詐欺師は誰かと出会う



「敷地内から出ましょう」
白智が、長女フミとその娘愛菜を支えながら声を掛けた。
俺はまだ上手く立つことが出来なくて、加賀に支えられて立っている。
地面に伏せていたはるる子が勢いよく起き上がって叫んだ。
「うぬあー!信じられない意味分かんない!機材置きっぱなしで撤退ですか!?」

元気そうでなにより。

「いや、我々以外は撤退だ。信二さん、フミさん。すぐに他の家族に連絡を取って下さい。この家には二度と足を踏み入れないで」
加賀は俺をその場に座らせると、尻ポケットからスマホを取り出してフミに渡した。
「このスマホ差し上げます、とりあえず隣県のビジネスホテルにでも避難してください。私たちは上から撤退命令が出ました、撤収作業を終えたら出ていきます」
「こ、この中に、あなた達は戻るのですか…ッ」

フミは娘を抱き締めながら言った。
この人も、同じものを見ている。あの地獄へ戻るというのは、到底信じられない行為なのだ。

「あの機材、バカ高いんで私は戻りますよ」
はるる子は、何故か意気揚々としている。俺はそれが少しおかしくて笑ってしまった。
小さく、短く笑ったつもりだった。
しかしその笑い声は止まらなかった。低く、そしてとても楽しそうに。

「ど、どうしたの愛菜ちゃん…!?愛菜ちゃん!?」

俺ではなかった。
一瞬俺が笑い出したのかと錯覚してしまった。
小さな女の子から、低い男の笑い声が出ていた。
口を大きく開けて、その中から男の笑い声がしている。

白智が愛菜ちゃんを、母親の元から離した。
母親は啜り泣く。それを祖父の信二が抱き留めた。

背中を擦りながら、白智は何か口元で呟いている。
一層、笑い声が大きくなった。
口からは涎が出ている。

俺は腰が抜けていた。
いつの間にか俺の背中にはるる子がしがみついていた。
こいつは誰かを盾にするのがとても上手だな、そんな暢気なことまで考えていた。
当事者であるはずなのに、起こっている事があまりに現実離れしていて、俺はテレビの視聴者のような気持ちだった。

「何が可笑しいの?」

白智の静かな声がする。

「おかしいさ」
もう愛菜ちゃんは喋っていない。その体さえ借りていない。
少女の居る場所に、何かもっと大きなものがそこに存在している。

「お前ら揃って間抜けだ、みんな死ぬぞ。みんな死ぬ。たった四人の使者か、馬鹿な。死ぬるぞ」

「させない」
白智が声を張り上げた。少女の体がぶるぶると震え、その場に倒れこんだ。

「させないわ」
怒りのこもった声だった。

いつの間にか夜が明けていて、嘘みたいに辺りの空気が清々しく輝いていた。






「部屋に戻っても大丈夫なんですか」

俺は自分でも驚くくらいひどく疲れきった声で言った。
「まあ流石に朝っぱらから騒ぎ出すようなことはしないでしょうしねえ。とりあえず私たちは迎えが来るまで荷物まとめちゃうから貝木くんは眠っててもいいよ」

加賀は散らばった紙を、倉庫から拝借した箒で掃いている。
それを白智が手で集めて、燃えるごみの袋に詰め込んでいた。

「どうぞ、使ってくださいよ」

はるる子が羽毛布団をこちらに投げてきた。
俺はそれを受けとると、お言葉に甘えてその場に寝転んだ。
布団の中でベルトを緩めて、ズボンに入れていたシャツを外に出す。
畳の感触が少し体に痛いが、今はもうどこで眠っても同じだ。
すごく、疲れた。
このふかふかの羽毛布団があるだけ良いだろう。

はるる子も相当疲れているようで、半分寝ながらキーボードを叩いていた。
俺は目を瞑るだけで、すぐに眠りに落ちた。


「そうだな、お前の名前はポン太だ!」
声変わりの途中くらいだろうか。掠れた声が元気よく言った。
「ふわふわしとるからポン太な!」
古びた着物を着た青年が、真っ黒い毛の塊を抱きかかえていた。
俺は何故か、その黒い毛の塊が誰なのか知っていた。

