原作沿いの流れ


しくしくと泣いているラプラスの悪魔。時間はかなり経った。
だが、彼にしてみれば時間などなにかのついでに起こる物事であり、重要視されるものではない。時を刻むのは生きているモノだけだ。彼は生きているというには少し強大過ぎる。
これは、生き物ではなく知的エネルギーの塊だ。普通であれば、このように泣いて悲しむという行為など絶対にやらない…否、出来ないはずなのだ。だが、ラプラスの悪魔はヒトとの無謀な夢の中のゲーム盤にて交流をし、感情を知り、そしてヒトという生き物の素晴らしさを知った。
自分を生み出し、そして消し去ったその非道な生き物を、彼は愛してしまった。
中村慈半が苦しむなら、その苦しみを彼女に分からないように軽くした。
苦しみを消し去るのは、罰を受けたい彼女にとってそれこそ必要ないことだ。風邪を引いて熱を出せば、5日で完治するという観測を見て、3日で完治する未来に導いた。彼のやっていることは、未来の選択。身勝手な改変。だが、根本が違う。
彼はすべての事象を予測し観測することが可能な知的エネルギー。超人的知性。
彼が見る未来は、事象は、すべてがあり得ることであり、あり得ないことである。どれを選択しても構わない。未来を変えるのではなく、予め観た未来を選ぶだから問題はない。世界線は無限に存在する。修正の抑止は働かない。彼は、全知全能でもあった。
だが、その自覚はない。自覚はないし、悪用もしない。個人的なことに使っているだけで、それはもっとも悪魔らしい。
何もおかしいことではなかった。
愛した人間…契約者を守るのが、彼の目的いきがいだった。
風邪の治りを早める行為が、がん細胞を常に殺し続け、頭を撃ち抜くはずだった弾丸をひたいの鉢金で弾き飛ばし、突っ込んできた車のタイヤを滑らせた。そこまでして、彼女の寿命を延ばしたのは、いつか来る終わりが怖かったからだ。

中村慈半は死ねば、自分のものになる。
魂は自分と同化し、そこで終わる。それが彼女との契約であり、絶対の約束だった。
ラプラスの悪魔は、悪魔としては初仕事であり何もかもがわからなかったが、とりあえず検索してみてそれらしいものを当てはめた。
悪魔は人間…契約者の願いを叶えるのを引き換えに、その魂を貰う。それを自分のやり方に当てはめただけだった。
おそらく、れっきとした悪魔であれば何がなんでも契約者の魂をさっさといただくに限ると考え、あれこれと卑怯な手を使うものだが、ラプラスの悪魔にそれを中村慈半に行うことは毛頭なかった。それほどまでに、彼女に惚れ込んでいたのだ。
中村慈半は、願った。自分に力を貸してくれと。お前の最大限の力を、ワシに貸してくれと。
それは一回きり、夢の中のゲーム盤の中での願いだった。それでも、シド・ネムレースはラプラスの悪魔は、彼女の守護霊でもするかのように永遠に彼女を助け続けた。
そうして、終わりが来た。老いた彼女は、彼に一言だけ言った。

「お前、何回もワシのこと助けよったやろ?そげんことしよったら、契約内容が釣り合わんやんけ」
─馬鹿なやつだな。
にかっと笑うと、そのまま俺を撫でてくれた。もうヒトの形はしない。彼女とヒトの別れをしたくないからだ。化け物らしく、人外の姿で彼女を頭からぱくりと飲み込んだ。

