そんなネモの言葉に、俺以外の人間は納得したらしい。
「そこの洞窟の奥に、えびす様が祀ってあるのさ。大方、信仰されていたものが半端に力をつけて神になり、信仰すべき人間がそれをしなくなったから海の亡者を従えて攻撃してくるんだろうね」

俺は、はるる子の言葉を思い出す。
潮の匂い。
全部海で死んだ人だ。
はるる子は感じ取っていたのか…。

「じゃあ行こうか」
ネモは俺の手を取った。





はるる子は機材を回収するために人を呼ぶと言って、単独で家を後にした。
ハレさんが言うにはここ周辺は人を寄せ付けないように通行規制をしているそうだから、そこまで歩いて行くという。
ブランド物の白いジャージは、ほんのりと汗臭かったらしく早く脱ぎたいと喚いていた。
「じゃあ貝木さん、もう二度と会いたくないですね」
ポケットに手を突っ込んで、猫背気味の背筋を伸ばして言う。
「なんだ恩人に向かってその言い草は」

俺はいつの間にか、はるる子に対してフランクになっていた。
しかし相手がそこに突っ掛かってこないので、そのままにしている。
「恩人って何ですか、意味分かんない」
「がたがた震えるあんたを運んで逃げたのは俺だ」
「最後投げ出されましたけどね」
「事故だ不可抗力だ」

はるる子は、への字口をもっと歪ませた。
「減らず口の詐欺師とは、ほんとにもう会いたくないもんですよ。こっちの身が持たない」
「くれぐれも詐欺にはお気をつけて」

俺が言うと、後ろでネモが笑っていた。
「さて、じゃあ加賀さんには貝木くんの守護をお願いしようかな。摂津さんは洞窟の外に待機してもらってもしもの時に備えてもらうよ」

{もしもの時というのは?}
「もし、えびす様を祓うのに失敗したら…まぁそんなことは有り得ないけど。僕は洞窟の中に入った人間を守るために力を使うことになる、そうすると誰か一人は外に居てもらってその時に加勢していただきたいんだが、いいかな?」
ネモが笑い掛けると、白智は複雑そうな顔で頷いた。

だらだらと歩きながら、中庭を目指す。
車庫の前を通ると、ネモが急に声を上げた。
「あ、あそこも見ておかなきゃ。大体判ってるけど確認だけ」
「倉庫の中ですか?」
加賀が車庫の上の倉庫を見上げる。
「そうそう、流石晴明筋!察しがいいねー」
ネモと加賀は車庫の中に消えた。

俺は白智に小声で話し掛ける。
さっきから表情が固い。
「…どうした、待機が命じられたのが不満か?」
白智は首を横に振る。
手のひらサイズのメモ帳に書き連ねていく。

{待機をお願いされる理由はもっともで、分かってはいるんですけど…私には、彼が自分の周りにいる人を極限まで少なくしようとしてるように思えて}

彼が。
白智はネモの事を、菊弘とは別の人間として扱っている。
確かにあれは菊弘じゃあない。
菊弘が、他人を演じているようには見えない。
本当に別人なのだ。

「それなら、加賀さんも避けようとするだろう?考えすぎだ」
俺は白智の肩を軽く叩いた。

「おーい、二人とも来てくれ」
車庫の上の倉庫から、加賀が大声を出した。
俺たちは、倉庫から延びる梯子を昇って、埃っぽい倉庫の中に入った。
散らかってはいないが、様々なものが乱雑している。
「これだ」
加賀が指す先には、大きな黒い箱があった。
あの三面鏡と同じ質感の箱だ。
加賀がそれを開けると、中にはがらくたが入っていた。

