詐欺師は誰かと出会う


酷く冷たいその声には、怒りを感じなかったが、有無を言わせぬ圧力はあった。
しかし俺は<呼ばれてしまっている>。
これではどうにもできないだろう。

「白智にも帰った方がいいと言われたが、俺には出来なかった。つまりそういうことだ。呼ばれてしまったらしくてな」
『なんだと?白智の言霊があったのにか?…ちょっと待て、カガキヨに代われ』
「いますよぉ菊弘さん」

スピーカーフォンにしているので、加賀はすぐに反応する。
「みんな聞こえてます菊弘さん」
はるる子も言う。
『それは都合がいい、君たち今は指示待ちだろう?じゃあ今日中にあっちから連絡が来るはずだな?今から私もそっちに行く、そこで貝木について話をしよう』

菊弘は一方的にそう言って、電話を切ってしまった。
「…あの人貝木さんのことになるとめちゃくちゃ迅速に動きますよね」
はるる子の発言に加賀が笑う。
「それだけ好きってことでしょう」
俺は否定はしないでおいた。
確かに菊弘は俺の危険のことになると、お前は保護者かというくらい迅速で丁寧な対応をしてくる。
好きか嫌いかではなくて。
きっと、そういう親心で動いているんだろう。
いや、親心も気持ち悪いな…。


しばらく俺たちは菊弘の到着を待っていた。
各々が好きなことをしている。

きっと菊弘のことだから、魔人か悪魔でも使って空間移動とやらをやってのけてしまうのだろう。
数分で来ると思っていたのだが、いつまで経っても菊弘は現れなかった。

「…ちょっと遅いですね、もう一回連絡してみます」
はるる子が、キーボードを叩く手を止め、再びヘッドフォンを装着した。
既に、日が沈みかけていて、窓から差し込む夕日が綺麗だった。
白智が部屋の電気を点ける。

遅いな。
いつもなら、さっさと出てくるはずなのに。

俺は手洗いに行くと言って、部屋を出た。

二階の廊下の奥に、客用のトイレがある。
さっさと小便を済ませて出てくると、ふいに廊下で、小さな影が横切った。
影は、部屋の中へ消える。

そこは客の宿泊室だった。だが今は、俺たち以外の客は居ないはずだ。
「誰かいるのか」

俺は声を掛けながら、部屋を覗いた。
しかし、部屋の中は誰も居なくて俺は小首を傾げる。

「おじさん、なにしているの」

俺は背筋を凍らせた。
すぐさま背後を振り返ると、そこには子供が一人立っていた。
そういえばこの家には、長女の娘がいるのだった。
次男の方の息子二人は、嫁の啓子が一緒に実家に連れていっているはずだ。
たしかこの子の名前は、愛奈(あいな)。
「ねえ、おじさんってば。おじさんも、れいのーしゃなの」

俺は屈んで、優しく答えてやる。
「そうだよ、おじさんはね、悪いおばけをやっつけるために来たんだよ。確か君は愛奈ちゃんだね、こんなところに一人で怖くないの?」
「おじさんたち何人いるの?」

質問に質問で返されてしまった。
が、俺は優しい大人なので子供の質問に答えてやるさ。
「強ーいお姉さんたちと合わせて四人だよ?ごめんね、大勢で押し掛けちゃって。後でみんなにも会うといいよ、なんなら今からおじさんとい」
「四人…いっぱいだね…、わかった」

俺の言葉を遮って、愛奈ちゃんはさっさと走っていってしまった。

行き場の無くなった俺の優しさは、四方八方に飛び散った。
だから子供は嫌いだ。
いいや、そんなことはない。子供は大好きだ。素直で純粋で騙されやすくて大好きだ。

俺がため息をついて、立ち上がろうとすると、部屋の中から微かに声が聞こえた。
耳をそばたてる。
呻き声のような、吐息のような、判断のつかない音。

押し入れからだ。

俺は上着の内ポケットに入っている、加賀から貰ったお守りに手を伸ばした。
これがあれば、大丈夫か。
俺は勇敢にも押し入れの障子を開けた。

するとそこは、髪の長い女がずるずると暗闇から這い出ている途中だった。
「あっすみませんでした」

なぜか俺は謝って、そしてすぐに障子をピシャリと閉めた。
グッジョブ俺。あのまま呆然と開け放っていたら、上半身だけ出ていた女の幽霊が這い出てしまっていただろう。
そしてさっさとその部屋を去ろうと踵を返した。