「なあ、涙が枯れてしまうよ」
頭上で、声がする。ゆっくりと顔をあげると、足があった。暗い紫のかかとのないぺたんこの布靴が見えた。じわじわと視線を這って行かせる。二本の脚。和服の裾。柄の入った帯と襟元。手首と首をぴっちりと覆うタートルネック。長い髪が、影と一体化して少しだけうねっていた。ああ、顔は見るまでもない。だが、見入ってしまう。美しき我が永遠なるつがい!
「まあ涙が枯れるなんてこたぁ、あり得ねえとばってんな?」
「慈半クン!!」
ラプラスの悪魔は、条件反射でシド・ネムレースの姿を取った。黒いスーツ姿に真っ赤なヒールが光る。そのヒールの影に、彼女の影は纏わり付いた。
「これは、これはどういうことですか?俺が、貴女を?」
「作ったってか?今までのとは違ぇと思うぜ」
彼女は慣れた手つきで懐から煙管入れを取り出し、煙管に火を入れた。その所作にぼうっと見惚れながら、シドは口をぽかんと開けている。
「い、今までの記憶が…?」
シドの両目には、涙がたまる。その目は、シドのものではない。どこまでも暗い宇宙の瞳だ。代わりに、彼女の目は深い青と輝きの黄色だった。
「そりゃあお前が見てたもんは覚えとるでよ、お前の中にずっとおったとやけんな」
「……俺が、貴女の魂を取り込んだので」
「おん、ずっとお前と一緒やったでよ。ほんでなんか知らんけど一生懸命ワシば作りよるけん…口出しは出来んし見とっただけ」
「ごめんなさい」
消え入りそうな声で、シドは言う。
「謝らんでよか」
彼女はにこりともせず言った。
「あれは悪いのは我らがお兄ちゃんずやけん、お前はなんも悪くねえでよ」
「でも、でも」
「ええやん、結果としてお前がぼろぼろぐだぐだずるずる泣き出したでワシはこうして外に出れとるとやけんよ」
「………え?あ、そうだそもそもどうして俺と別個体になってるんです?どういう仕組みですかこれ」
シドはおろおろと彼女の体を触った。たしかにそこには実体がある。現界している。れっきとした人外として。
「お前の涙からワシの成分が漏れ出して、ほんでさっき全部出し切ったみたいでよ。あーなんか動き回れるかもしれんと思っていろいろ試行錯誤してたら立てた。慈半が立った」
「そんなク○ラが立ったみたいに言われても…」
「慈半、大地に立つ!トゥティトォーン…ティドゥン!」
「ガン○ムじゃないんだから…え?本当に?マジでそうして出来上がったんですか?」
「お得意の観測で見てみりゃええやんけ」
「うわ本当だうまいこと一人で魔力を形にしてるコワ」
「ワシもびっくり。人外の才能発揮、次の仕事はこれを生かすに限るぜ。人外の仕事ってなんやねーんて感じやけど」
「………」
「ジョークやん」
シドは、へらっと笑う彼女の顔を見て、また泣けてきた。子供が泣く前みたいに、じわじわと顔を崩して、そうしてぼろぼろと大粒の涙を漏らす。
「う、う、ぅええ…っ!うわああああ~!あああああ!あーあああぁああ!」
身長190弱の大の男が、みっともなく声をあげて泣いている。彼女に抱きついて、そして立てなくなってそのままズルズルと膝をついた。彼女はい優しくそのまま抱いて、背中をさすってやった。少し笑う。その喉の奥で笑うのが、とても魅力的で、そして安心して、シドは形を保つのが嫌になった。ぐねぐねと空間がねじれると、シド・ネムレースはラプラスの悪魔に戻った。それでもまだ、ヒトの形は保っている。彼女に抱きしめられるには、この形が一番いいのだ。一番似合うのだ。
「よしよし、よしよし。でけえガキやのお…」
「慈半、慈半、慈半」
名前を呼び続けるので、時折返事をしてやりながら、白い髪を撫でた。自分の真っ黒な髪が、地面まで伸びてへばりついているそれが、そこに混じる。ほんわりと、暖かくなった気がした。
「………魔力供給って出来とるん」
慈半は、ぼそりと呟く。
「…ぐすん、ぐすん、で…できてると、おもいま、す…」
「これ?今影が繋がっとるやん、お前とワシとで魔力パスし合いながら増やせていってるとな」
慈半は、ラプラスの悪魔が考えていたことを言った。彼の中に溶け込んでいたので、記憶はもちろん考えていたことも分かっている。
「微量、ですが…確実に増えては、いますね…………あ、どうしよう」
ラプラスの悪魔はハッと顔をあげる。涙でぐしゃぐしゃで、目元と鼻は真っ赤だ。
「実験が成功してしまった…」
「おん、月人に報告しに行かないかんなぁ」
「………うぅん…」
乗り気ではないようだ。
「なん?そのためにやりよったんじゃろ?出来たよーて言うてやれや。なんかいつまでも月におるのも飽きてきとるやろ?だけん、こげん無謀なことば始めたとだけんな。あれやったら人間が生きとる世界線に移ろうや、ワシらだけで魔力増やすんもキツイじゃろ」
「いやあの、ほんとごもっともなんですけど…てゆうか人外に慣れすぎてて怖い。慈半がすんなり人外出来てて怖い…」
「お前の中におって同化しとったどだけんそりゃそうじゃろがい、今初めて人外になりました~生まれたてで~すってわけじゃねえんだから」
「あの、えっと…」
ラプラスの悪魔は、その場に正座した。それにならって、慈半も真向かいにあぐらをかく。
もじもじと、指を動かしながらラプラスの悪魔は言葉を探していた。
「…だがまぁ、考えものでもあるな。このままハイこれが人間だったものですよーちゅうて月人にワシを差し出してもええもんか、と。筋書き、変わるよな?ワシにお前ほどの観測の力はねえけどよ。お前と繋がってるとなんとなぁし分かるんよね」
「うん?あ、あぁそうですね…たしかに彼らに人間という要素を与えてしまっては、大きく改変することになってしまいますから…これは我々主流の世界線ではないので」
「最初から奴らに人間を差し出す気はねえんだろ?ましてや“我が永遠なるつがい”なんて」
ラプラスの悪魔は、慈半がニタニタしながら言うので今更恥ずかしくなった。
「どうする気だ?ワシとしては、最初の案で行きてえ」
「最初の、というと…人間だった中村慈半のようなものを生成し人外として確立することは出来たが彼女に人間だった時の記憶はあまり残っておらず、体もすでにラプラスの悪魔と同じく知的エネルギーに変わってしまっているので月人たちの研究の助けにはならないと説明する…と、いう案ですね?」
そうそれ、と慈半は煙管を咥える。
深く吸って、そして紫煙を吐き出した。
「じゃねえとこっちまで戦争に巻き込まれるだろ?それともなにか。どっちも滅ぼしちまうか?」
「物騒ですね…」
「ワシはもともとヒトキリやっで。今や人外さまだ、なんでも殺せるだろうよ」
「……ひとまず争うのは無しで。もし彼らやほかの何かが我々の行動を邪魔するというのであれば」
「お前も一緒に戦う?」
ラプラスの悪魔の答えを分かっておきながら、慈半は聞いた。やはりニタニタと笑っている。
「む……いや、戦闘は……今はもう【シンベエ】と【スコット】の要素は無いので…あれは夢の中での特別付与でしたから」
「いやいや。やってみらんとわからんぞ?実際やってみたことなかろうが?」
「とにかく!嫌です!争いは無しの方向でって言ったじゃないですか!もう!」
口を尖らせて言えば、慈半がその唇をむにっと指でつまんだ。されるがまま、ラプラスの悪魔は続ける。
「あのね、まぁその…月人たちに対しては提案のとおりでいいと思うんです?」
「おん」
「……報告は、もうちょっとあとでもいいかな~って……」
ラプラスの悪魔は、慈半の着物の裾をそっと掴む。どうしたおまえ、と慈半が呟けば、ちらりと上目遣いで視線を送るだけだ。
「……………。もっかい、ギュってしてください」
「はぁああああ?お前お前お前お前可愛いなァおい??」
光の速さで慈半はラプラスの悪魔の腰をかき抱いた。そのまま立ち上がり、自分の寝室を目指す。
「きゃあああああ!?そういうことじゃないそういうことじゃあないです!ないんですよ慈半クン!!」
「おい、真名で呼ぶな」
「だ、大丈夫ですよ!その点はきちんと対策済みです!俺と慈半クン以外には意味不明な言語に聞こえますから!」
「ふぅん?どうすんの、それ?」
「無麻なはゴーメどゆゃとちなくはイロどせら」
「ああ、“多言語シーザー暗号”な。よし分かった、秘密の会話はそれで行こう」
「お願いしますね」
「ど、ばえぢ胴呈けあ。ソャケセせれ潤尾ひ術莱ちき?」

─出来てません!!
ラプラスの悪魔の悲鳴がこだまする。
─私たちはグズなんだ。
月の王は自らをそう紹介した。彼らは人間だった頃の、骨・肉・魂のうちの魂である。浄化出来なかった魂。
彼女は、それを『亡霊』だと称した。まさにそうだろう。
「気味が悪ぃ。散々人間様が謳ってきた宗教ってやつが、マジで科学的な面で通用してるだなんてな。信じられねえわ」
煙管を吹かしながら、慈半は笑いながら続けた。
「葬式なんてもんは、遺された人間のためのもんだと思っていたがね」
「しかし貴女の言う通りですよ。肉、骨、魂に分かれて…それで祈りによってその魂は分解され、純粋な魂となって宇宙へと放出するだなんてわたしから見てみればそれは不思議だ。そんなこと、観測したなかでも特異です・・・・・・・・・・・・
ラプラスの悪魔は、自分の触覚を触っている。
「だが、その宇宙へ行った魂はどっか別の宇宙に吸い込まれて…ほんでそこはきっと何もなくて、安寧の世界だとは言っとるが…人類はそれを観測せんやったとやろ」
「ああ、それに関しては間違ってはいません。そのような観測結果もわたしが確認しています。人類は、そこまで到達したのですよ。人は天国とか地獄とかを夢想していましたが、それは本能で別世界があるということを識っていたということですね」
「そこに祈りが必要じゃ、ちゅうのが意味分からん。比喩か?」
「それについてはわたしも知らされていません。観測も曖昧です、なのでこの…慈半クンが生成されたことで協力関係というものが蜜になると思うので…」
「ワシらは秘密を持つが、奴等には知ってること全部話させる魂胆やな?いいねぇ、シド。いや、違うか。どうすっかな、呼び方」
「シドでいいんですよ」
「ワシにはアナグラムの偽名があんのに?」
「そもそも、シドが偽名…仮の姿の名前みたいなものですし」
「ラプちゃんて呼ぶわ」
「まぁ、お好きに」
外を見ると、星の内部から鉱油がせり上がって都市を作り出していた。月は朝になった。


「外に出れば出るほど、これは月とは思えんな」
「それもそうだ、あなたの知る月とこの星は違う。この星の輝きは、攫ってきて粉々にして撒いた宝石たちの輝きだからね」
ふわり、と慈半の背後に男が舞い降りた。初めは仏教な雰囲気の格好をしていたが、段々と装いが変わる。オールバックのスーツ姿になったのを見ると、慈半はそのままの姿で頭を下げた。
「王との謁見にて、私服で喫煙するのをお許しくだせ」
「なにも気にすることはない。あなたは私の友人の大切な人だ、そしてスペシャルゲストだからね」
月の王は、少しだけ微笑んだ。
「事情は…話はラプラスの悪魔から聞いている、記憶は曖昧になってしまっていると」
「こうして姿形、自意識を確立させることが精一杯だったので。期待に添えず申し訳ない。いずれその辺の過去の記憶や知識、なんとかしてサルベージしてみせますでな。そうすれば、あんたらの人間の研究を手助け出来るはず」
「急く必要はないよ、ゆっくりでいい」
「だが、早く死にたいのだろうに」
慈半の言葉に、月の王は表情を硬くした。
「死、とはまた…少し違う」
「らしいな。ワシにはまだ理解しきれん。すまんの」
フランクになった慈半を見て、月の王はふっと笑った。
「ラプとは新婚旅行のつもりで過ごさせてもらいてえんだが?かまわんか」
「…新婚、旅行?」
「……好きなもん同士が一緒になれたんで、それをお祝いする旅みたいなもんだ」
「それは人間の文化か」
「だろうな、口から勝手に出た言葉だが…そういうもんは染み付いているらしい。思い出す、というよりはこんな風にこぼれて出てくるようだ」
「なるほど。多少面倒かと思うが、あなたには我々の死る歴史…人間の文化などを一度目を通しておいて欲しい。自身の知るものとの差異を聞かせてもらいたい」
「わかった、協力する。レポートにでもまとめるで、暇な時にでも読んでくだい」
慈半は頷いて、紫煙を吐いた。
「だが聞いてくれ。ワシの魔力値はまだ不十分じゃ、睡眠はあんたらの倍以上は必要になってくる」
「ああ、あなたが元気な時…いや、気が向いた時でいいんだ」
─急ぎはしないよ。
月の王は、そう言うと広間から去っていった。


「気味が悪い」
慈半はベッドであぐらをかきながら、ぼりぼりと尻をかいた。
「彼らは無感情なのが基本です。無理矢理、人間らしさが呪いとして染み付いているだけで、長すぎる時間をさまよう月人はほぼサイコパスと化しています。お仲間ですね」
「えっ」
「お、自覚がないフリ。面白いですよ」
慈半が枕を掴んで投げると、顔面でそれを受けるラプラスの悪魔。
「な~んか、意地悪したくなるよなぁ」
「やめてくださいってば」
「死にてえって言ってるんなら殺してええやん」
にやにやと、慈半は笑う。自分の右隣から、異空間を出現させて物質を生成する。その光景はまるで、慈半が夢の中で得た能力スタンドのそれに似ていた。
自分が愛用していた、ククリ刀が出現する。
「相手は魂ですよ?斬れませんて」
「じゃあ、食ってやろうぜ。ワシらの魔力にしちまおう」
「…………ダメですよ?」
「おい今一瞬、名案ですねって顔したろ」
「いや、実は」
ラプラスの悪魔は、目を泳がせながら言った。
「一度食べてみたことがあります」
おおー、と慈半は感心してみせた。真面目ないい子ちゃんの、悪魔らしい部分があったことに驚いている。
「だけど、ものっすごく美味しくなくて…なんて言ったらいいんですかね。わたしは貴女の魂を食べたのが、最初で最後なんですよ」
「おう、そんで?ワシのは美味かったんか?」
「それはもう!美味しいとかそういうレベルじゃなくてですね、心が満たされるというか…多幸感に溢れるというか…食べて良かった、という気持ちでいっぱいになるんです。いつまでもいつまでも口の中で咀嚼して、じっくりと細かく溶かしてあたためながらじわじわと少しずつ喉元に流し込んで………おほん!と、とにかく。月人は不味いんです。栄養も無いです」
「そりゃ参ったね、ワシらが食ってやればそれは救いになったかもしれんのになァ」
「ええ、それは彼らも同じことを考えていたようですよ。わたしの最初の一口を咎めなかったのは、食べられてもいいと思っていたからでしょうし」
「辛気くせえ。折角の月だってのに…」
「慈半クン、ここは貴女の知る月ではないのですよ」
ラプラスの悪魔は、寂しそうに笑った。ここは、既に人間は存在しない世界。星も、宇宙も、まるで異なる世界だ。
「地球だって、もうただの星のカケラのようなものですからね」
「行ってみたい」
「ワガママ言わないでください、そんな突然は無理です。それなりに重力とか気圧とか酸素とか考慮しなくちゃ到底出来ませんよ。今の貴女に出来るんですか?」
「ガン◯ムなら大気圏突入は容易なんだが?」
「わたしにガン◯ムを作れと…」
「お前が、ガン◯ムだ…!」
「俺が…ガン◯ム…」
「すげえなお前、スパロボの刹那とヒイロのやりとりまで完璧なん。愛しとーよ」
「わたしの観測力を舐めないでください、いやそういうことに使うのやめてください」


月人と宝石たちの戦いを見ていると、酷く遠回りというかなんというか。
慈半は月の王の観察する部屋にて同席しており、延々と繰り返される攻防を見ていた。
「そうか、実験なんやもんね」
「…どうした、ミス・ジャン」
月の王・エクメアは眼鏡を取った。
「いやほら、金剛を起動させるための実験なんやわ。あんたらがやっとるんは」
「……ああ、そのとおりだ。じゃああなたは今まで一体何だと思って見ていたんだい?」
「戦争」
「戦争…」
「殺し合い」
「…違うね。我々の目的は金剛を起動することだ、殺し合っているわけではない。実際、宝石たちは失われてはいるものの、殺したという感覚ではないよ」
「壊しとる」
「そうだ」
二人の会話を、後ろの方で鉱油のデザートを食べながら聞いているラプラスの悪魔。
「だがまあ、言い方を変えれば月人たちと金剛の戦争でもあるわな」
「金剛には戦争をする意思はない、あれは攻撃をされたから防いで反撃をしているだけだ。そうプログラムされている。ロボットと我々自由意志のあるものの戦いを、はたして戦争と言うのだろうか」
「言うやろ、あんたらは金剛をロボットロボットとは言うがね。ワシからしてみればあんなもんはロボットの域を超えとるよ。ありゃあ…そうだな……ロボットのような考え方をしている知性、って感じかな」
「なるほど、興味深い意見だ」
エクメアは椅子をぐるりと回して、慈半の方に向き直る。
「ミス・ジャン。ではあなたはアレを、どのようにして祈らせる?あなたの作戦を聞いてみたい」
「簡単じゃ、直接地球に降りてって話をしてみる。攻撃してくるのなら防いで、まず疑問をぶつける。何故、祈らないのかと」
「壊れているからだ」
「壊れている、とわかっているのなら何故あんたらはいつまでたってもその出来ないことをやらせようとしている?・・・・・・・・・・・・・・・・・

(慈半クン)

ラプラスの悪魔は、慈半にテレパシーを送った。これ以上の突っ込んだ会話は、今後に影響があるらしい。
「ま、壊れとる確証ないしなぁ。金剛の反応をあれこれ観察してみらんと始まらんか」
「そうだ。…実はこの間話していた<博士>が完成した」
「人間が?」
「いや、それらしく作った模型…だろうか。一度あなたに見てもらいたい」
「わかった、あれか?人間研究所にあるんか?」
「ああ」
「あとでラプと行く」
「えっわたしもですか」
「ワシらニコイチやっで」
「にこいち、とは?」
エクメアが首を傾げる。
「二個で一個、的な?ふたりはひとつみたいな。超仲良しさん、ってこと」
慈半の説明を聞いて、エクメアは興味深そうに頷いた。

月にフォスフォフィライトが持ち込まれた。
「慈半クン、転機です」
ラプラスの悪魔は、月の裏側にある邸宅の一室でくつろいでいた自分の片割れにそれだけ言うと、せかせかと外出の準備を始めた。
慈半はというと、いつものように月人が書いた史記を読みふけりながら煙管を噛んでいた。火をいれずに、ただ吸い口を咥えて舐めるだけだ。
「慈半クンってば、転機ですって!」
「月はいつだってお天気ばい」
転機turning point!」
「はいはごめんって、すぐ準備するって…」
慈半は欠伸をしながら立ち上がると、部屋着からいつもの和服に着替えた。
ラプラスの悪魔も、シド・ネムレースのときの装いに変わる。目の色だけは、変わらない。漆黒だ。
あの金糸雀色と深い青色のオッドアイは、慈半に引き継がれていた。


実質、ふたりは監視下にあった。しかし、月人が見ているふたりの監視映像は、ラプラスの悪魔が作り出した(正確には、算出して選び出した)ふたりが特に何もせずに自堕落に月で過ごす世界線の映像であり、ふたりの言動は全く把握されていなかった。
それでも、エクメアは…月の王は、慈半が人間だった頃の記憶を有していることに勘付いているだろう。
しかし強制的に吐かせようとしないのは、元来争いへの気力が存在しないからだろう。
ラプラスの悪魔は、別にこのまま月に居ても良かったのだが、慈半が嫌がった。
そもそも、ラプラスの悪魔は居場所を求めてあちこちを移動しているわけではない。やることがないので、ただふわふわと漂っていただけなのだ。しかし、今は目的もやることもやりたいこともたくさんある。
慈半の意見に賛成だった。

─この月を出て、地球を見たらそのまま人間の存在する世界線へと移動する。

地球へ行けば、多くの魔力を仕入れることができるだろう。
月人から聞く限り、人間の存在が無いあの地球は、自然が神代の頃とほぼ同じ環境らしいのだ。大地の力…マナが大気中に溢れており、ふたりはそこで深呼吸をして魔力値を十分に補給して、そしてそのまま異空間移動をしてしまう算段だった。
それを可能とする転機が、ラプラスの悪魔によっていくつかピックアップされていた。
そのひとつが、フォスフォフィライトの月来訪である。
もちろん、そのことは月人に知らせていない。
「宝石たちが…フォスフォフィライトがここに来ることによって、現状はかなり変化を起こします。混乱、とは言い難いですが我々のことを構っている暇はなくなるでしょう。もちろん監視は続くでしょうが……それに、何度か宝石たちが地球に帰るのは観測しています。なんならそれについていってしまえばいい」
「…宝石がワシらを連れてってくれると思うか?」
「………3パターンあります。フォスフォフィライトが我々を信頼し、我々の力を必要とするので同行させてくれるのと、月人が宝石側を探るために第三者として我々にスパイさせるのと、空気が読めない慈半クンが『えっワシもしかしたら地球に戻ったら人間のこと思い出すかもしれーん』とか言ってしゃあなしフォスフォフィライトが連れていってくれるのがありますけど…」
「最後のはアホっぽいから無しな。ほんで最初のもそうだ、それだとワシらが地球に着いた後きちんと仕事ばせないかん」
真面目ですねえ、とラプラスの悪魔は笑う。
「だったらスパイも駄目ですね。のすっぽかしちゃえばいいのに…」
「おいおい、お前仮にも悪魔だよな? 契約、いや約束ってのは守らんといかんぜ。そういう制限を自分に課すことによって技術が洗練されるっちゅーもんじゃ」
人間の頃の生き方が、慈半には染み付いていた。
「じゃあどうするんです?わたしが観測したパターンのなかでも、成功率の低いものも算出して検討します?」
「ううん。もっとカンタン。お前がこう…大気圏突入可能なボディになって、ワシも中に入れて、ほんで地球に突っ込む。きちんと着陸できるんなら、できた方がええばってんな。最悪隕石みたいな形になって墜ちていくってのも有り」
「…ごめんなさい、それは考えてなかったのでそもそも観測に表れてませんでした。ハイ、今出ました。それだと7パターンです」
「1、ガン◯ム。2、ゲッター◯ボ。3…」
「いやいやロボットにはなりませんからね。貴女はそもそもわたしと同体なのですから…貴女それ自分がパイロットの計算でしょ?とにかく、出発する時はわたしの内部に収納しますけどパイロットと機体の関係にはなりませんからね」
「3のエヴ◯が近いんじゃね?」
「人造人間でもないですから」


「フォスフォフィライトなら、地球に向けて出発の準備を始めているよ」
「えっ!もう帰らせるんですか?」
ラプラスの悪魔はぎょっとした。思わぬ展開に、慌てている。観測要素に、フォスフォフィライトの予想だにしない行動を考慮していなかった。
「帰るのではなく、宝石の仲間たちを説得してこちらに連れてくるそうだ。大丈夫、動きを把握できるように細工はしてある」
「…そうですか。じゃあ帰ってくるのもしばらく掛かりますよね。見てみたかったのに…」
焦りを表に出さないように、ラプラスの悪魔はそう言って誤魔化した。
「らしいね、きみの片割れはもう見に行ったみたいだ」
「………え?」
慈半は、エクメアの元にいないと知ると霧散して、そして地球へ飛び立つための場所へと既に向かっていた。

「ふぉすほひらいと?」
「………。まぁ、呼びにくいのはセミのときに知ってたからいいんだけどさ。なに?」
フォスフォフィライト…フォスは、背後からの呼びかけに応じた。出発の準備のために、服を着替えている。
「すまん、だいぶ呼びにくいわ。ワシあんま宝石の種類知らんしよ、ほすふぉひらいとなんて初めて聞いたし」
「フォスでいいよ、セミもそう呼……なんだあんた、なんか他の月人と違うな?全体的に、黒いし…なんか格好も違う」
「おん、月人とは別の種族?だけんね」
「え、なんでそこ疑問形なわけ…」
「ワシは元・人間じゃ」
慈半の言葉に、フォスは固まる。目を見開いて。その反応を見て、慈半は感心する。
「ふぅん?人間を知っとるんやな?」
「…僕たちより前の動物、だと聞いている…」
「うーん、まぁそうか。そうなるわな」
「え、え、え、いやあの、ちょっと待ってくれる…?そんな話ひとつも聞いてないぞ!?おいエクメア!!」
「ちょっとどころかあと五億光年は時間を止められる、だいぶ待てるぞ。どんなことも答えるけん、何でも聞いてくだいよ。あと、エクメアにここの空間の声は届かんでな。今はふたりだけの秘密の対話じゃ」
慈半はそのまま椅子に腰かけると、煙管に火を入れて深く吸い込んだ。
現状を理解出来ないフォスは、パニックに陥りながらも質問を絞った。
「じ、時間を止める?」
「おっと、そこからか。うんとね、これは~…そもそも時間ちゅーうんは知的生命体が定めたものであって…心臓を一定のリズムで動かしている生命体に時間というものは必要なのであって心臓を動かす必要のない我々には時間の中に縛られることはないわけよ。月人もそれに当てはまりそうなもんじゃが、彼らはその永劫なる時間で苦痛を強いられるという罰を受け続ける必要があるっぽいんで 時間という概念は必要やね。貝もそう、あれはきちんと交尾をして子孫残していってるから月日を折り重ねないといけなくて」
「ごめん待った、いいや。そんなワケのわからないことより別のことを聞きたい」
「おん、そいでええよ。まあとにかく、今は時間を止めとるけん気にせんでよかっちゅーことよ」
「…にんげん、って言ったよな?あんたたちはそんなことができるのか?」
「できない」
「なんであんたはできてる?」
「もう人間じゃねえから。もう一人片割れの人外…人間じゃないものをじんがい・・・・って呼ぶんやが…まぁもう一人ワシよりすごい奴がおるんよ。ワシはそいつと人間の時に契約して、魂をそいつにやるってことを決めとったんじゃ。魂のことは分かるよな?」
「…月人たちは自分を魂だと、貝は肉。そして僕たちは骨だと」
「その言い方は気にくわねえんだよなぁ。ワシにしてみりゃ、お前らは人間の進化というよりは別種の進化だ。宝石…お前らは微生物の超進化だと思うし、貝たちは人間以外の生物の環境下に適応した新人類に近いと思う。月人はよう分からん。本当にあれが魂の残滓だとはワシらには確認する術もねえし…月人や宝石は、人間が永遠に求めていた不老不死を手に入れているがね、それはおそらく我々にとっては進化ではあるが、失敗だ。大失敗だな」
慈半の言葉に、エクメアの言葉を思い出すフォス
─みんなを自由にしてやりたい。
「不老不死は不自由か?」
「いいやまったく。そうは思わない。ワシは不老不死を手に入れてとても充実しとるでな、まぁたしかに生きがいだとかやる気はそがれていってる気がすうね。時間はいくらでもある、という考え方のせいで嫌にのんびりだ。だが、ワシには片割れがおるで退屈はせん」
「エクメアは知ってるのか?」
「月人にワシが人間だったということは知られているが、その頃の記憶は曖昧だという風に伝えてある。徐々に無関係なことをポツポツと報告はしているばってん、研究に大いなる進歩を与えんようにしとる」
「……なんで、そんな妨害を?」
フォスは少しだけ、口角をあげた。こちら側なのかもしれない、と思ったのだ。
「妨害とは少し違うね。ワシがやらねばならんと思ってることをやっとるだけじゃ。それはお前ら宝石もそうじゃろ?ワシは、人間が一度滅んだんならそのまま滅んでおくべきだと思っとる。そりゃワシらは人間がおらんと困るばってんな…」
「じゃあなんで!取り戻せるかもしれないのに、それをしない?しないでいられる?」
フォスは、自分がやろうとしていることを否定された気がして、思わず語尾が荒くなった。
「終わりがないことは苦痛だと思うからだ。お前だって、終わらせようとしてるじゃあないか?宝石を攫わせないために、仲間を失わないために終わらせようとしている」
「………」
フォスの中で、再び混乱が生まれてしまった。考えがうまくまとまらない。
慈半は、ため息と一緒に紫煙を吐くと呟く。
「しまった、やっぱこういう接触はせんかったが良かったな。…どげん仕組みやったっけ?中のインクなんちゃらって微生物が記憶しとるんやったっけ?そいつ取り除かせてもらうな?」
足元の影が、髪が、細く細く伸びて瞬時にフォスの体内に侵入した。速い。時間は止まっているので、速いもなにもない。


「気分良くなりました?」
「良くはないが…てかお前ほんとについてくんの?」
「はい!」
「大丈夫かよ……まぁいいか。行くