詐欺師は誰かと出会う


俺は隣から手が伸びてきたので、咄嗟に自分の体を座席のシートに押し付けた。
「すみません」

ながらく声を出していなかったので、掠れたみっともない声が出てしまった。
すると隣に座っていた女は―若い女だ、未成年だろう―驚いた顔をして俺に声を掛ける。
「え?」
声を掛けるというより、聞き返すというような感じだ。それが正しい。なんだか頭が落ち着かない。夢の中にいるようだ。
隣の女が手元で、メモ帳に何かを書いて俺に見せてきた。

{貝木さん、大丈夫ですか?}
「…………ああ、平気だ」

俺は思い出した。
思い出せたので、大丈夫だと答えた。
詐欺の仕事で、ゴーストバスターとして受けた依頼があってその依頼者の家へ向かう途中だった。
バスに揺られて、うつらうつらしていると隣に誰かが座った。
そこまで混んでいないバスの中なのに、わざわざ俺の隣に座った奇特な奴だ。
俺は視線だけ動かして、そいつを見た。

「…ああ、久しぶりだな」

女―摂津白智は、こくりと頷いてみせた。

白智は狐憑きという人種で、この子には天狐という種類の狐が憑いているらしい。
<あの事件>の後、色々と気になって調べたら、この天狐はすごいおキツネ様らしく、それを自分の体に憑けている白智はもっとすごいということだ。
そんなすごい力の子と何故知り合いかというと、つい何ヵ月か前に俺のターゲットが、この子のターゲットと被ってしまい、口うるさいババアに『白智の件なら関わらない方がいい』と言われた。
が、俺は結局巻き込まれ、この子に命を助けてもらったのだ。
それが<あの事件>のことだ。
何故、俺が狐憑きの事を信じているかというと、それは俺の相棒―仕事のパートナーだ―がそれ以上に怪異じみた存在で、科学上起こり得ないことを解決したり、それを使いこなしたりしているのだがら、信じないということはとても苦痛なのだ。
柔軟思考な俺は、その一切合切を“受け入れる”ことで“受け流して”いるのだ。
それに、“見えてしまったら”俺だってそれを無視することは出来ない。

「今日は一人か」
俺が尋ねると、白智は大きなリュックサックのポケットから手のひらサイズのメモ帳を取り出して、これまた小さなペンで返事を書き始めた。

真剣な表情でつらつらと書き出すのを、俺は静かに見守っている。

バスは静かだ。
起伏の無い、緩やかな田舎道なので、ゆっくりと進んでいる。

白智は俺にメモ帳を見せた。
{ポンちゃんは、来れないんです。場所が場所で、私単身しか行けないのです。貝木さんはどこへ?}
ポンちゃん。
白智に憑いている狐、ポン太。
狐につける名前ではないが、当の本人が気に入っているのだから何も言うまい。
そういえば奴のInstagramの投稿で、しばらく仕事で忙しいから更新できないとかなんとか言っていた気がする。
「俺は仕事だよ、ゴーストバスターのな…まあ詐欺だが」

詐欺と聞いて、白智が少しだけ怯えたような表情をした。
「大丈夫だ、詐欺かもしれないが依頼者は救われるからな」
だが俺があっけらかんと言うので、白智はすぐに笑った。

「そっちこそ、仕事でしかも、ポン太がいないのなら危険なんじゃないのか」
{おっしゃる通りですが、実は私以外にも同僚が集まっているはずなので大丈夫です。たぶん貝木さんも会ったことがある人ですよ}

同僚。
白智の言う同僚は、菊弘たちのことだ。
菊弘―例の相棒―は、日本の裏側で国を守るなんかスゴい組織の一員で、菊弘は“人外”を集めたチームの隊長だ。
白智は、同じようなチームの一員で、それと菊弘を含んだチームをまとめるのが、 ハレという女だ。
俺が会ったことがあるのは、そのハレと、探知能力に優れたハッカーの女―はるる子と、記憶は消されてしまって曖昧だが、文字使いのカガキヨ。

それらが集結している?