海辺に落ちているような、木の皮や石。そして…
「動物の骨?」
「そうだよ貝木くん、鯨の骨だね。これは海からの漂着物だ。こんな高価なものもある」
ネモが箱の中から、小振りの桐の箱を取り出した。
「それは…!」
白智が声を上げた。
「摂津さん、これはお宅の神社が祓ってまわってる〈鬼の箱〉だね?」
ネモが蓋を開けようとすると、白智は大慌てでそれを制した。
箱を受け取り、胸の前に抱き締める。
「この〈鬼の箱〉、オカルトマニアの中ではものすごい値打ちものなんだよ。まあ入ってるものが相当で色々と曰く付きだからねえ。ここの倉庫で怪我人が出たと言うから、もしかしたらえびす様起因でなく他の何かもあるかと思って見てみたんだよ。大当たりだね!背中を押された人は葬式の片付けにでもかこつけて、この箱を盗むつもりだったんだろうねぇ」

白智は、箱とネモを交互に見る。
その瞳には、明らかな焦りが伺える。
「摂津さん、それは今すぐにでも神社に持ち帰って祓わなくてはいけない代物でしょう?どうぞ遠慮しないで、天狐の居ない君に今その箱を浄化させるのは無理だよ。もちろん僕が無理矢理祓ってもいい、だけどそれじゃあ意味がない。そうだろ?」
「この場から白智を独りでは帰せませんよ、ネモさん」

加賀が言う。
「そうだろうねえ、摂津さんは憑き物筋だ。つまり憑依されやすい。そんな子を単独で送り込むことは出来ても帰らせることは出来ない。行きは良い良い、帰りは怖いってね。まあもちろん、僕がある程度祓ってあげるからちょっとは安全だけど、加賀さんが付いてあげた方がいいかもね」
ネモはにこにこと笑ったままだ。
白智と加賀だけが、険しい表情で立っている。

まるで俺は場違いだ。
「私たちを、この場から遠ざけてどうするつもりです」

白智は、厳しい口調で問うた。
詰問した。言霊の力で。
「…どうするも何も、祓うんだろえびす様を?」
まるでそれを何とも思わないネモは、俺の左腕を抱き締めて唇をすぼめる。
まるで、いたずらを叱られる子供のようにとぼけている。

白智は危惧していた。どうやらそれは当たっていたようだ。

「貝木さんだけを残してはいけないですよ」

加賀と白智、俺とネモ。その二対が向かい合って火花を散らしている。

「貝木くんの身の安全を心配しているのかい?それなら安心していいよ!僕が守るからね。それとも…貝木くんを僕に独り占めされるのが嫌なの?あのねえ!この人は菊弘の恋人なんだから、僕のものだよ!」

超理論を展開している。
いつの間にかネモの中では、俺を奪い合う女の戦いだと思っているようだ。
「違うだろ、俺がどうのこうのの問題じゃない。お前を見張る人間が居ないのが問題なんだ。しかもお前はそれをわざとそうさせている。こんなところで白智の探していた…探していたのかは知らんが今すぐにでもどうにかしなくてはいけないものが見つかったってんだから、都合が良すぎるだろ」

俺がネモに言うと、ネモはくすくすと笑う。
「いやはや!人間とは偶然と必然を履き違える尤も愚かな生き物だねえ!そもそも君たちが来ることになったのも〈呼ばれていた〉からだろうに。何で分からない?こうやって摂津の娘は喉から手が出るほど求めていたものを見つけたんだ、呼ばれていたに決まっている!加賀の娘もそうだぞ、お前は晴明筋に因縁がある血だからな。晴明の血を引く者を手助けしなくてはいけない運命が付きまとっているんだ」

俺は白智と加賀を見る。
二人とも、ネモの言葉に思い当たることがあるようで何も言い返せないようだ。

「ここまで道筋立てているのにはっきりと口にしなくてはダメか?いいのかい僕にそれを口にさせて?」

二人は複雑な表情をしている。
「…そもそも菊弘さんからあなたの指示を聞けと言われているので私たちには選択肢はありませんよ」

加賀は言う。
ネモはにっこりと笑った。

「じゃ、二人とも帰ってよし!またね〜」

まるで友達と学校の帰りに別れるかのように、元気に言い放った。

→続く






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