そうか、その青年が名付け親か。
「そうだよゥ、あたしはこのしとに名前を付けてもらったのサ。あたしはそれで力が宿った。このしとは晴明筋の子だからねえ。それからずっと、あたしはポン太だよ。もちろん、真名はもっとごちゃごちゃした堅苦しいモンだけどねぇ」

俺は縁側に腰かけて、茶を飲んでいた。
隣でポン太が膝を抱えて座っている。

黒い耳と尻尾が、ふわりふわりと動いている。
「そうだデイちゃん、あたしプレゼントがあるんだよ」

ポン太は俺に、小さな小包を渡す。
深緑の包み紙に、黒のリボン。
俺はリボンを解いて、蓋を開けた。
そこには血のついたガーゼが敷き詰めてあって、俺はそれを必死で取り出す。
血だらけのガーゼがどんどん出てくる。
やがて中から血が溢れ出した。ごぽごぽと音を立てる。
それを抑えるために、俺は自分の服を脱いで止血した。

「やれやれ、なんだいその有り様は。まるで駄目だ」
後ろから、芥川龍之介の幽霊が呆れたようにため息を付きながら現れた。
「だ、誰だあんた」
「おお!これじゃあ死んでしまうな!」
逆側から栗色の髪をしたビスクドールが、目をきらきらさせながら叫んだ。その目を見ると、俺はくらくらした。
「貴方は、何をしたいんですかねえ」

俺の目の前に、男が立っている。
俺は手術台の上で、必死に止血している。俺のコートは血を吸って重くなっていた。
「こんなもの、役に立たないでしょう」
男がコートを払い除ける。

ああ、駄目だ。暴かれてしまう。

俺は必死に手術台の上の患者に覆い被さり、男にそれを見せないようにした。
男は笑った。
「そこまでご執着とは…。でもねえ貝木さん」

うつむきながら目線だけを上げると、ワインレッドが目に入った。
いや、それよりも燻んでいる?
臙脂色?

「これの扱いは難しいですよ?」

俺は物凄く強い力で押し返された。

手術台の上には、



「菊弘!」

俺は叫んだ。しかしその声はそこまで大きくなかったらしい。
覚醒したばかりで、寝惚けたまま天井を眺めていた。
すると、心配そうに白智が覗き込んでくる。

「あ、いや…夢見が悪くて、な」
{うなされてましたよ、大丈夫ですか?}

スケッチブックが、ずいと視線に出てくる。
俺は起き上がって頭を掻いた。
「ああ、そうだな…疲れたから風呂に入りたい」
「会話になってないぞ貝木くん」

加賀が窓辺でタバコを吹かしていた。
つい数時間前までそこには得体のしれないものがへばりついていたのに、よく平気でくつろげれるな。

俺はあの時の光景を思い出す。
窓にいっぱいの、手垢。
べたべたという音さえ聞こえてくるような…

ぺた。

俺の腹に、掌がくっつく感触があった。
俺は声にならない叫び声を上げて、羽毛布団を蹴っ飛ばした。

白智が勢いに負けて尻餅を付く。
加賀も窓から降りて、俺のそばに寄った。
ヘッドフォンをつけてキーボードを必死に叩くはるる子だけが、事態に気付かなかった。

俺の腹の上で、まるで今まで一緒に眠っていたかのように菊弘がそこで眠りこけていた。

「菊弘さん!?」
「んあ?」

加賀の声に、菊弘が目を覚ます。
「…あ?……なに?完全に寝てたわ〜」

菊弘は起き上がって伸びをした。
「菊弘さん…いつの間に来たんですか?」
「…いつの間に、って…いつだろう……あーなんか変な感じ、よく寝てた〜」
「よく寝てたって、あなた移動に失敗してどこかに置いていかれたんですよ…」
加賀は苦笑い。菊弘はいつもの和服だ、眠そうに小首を傾げる。
そこで俺は、さっきまで見ていた夢のことを思い出す。
「…ああ、ポン太が連れてきたんだな」
「あっそうかも、夢の中で黒い狐に会った気がする」

納得できないが、夢の話をすると白智はとても喜んだ。
この場に来れないが、夢を通じて俺の元に菊弘を運んでくれたというのだ。
「確かにポン太から何かを受け取ったが…後半の」

後半の気持ちの悪い夢は何だったんだ?
俺は心の中で呟いた。
だから誰も答えはくれない。

{でも本当に良かった、菊弘さんが来てくれて}
「とは言うがねえ白智、私はなにもできないよ。私は貝木を連れて帰るためだけに来たんだから」
菊弘は自分の着物を正すと、俺を睨み付けた。

やめてくれ、俺はもう説教を受ける体力は残っていない。

「…菊弘さん、ハレさんが回線繋げって」
今まで黙ってモニターを睨んでいたはるる子が、低く言った。
菊弘が急に現れたことに関してはノータッチだ。
俺の推測だが、電話の相手―ハレさん―が、既に菊弘が現れることを喋っていたのだろう。
それくらいやってのける相手だ。

『やあ、菊弘。遅かったねえ』
「どうもハレさん、遅くなりまして」

声質の似た者同士なので、電話回線を通すともっと似ているように聞こえる。

数時間前の襲撃の時とは、少し違う緊張が生まれた。

『あのねえ、呼ばれちゃった貝木くんがそこにまんまと行っちゃったからさあ、そこにいる奴等が調子に乗って一般人にまで被害が及ぶ事件が起きちゃったんだよねえ』
「そうらしいですね、全く上の人間がしっかり状況判断して指示を出さないからこうなるんでしょうねえ。ハレさんだからこいつら派遣した時点で家の住人は避難させているものだと思っていましたがまさかのんびりと構えていたというんだから…これはどういうことでしょう、ハレさんもお疲れですか?」

菊弘は部屋の真ん中に正座している。
はるる子の機材のスピーカーから、からからと複数の笑い声が響いた。
ハレの他にも、人が居るらしい。

『ん、まあ皮肉は有り難く受け取っておくよ。それで本題だ、菊弘、ネモを出して事件を解決しなさい』

無表情だった菊弘が、カッと音がするくらい顔をしかめた。般若のようだ。
『撤退命令を出したが撤回だ、彼女らにはネモのサポートをさせるよ。それなら事もスムーズに運ぶだろう。ついでに貝木くんのお祓いもしなくちゃならない、ネモなら全部やってのけれるよな?』

さっきから俺はおいてけぼりだ。
俺は隣に座っている白智に視線を投げ掛けた。
しかし白智は、怒り心頭状態の菊弘に目を奪われている。

「…ネモを出す必要性はありません。ハレさんがこの場に来て祓えばいい話です」
『無理、さっきも菊弘に言われたけど一般市民が私たちのせいで怪我してるんだよ?今から火消しであっちこっち謝りにいかないといけないんだ。だから私は行けない。お前だけだよ、この事態を片付けられるのは』
「…なるほど、だからネモですか」
『大丈夫、えびす亭周辺は通行止めして人も入らせないようにしている。何をしても大丈夫だ、家も壊れても平気、許可は取ってある』

人気を避け、家が壊れても大丈夫なようにしている?そこまでする必要のある、ネモとは一体何だ?

菊弘は、横目で俺を見た。
しばらく睨み付けられる。
俺も見つめ続ける。

「…分かりました。ネモに任せます」
『おっマジで?やっぱり貝木くんが関わると素直だねぇー!ありが』

菊弘は目にも止まらぬ素早さで、電話回線を切った。

「…よし、じゃあ皆、指示があった通り私のサポートを頼むよ。とは言っても何もしなくていいかもしれない、それはその都度指示を出すと思う…というかネモに聞いてくれ」

菊弘が羽織を脱いで立ち上がる。
「ちょっと待ってくれ、そのネモっていうのは一体何なんだ?お前の配下か?菊弘」
俺の問いに、苦虫を噛み潰したような顔で答える菊弘。

「……ネモは私だ、私には菊弘以外の人間が存在するんだ」

「…ああ、例の。多重人格とは違うが、多重人格のようなもの」

菊弘は、多重人格という単語を聞いてとても嫌そうに眉をしかめた。

多重人格。
菊弘の中には菊弘以外の人間が存在している。
それらは、菊弘と自分達の記憶を共有している。
言ってみれば、菊弘は普通の人間の力しか無いが、他の人間には第六感の優れた人間や、催眠能力に優れた人間が存在している。
それらが菊弘と共存しているために、菊弘にもその能力の恩恵が受けられ、今の菊弘の力が存在するのだ。生前の菊弘は、そういう仕組みで出来ていたらしい。

俺が知っているのは菊弘と、菊子という人格だ。
菊弘。それは全ての人間…人格の上位人格だ。
人格の切り替えは菊弘しか出来ない。すなわち菊弘が司令塔で、その他の人格はその部下だ。
菊子。これは菊弘の女性の部分だけを集めた人格だ。
…一度、遭遇したことがあるが、出来ればもう二度と会いたくない。

ネモ。

この名前だけは聞いたことがない。
他にも、菊司だとか菊紋だとか…。
そもそも菊弘の言う<人格>は、全て<菊>という名前が共通しているはずだが…。

「今の私の他の人格は、只の人格ではない。私が人外たちの魔力の影響を受けて甦った後、他の人格を自立させるために魔力をそこに充てがえたんだ。まあ簡単に言うと、私にはネモというもうひとつの魂があるというわけだ」

菊弘の説明を聞きながら、白智が何かスケッチブックに書き出した。
「特にネモは、私の能力の根底といっても過言ではない能力者だ。色々と面倒な奴だがハレさんの言う通り、この場を納めるにはネモが適任なんだ。というわけで貝木、お前だけが心配なんだよ」

菊弘は俺の肩をがっしりと掴む。
「な、なにが…」
「カガキヨやはるる子、白智はネモに会ったことがあるからいいがお前は初めてだ。ネモは悪魔みたいな奴だ、すぐに人を誘惑して悪い方へと誘い込む。根っからの悪役みたいな奴だ、特にお前みたいな脆い人間を好むから―、白智」

菊弘が白智の方を振り向いた。
と、同時に白智がスケッチブックを胸の前に掲げる。
{ネモさんが何か貝木さんに暗示を掛けようとしたら、私が強制的に解除します}

「うん、それで頼むよ。カガキヨ、この家に古い三面鏡は無いかな?」
菊弘は加賀を連れて一階に降りてしまった。
俺は白智のスケッチブックを指す。
「…暗示を掛けてくるのか、そのネモって奴は」
「意味分かんない、貝木さんに掛けても仕方無いと思うけど」

はるる子は欠伸をしながら言う。
「仕方無いって…」
「だってそうでしょ、昔白智ちゃんが暗示掛けられた時はそりゃあ大変だったけど…って白智ちゃんを責めてるわけじゃないから!」

はるる子は、少しだけ悲しそうな顔をした白智に向かって、ぶんぶんと手を振った。
「…まあ、気を付けることですよ貝木さん」
「そうだな」

返事はしたが、俺はどうもそこまで真剣にはなれなかった。
たびたび話は聞いていたが、菊弘の多重人格は一度見ているし―もっとも、菊弘曰く一番無害な菊子という人格のみだが―、ネモというのも恐れるほどなのだろうか?とたかをくくっていた。
それは、ネモという名前の菊弘なんだろ?


「いやぁ良い品があったあった」
菊弘は、加賀と一緒に三面鏡を抱えながら上がってきた。
年季のある三面鏡だ。黒い装飾で上品な造り。
部屋の真ん中に置くと、加賀にあれこれ指示を出した。

三面鏡の周りを、正方形に囲むように加賀が塩を巻いていく。
四方に無地の紙が置かれて、その紙の上に菊弘が自分の髪の毛を少しずつ切って置いた。
「よし、やるぞ」
菊弘は、鏡の前に立って自分の右と左の空中を切るように右手を下ろした。
深く息を吸って、吐く。
「…で、やるわけだけど。見たいの?」

俺たちは行儀良く部屋の隅で並んでいた。
「ネモさんは会ったことあるけど下ろすところは見たことないからなぁ〜、後学のために拝見しようかと」
加賀がにこにこと笑う。
{もし何かあったら大変だから、私はスタンバっておきます}
と、白智はあくまで手伝う側を主張するが、その目は興味津々できらきらと輝いている。
「私は別にどうでもいいんですけど…なんか皆がきちんと並んで座ってるから…意味分かんない」
はるる子は意外と空気を読む奴だった。
「見るなとか見ないで欲しいと言われると見たいよな」
俺はその言葉で菊弘が不機嫌になったのをきちんと確認して、自尊心を満たした。

「まあいいんだけどさぁ、見てて気持ちのいいものじゃないと思うよ」

菊弘は、三面鏡に一礼して結界の中に入っていった。

→続く





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