押し入れからは一層大きな呻き声が聞こえる。
「うう、う…デイシュ、ウ…泥舟…開けて…」

俺は自分の名前を呼ばれて、動きを止める。
おそるおそる押し入れに近づいて、その声に話しかける。

「なぜ俺を呼ぶ?」

今思えば、得体の知れない者に対して、話しかけるというコミュニケーションを取ってしまったのは、とても危険だったかもしれない。
しかし、明らかにベタな幽霊に出会ってしまったので、テンションが最高におかしかった。あと加賀に貰ったお守りがあるんだし、と変に強気になっていた部分もある。

「泥舟…しか、見えない…っぽい」
あとこの女の幽霊はなんだか普通とは違う気がする。
「俺よりももっと強いやつらが向こうの部屋に居るぞ」
「…いや、むり…空間、移動が、磁場の影響を…受けて、私どころか…菊が」

その言葉を聞いて俺は急いで押し入れを開けた。
これは女の幽霊ではない。

菊弘の配下の<人外>の、魔人セルだ。
「どうした、まるで貞子だぞ」

俺の言う通り、そこには赤茶の長髪をだらりと投げ出して、暗闇からずるずると上半身だけ這い出している状態だった。
顔を上げてこちらを見るが、顔も酷い。
まるでテレビの写りが悪いみたいで、ノイズのようなものが走る。

「とてつもない、磁場が発生…これ、以上は…無理、だ」
「菊弘はどうした。連れてきていないのか」
「途中、で…落とし…」

不吉なことを言って、まるでテレビの電源が落ちたかのようにセルは消えた。
そこには、ただ押し入れが布団を収納するためだけに存在していた。

俺は駆け足で控え室に戻った。
「どうした貝木くん、まるで幽霊にでも会ったみたいに怯えて」
「幽霊というか魔人というか…いや、それより菊弘が来れないそうです」
俺が言うと、さっと白智が立ち上がった。
その表情は固い。
「魔人ってことは…?さっきの少量の磁場の乱れはもしかして菊弘さんの?」
モニターを観察しながらキーボードを叩き、はるる子が言う。
「たぶん、そうだと思う…磁場が強くてこちらに来れないみたいなんだ」
{ポンちゃんが来れないのと同じで、霊体やそういったエネルギー体はここに近付けないのかもしれない}
白智は俺の側に来てスケッチブックを捲った。
{菊弘さんはちゃんとした人間だからこちらには来れると思うけど…}
「それなんだが、奴は菊弘を途中で落としたと言った。これがどういう意味か明確には分からないが…」
「まずいな」

加賀がタバコの火をポケット灰皿に落として、はるる子の隣に座った。
「はるる子、急いでハレさんに」
「もう繋いでます」

部屋の中が一気に緊張状態になった。
加賀とはるる子が電話の相手に早口で説明する。するとその緊張をぶち壊すかのように、突如高笑いが響いた。
「笑い事じゃないですよハレさん」
はるる子が冷静にツッコむ。

『だってだって、これは本当にウケちゃったよー!あー、貝木くんも居るんだろう?スピーカーにして彼にも聞こえるようにしてもらえる?』

はるる子は言われた通り、機械を操作してスピーカーをオンにした。
『やあ巻き込まれ体質の貝木くん、君のせいでとても大変なことになってしまったねえ』
「…お久し振りですハレさん」
『うん久し振り。で、菊弘だけど。奴の配下が近寄れないとなればこれは最早君達には手に負えない相手がラスボスってことだから、撤退命令を出すね』
「ハレさん、それは出来ない。その言い方だと貝木くんを置いていくということでしょう」
腕組みして仁王立ちする加賀。その立ち姿はとても綺麗で、絵になる。
『菊弘がそこに向かったということは、その近くにいるということだろう?落とした…ってことは異空間の中なのかもしれないが。それなら私はそこには近寄れない。そういう仕組みだ、守らなくてはいけない仕組みだからねえ』

その言葉に俺が理解できないでいると、白智がスケッチブックに細かく説明を書いてくれていた。
{ハレさんと菊弘さんは、全くの別人だけど同じ性質を持つ人間だから、同じ場には居てはいけないんです。力と力が反発しあって相手を消してしまう、無力にしてしまうんです。貝木さんを単身、ハレさんに会わせたのはそういう理由があったからなんですよ}

言い合いは尚も続いていた。
「ハレさんは無防備な貝木くんを見殺しにするのですか。私とはるる子、白智をこの場に集めた…その影響でこの場に潜む者たちは絶対に今夜襲撃してくるでしょう。それなのに貝木くんを残して撤退しろと?」
『やれやれー。カガキヨさえも魅了しちゃったの貝木くんは?…とんだ女たらしだなあ』
「ハレさん、私はすぐにでもここを離れたいんで撤退命令には賛成です」
『はるる子はそうだろうねえ。白智は?君も狐がいない状態でその場に居るのはおすすめできないな』
白智は、ただその場で押し黙った。
『…あーあ、晴明筋は貝木という男に何か因縁でもあるのかねえ。それとも菊弘が惹かれているから自然と同調するのか…まあいいや、好きにしてくれ。こっちからは何も手出しが出来ない、だから死なない程度に頼むよ〜。君たちが死んでしまっては私はお上に大目玉だ』
ハレは、まるで世間話でもするかのような気軽さでそう言った。
『で、カガキヨの言う通りその場は既に憤りたってるなぁ。さっさと一般市民を避難させるんだね』

ぶつん。
大きな音がして、回線が切れた。
そして部屋の電気が消えた。階下から悲鳴が聞こえる。
長女のフミさんだ。

加賀が駆けた。
白智が俺の手を引いて、はるる子の側に膝をついた。
口元で何か呟きながら、手の中の小瓶を振った。アルコールの匂い。
「おいでなすったぞ!第一波を凌いで隙をついてそれぞれ外に出ろ!」

一階へと降りた加賀は、よく通る声で叫んだ。
その声と同時に、加賀の黒いキャリーケースが勝手に開いて、中から一気に紙が舞い踊った。
まるで意思を持っているかのようにすさまじい早さで空中を泳ぎ、部屋の扉や窓に均一に貼り付いていった。
俺は呆然とその光景を眺める。
紙には、達筆で<封>と書いてあった。

一階も静かになった。
加賀が皆を庇って息を潜めているのだろう。

白智が身動きもせず、耳をそばたてて音を聞いている。
俺はせめて何か出来ないかと辺りを見回す。
「だめですよ貝木さん、あなたと私は無力なんだから」
俺の背後に隠れていたはるる子が、言った。震えている。
「違いますから、怖くて震えてるんじゃないですから意味分かんない」
「…そういうことにしておきます」
意外にもはるる子が怯えていてくれるおかげで、俺は冷静だった。

きーんという耳鳴り。
頭がくらくらする。
俺は意識を手放しそうになりながらも、必死に辺りを警戒した。

こんこん。
窓を叩く音。しかしここは2階だ。
外に人が立てるような場所はない。間違いなく、心霊現象。
こんこん。こんこん。こん。こん。どん。どん、どん、どん!

ばんばんばん!
窓は多方面から叩かれている。割れてしまう。物凄い力で窓が大勢に叩かれている。
はるる子が俺のコートにしがみつきながら呻いた。
「…貝木さん、はるる子さんを背負って連れていけますか?」
白智が静かに言った。緊急事態なので、スケッチブックは使わない。
「大丈夫だ」
「あーーーもう嫌だ…帰りたい…しんどい…」
はるる子はどんどん顔色が悪くなっている。
そもそもが白いのに、もっと血の気が無くなってしまっている。
「はるる子さん、もう少し待ってくださいね。加賀さんがタイミングを作ってくれますから」
「う、もう無理…全部海で死んだ人間でしょ意味分かんない。潮臭い、すごい悪臭」
はるる子は口元を押さえる。
俺は辺りの匂いを嗅いだ。
しかし、はるる子のいう潮の匂いはしない。彼女は匂いまでも感じてしまうのかもしれない。
「ほら、はるる子さんおぶさって」
彼女はとても軽かった。そしてびっくりするほど体温が高い。
背負っている背中が熱いくらいだ。
「白智、いつでもいいぞ」
「うん」

白智は小瓶を投げ捨てる。
窓を叩く音はずっと続いている。

そこには相変わらず姿形の無い者たちが、蠢いている。
寒い。背中に背負っているはるる子の体温だけが異質で、それ以外は全部寒くて、冷たい。

加賀の封印のおかげで、奴らは入ってこられないようだ。
恨めしい視線が、ちくちくと刺さる。
その執念が窓を叩く手にも表れるようだ。窓には傷ひとつ付いていないが、べたべたと手垢が無数に付いている。

唸り声、怪物の吐くような荒い吐息。

もうどれくらい経ったのだろう。数分も経っていないはずなのに、俺はこの異様な空間に閉じ込められて精神が参っていた。
さっきからずっと耳鳴りがする。
そして目眩も。
背負っているはるる子の息づかいが荒い。早くこの場から逃げ出さなくては。
俺の焦る気持ちが伝わってしまったのか、白智が俺の前に手を出してそれを制す。

まだだ、加賀の合図を待たなくては。

落ち着くために、俺が深く深呼吸をしていると、階下から何か紙のようなものが破ける大きな音と悲鳴が聞こえた。
それと同時に窓や障子に貼り付いていた加賀の封印が解けた。

今まで糊付けされていたかのようにピッタリと貼り付いていたその紙が、ふわふわと風に煽られて落ちてしまった。
風?

窓は、開いていないはずだ。

俺の頬を、何かが撫でた。
勢いよくそちらを振り向くが、そこには何もいない。
潮風だ。

俺の右手の窓が、開いていた。

そこから、手が出ている。今、そこから入ってこようと、何かがしがみついている。

「やばい、やばいですって」
背中のはるる子が俺の服を引っ張っている。
やばいのは俺だって分かっている。明らかに人間では無い者が、こちら側に入ってこようとしている。

「加賀さん!」
白智が叫んだ。

そうだ、加賀の封印が解けてしまったということは、加賀の身に何かあったのかもしれない。
相変わらず一階は騒がしい。

白智が俺の手を引いて駆け出した。
俺は背中のはるる子を背負い直す。

白智は障子を蹴破った。
俺がそれに呆気に取られている間にも、背後からは冷たい気配が近付いている。
すぐに階段を駆け降りる。
玄関は閉まったままで、加賀たちは奥の部屋に居るようだ。

「加賀さん!大丈夫ですか!」
白智が玄関を開け放って振り返った。
俺も背後を見る。

しかし廊下にさえ、皆の姿は見えない。
「まだ奥の部屋だ」
俺は、はるる子を背負ったまま奥へと急ぐ。
「ええええ?ちょっと!ちょっと待って貝木さん!?私と貴方が行っても仕方ないでしょ!?意味分かんない!」
「老人と子供が居る、加賀一人じゃ無理だ」

俺はいつもなら絶対にやらないようなことをやろうとしていた。
おそらく映画のような展開に、酔っていただろう。
まるで自分が、物語のヒーローのようなで。
気が大きくなっていた。

廊下の奥へ進むと、襖や扉は、何かで引っ掻いたかのようなおびただしい傷跡がついていた。
早足で進んでいるつもりだが、女一人背負っているのでそこまで早く進めない。それに、足元に何かがまとわり付いている。

見ないようにしていたが、背後ではるる子が小さく悲鳴を挙げたので思わず確認してしまった。
俺の靴下はまるで水の中を歩いているような抵抗を受け、そしてびしょびしょに濡れていた。

廊下の奥から、べたべたした潮風が吹いてくる。
そんなはずは無い。室内だ。
潮風と一緒に、細かい砂塵までもが顔を打つ。

海だ。

俺たちは今、海辺に居る。

「どけぇ!!消え失せろ!!」

突如、俺の鼓膜を怒号が刺激した。
ぼろぼろにちぎられた紙吹雪が、俺の体にへばりつく。
意思を持つように動くそれは、細かく文字が書いてある。

加賀の紙だ。

「出るぞ!」
加賀は、愛菜ちゃんを抱えた長女フミさんの手を引いて、背中に祖父信二を背負っている。
四人がそれぞれ、露出している部分に切り傷を負っているが軽傷だ。
老人とはいえ男を背負ってきびきびと動ける加賀に、俺はしばらく呆気に取られてしまった。
「ちょ、ちょっと貝木さァん!早く!早く出ないと!!奴等が来る!」

背後のはるる子が俺の首を、まるで馬の手綱を操るかのように絞めた。
俺は咳き込みながら、その通りに足の向きを変えた。
紙吹雪が乱舞するなか、部屋の奥からは死臭を撒き散らす何かが、這いずっていた。

玄関から出ると、一気に空気が軽くなり俺はふわふわとした浮遊感に驚いてつまづいてしまった。
背負っていたはるる子を投げ出してしまう。
踏みつけられた猫のような声を出して、はるる子は地面に落ちた。

俺はそのままバランスを崩したが、しっかりとその上体を支えられてしまった。
「菊ひ、」

菊弘ではない。加賀だ。
加賀は俺ではなく、えびす亭を見据えていた。

真っ暗だ。
暗闇に包まれているのか、それともこの家自体から闇が出ているのか。

俺は、本当にとんでもないことに巻き込まれてしまった。

→続く




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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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