{海のそばの、えびす亭というところの依頼を受けたんです}

白智は、俺にメモを見せた。
俺は、聞き覚えのある単語に、目眩を覚えた。


それから、さっきまでの記憶が曖昧だ。
白智は心配そうに俺を見ている。

俺と白智以外の乗客は、このバス停では降りることはなかった。
海沿いの崖の道。
そんな辺鄙な場所には誰も用事は無いだろう。

俺は、ぼーっと道の先にある料亭“えびす亭”を眺めていた。

バスは一日に、朝と夕方の二本しか無い。
俺は依頼主に勧められて、泊まりの予定だった。
それでも荷物は最小限だ。

帰ろうと思えば、帰れる。自分の命と、金とではもちろん、命を優先する。
別に渋っているわけではない。

ただ、白智と偶然会って、しかも向かう場所が同じというのは最早何かの啓示であると思っていいだろう。
嫌な予感がする。
関わらない方がいい。

前回、白智の件に関わったとき痛い目を見た。
だから俺は、ここですぐに帰るべきなんだ。

「貝木さん、帰りますか?」

白智が、いつの間にか遠くにいた。
それでも、彼女の声はよく響いて俺に届く。

白智は言葉の力が強い、だから彼女は喋らない。
いざというときしか。

「帰った方がいいですよ、貝木さん」

「…いや、俺は……行く」

俺は自分の発した言葉にびっくりした。
俺は帰るべきだ。帰りたい。逃げ帰りたい。絶対になにか悪いことが起きるに決まっている。

だが、俺はそれとは反対の言葉を発した。
白智はそれを聞いて、悲しそうな顔をした。
「…やっぱり、貝木さんは呼ばれてしまったんですね」

呼ばれてしまった。
まさにそうなのだろう。
ここに来るまで頭の中に霧のかかったような、熱に魘されているような違和感があった。
しかし、バスから降りてえびす亭を目視した時に、その違和感はすーっと消えていった。

俺は、呼ばれてしまったのだ。





えびす亭には、三世帯の家族が住んでいる。
しかし、長女の婿・弘樹さんと、次男の嫁・啓子さんは大怪我をしていて今はそれぞれの実家に帰っている。
その大怪我が発端で、家の中でおかしなことが起き始めたのだ。

そもそも、祖母のツネさんが急な心臓発作で亡くなり、この家―えびす亭に親族が集まってからその異変は起きた。
長女婿の弘樹さんは、車庫の屋根裏の倉庫を整理していると、その中で誰かに突き落とされ背骨を骨折した。
しかし、倉庫に居たのは弘樹さんのみ。
親族は誰もそこには行っていない。

次男嫁の啓子さんは、庭の掃き掃除をしていると足を滑らせて落ちたという。
えびす亭の庭の外は、崖になっておりその下は海だ。
しかしちゃんと丈夫な柵が設置してあるし、唯一海に出る石階段の入り口も鎖と鍵で施錠してある。
それなのに、啓子さんは石階段を滑り落ち、尾てい骨と足の骨折をした。

既に啓子さんの方は全快しているらしいのだが、気味悪がってえびす亭の方には帰らなかったそうだ。
そりゃあそうだろう。
俺は、依頼してきた次男・継夫さんにそれなりの事情を聞いているので、えびす亭で迎えてくれた長女のフミさんの疲れきった顔に驚くことはなかった。

えびす亭は、会員制の料亭を兼ねた宿だ。
会員制というのも、開業の昭和の頃から馴染みにしている常連を大事にしたいという初代の方針を今まで守ってきたからだ。
その会員の中には、有名な議員も多数居る。

白智たちは、その議員からの相談で動いたそうだ。
「そちらは、継夫が依頼したゴーストバスターさんですね」

長女のフミは、じろりと俺を睨み付けた。
俺は真剣な眼差しで答える。
「お力添えになれればと思い、お邪魔させていただくことにしました。ご安心してください、私は彼女たちと同業ですから」

同業、と言われて白智が目を見開いた。
俺はこんな年端も行かぬ少女に嘘の片棒を担がせようと言うのだから鬼畜だな。
だが背は腹に変えられない。

俺と長女フミの視線を受けて、白智は大きく二、三度頷いた。

「はぁ…ではお貸しできるお部屋は限られていますので、同じ部屋を控え室に使っていただくことになるかと思うのですが…」
「大丈夫ですよ、私たちは寝ずの番をすることになりますからね」

俺の言葉に白智も頷く。
俺は出任せで言ったのだが、彼女たちは本当に寝ずの番をするつもりで来ていたのだろう。

…まあ、申し出れば仮眠くらいはさせてもらえるだろう。
「ええっと、貝木さんでしたっけ。弟は…継夫はまだ仕事ですのでまた後で挨拶に向かわせますね。私たちは、祖父と奥の部屋におりますから」
「では、お祖父様にご挨拶をしてもよろしいですか」

俺は礼儀正しく順序を踏んでいくつもりだった。
ここでの大黒柱に挨拶しておくのは当たり前だろう。
長女フミは、驚いた顔をした。
「え?あ、ああ…そうですか?あぁ、はい…分かりました、ではご一緒に…あ!いえちょっとこちらでお待ちくださいね!」
「は、はぁ…」

玄関先からまっすぐの廊下を、俺たちを置いて長女フミは掛けていった。
なぜそんなにも慌てる?
俺が小首を傾げていると、ついついっと白智が俺のコートの裾を引っ張った。

{たぶん、挨拶なんてしてないんじゃないかな?私の知る限り、あの人たちはそういうことはしないから…}

あの人たち、と白智は2階を指差した。
既に白智の同僚が来ている。

俺は妙に納得して、ちょっとだけ笑った。

「貝木さん…と、摂津さん。お待たせしました、すいません荷物はこちらにでも置いてくださって構わないので、どうぞ。奥には台所と私たち従業員の住居スペースになっておりまして、仏間が祖父の部屋です。今はみんな、その…怖がって、そこで寝ております…すみません散らかっていまして」

長女フミの言葉にお構い無くと貝木が声を掛けると、その普通の人間とのやりとりで少し元気を取り戻したのか、色々と声を掛けてくれる。

「すみませんね、その…先にいらした方がその…あっけらかんとしていたもので…」
「こちらこそ失礼しました」

白智がか細い声で言った。
貝木は驚いて視線を落とすと、メモ帳をさっと見せてくる。
{喋らなすぎるのは、失礼かと思って}

この子は、この子なりに気を遣っているんだな。
「まあ話すのは俺に任せておけばいい」
俺が小声で言うと、白智は嬉しそうに笑った。


「床からすみません、貝木さんでしたね」
祖父の信二が、喉を潤すためにお茶を飲んだ。
「いえ、こちらこそこのような時に大勢で押し掛けて申し訳ありません。次男の継夫さんからご相談を受けて居てもたっても居られなくなり、参上した次第であります。この度は…」

貝木は下座で深々と頭を下げる。

「いえ、頭をお上げください。私たちも切羽詰まっておりましてね。頼れるところには相談し尽くして…そのような時に、とある議員さんがお声をかけてくださってその、彼女たちを…」
「はい、丁度良かった。私と彼女たちは同業者でしかも知り合いです。今回は彼女たちと協力してやっていくつもりですので。ホント、これについては運が良かったと思います」
「ところでその、既にいらしてるお2階の…加賀さんと土御門さんにはある程度事情をお話ししたのですが…」

加賀さんというのは例の文字使い、カガキヨだろう。
しかし土御門、という名字は初耳だった。
俺が知らない人物も来ているらしい。
だがまあ、きっと俺のことは彼女らには周知だろう。

「ああ、そういうことでしたら二度手間になってお祖父様にも奥さまにもご負担が掛かりますね。私たちは私たちでで動きますので、あなた方には極力、お話を聞く程度だと思います。ご安心を。祈祷などに参加させるとか、あちこちにつれ回すだとかは致しませんから」

俺が言うと、祖父も長女もほっとして息を吐いた。
次男の継夫からは、数々の霊能力者だとか祈祷師だとかに相談してお祓いやら祈祷やらやってもらったことを既に聞いていた。
その、霊能力者や祈祷師が、失敗していることも。

「ではこの辺で失礼を、打ち合わせもありますので」
「はい、あ…お夕飯になったらお呼びしますね」
「それはそれは、ありがとうございます。何から何までお世話になります。ついでにご夕飯にこの家の皆さんとお会いして、挨拶を兼ねて少しだけお話しをさせていただきますね」
「はい、もちろんです…ありがとうございます」

長女のフミは、出会ったときよりも幾分か明るく笑った。




白智の分の荷物を持ってやると、俺の後ろを申し訳なさそうに着いていく。
「気にするな、これくらいやる」
この子はこうやって遠慮しがちだ。前回会ったときも菊弘にあれやこれやと物を与えられて、あわあわと申し訳なさそうにしていた。
まあ、あれは世話焼きすぎだと思うが。

「失礼しますよ」
声を掛けて障子を開ける。
控え室、として当てがわれた拠点は、広い畳の部屋だった。
恐らくは宴会場として使うのだろう。
部屋の隅の方で、たくさんの座布団の上で、ふかふかの羽毛布団がもぞもぞと動いていた。

そして窓の桟に腰かけて、高い外国のタバコを吹かしているパンツスーツとヒラヒラのついたシャツの、女優みたいな人物。
てゆうか宝塚の男役。
「あれっ貝木くんじゃない?もしかして呼ばれちゃったの?」

端麗に整ったその顔で、目を見開いてビックリした顔をされると、まるでこちらが舞台の上で劇をやっているかのような気分になる。
カガキヨ。例の文字使い。
茶色のベリーショートの髪には軽くパーマが掛かっていて、ふわふわと無造作にアレンジしてある。そして腰のところくらいまで伸ばしている後ろ髪。いわゆるロングウルフ。
今時こんなヘアスタイルの人間がいることに驚きだ。

「呼ばれちゃった?は?貝木…?ってあの!?」
布団の中から、 白髪混じりの黒髪を適当に肩の辺りまで伸ばした女が勢いよく出てくる。
俺は、奴が服を持っていないという前情報を、記憶の底から呼び出せたのでサッと顔を背けた。
「…意味分からないんだけど、本当に貝木さんじゃん」
しかし、その全裸で布団を被る女―はるる子は、真っ白いブランド物のジャージを上下きちんと着ていた。
「今日は着てるんですね」
感心して俺が言うと、はるる子は小さな黒目を精一杯大きくして、
「人を露出狂みたいに言わないでくれます?意味分かんない」
と腕を組んで怒った。
彼女のねぐら…大量の座布団と羽毛布団の周りには、やはりたくさんのパソコンと様々な機械が並んでいた。

「私が買ってやったの、だって外に連れ出すのに羽毛布団にくるまって行こうとするんだからさぁ。あっ貝木くんどうもこんにちは、うろ覚えだろうけど私が加賀キヨだよ」
タバコを消して、加賀が俺に握手を求めてきた。
おそるおそるその握手に応える。

「そんなに怯えなくても!かわいいねぇ、記憶消去はハレさんの指示がないと出来ないから安心して」
いや別に怯えているわけではないのだが。
加賀は背が高い。
俺と同じくらいたっぱのある女なんてそう居ない。しかもこれで純日本人だというのだから。
初めて見たときは、外国人だと思ったくらいだ。
体も豊満な肉付きで、がっしりとしている。

「白智も長旅お疲れさま」
加賀が声を掛ける。
いつのまにか俺の背後に居たはずの白智は、既に自分の荷物を広げて作業に取りかかっていた。
加賀とはるる子に笑い掛ける。

「ところで俺はここの次男坊にゴーストバスターとして依頼を受けたんだが…あんたらが居るんならそれに混ぜさせて貰いますよ」
「もちろんだよ!てゆうかこっちとしては一緒に居てくれないと困るなぁ、勝手に単独行動しないでねぇ。あとこれ、持っておいて」
加賀は、真っ黒いキャリーケースからB5用紙を一枚取り出すと、万年筆で<お守り>と書いた。
そしてそれを俺に持たせる。
俺は丁寧に折り畳むと、上着の内ポケットに仕舞った。

「てゆうか菊弘さんに連絡して持って帰ってもらいましょうよ」
はるる子は、いつも下がっている眉をもっと下がらせる。
「いやいや、それも可能だろうけど貝木くんが<呼ばれちゃった>んなら無理でしょ?根本的に解決しないじゃないか」
「えー…加賀さんが守ってくれるのは私だけでお願いしますよお、力が分散されるの困るー」
「はるる子、あのねえ今回は白智も守護が無い状態なんだから二人も三人も変わらないよ。まあ一応菊弘さんに一報はしておいてよ」
{ごめんなさい、はるる子さん}

白智がいつものスケッチブックを胸の前に抱えて、困った顔をする。
「いやいや、白智ちゃんが謝る必要無いから。謝るのはまんまとお呼ばれしちゃった貝木さんだから」
はるる子は俺に冷たい視線を投げ掛ける。
俺はわざとらしく話題を反らした。
「そういえば、もう一人、土御門という人が居るんじゃ?」
「土御門って私ですけど。意味分かんない」

はるる子がぶつぶつと文句を言いながら、ねぐらに戻った。

広い座敷に、それぞれが好きなところに自分のスペースを作っている。
俺は自然と白智の近くに居座った。
「これから何をするんだ?」
「まだ決まってないんだよ、ハレさんの指示待ちさ。でも各々やることは大体決定だね。白智ちゃんは頼りの狐さんが居ない状態だから、自分の守護と祓い、その他もろもろ出来ることをやる。はるる子には守護も祓いも出来ないから、感知や情報収集、連絡係だね。で、私は二人…いや、貝木くん合わせて三人の守護が主な仕事だよ」
「皆さんが来ている時点で知ってたんですが、じゃあここには相当な奴がいるってわけですね」
「白智ちゃんの狐さんが退けられるくらいのレベルだからねえ。無関係の貝木くんを引き寄せてしまうし、こりゃ予想よりはるかに相当だよ」
加賀はからからと笑った。
笑うところじゃないと思うのだが。

「ねーえ、貝木さん。菊弘さんと電話繋がってるんですけど?代わってくれって」
はるる子が、気だるそうにピンマイク付きのヘッドフォンを外した。
「めっちゃ怒ってますよー意味分かんない」
俺は、はるる子の側に行く。
ご丁寧にはるる子は、皆に菊弘の声が聞こえるようにスピーカーフォンにしてくれた。

『帰ってきなさい』

もしもしと言う前に、菊弘の冷たい声がそれを遮った。


→続く




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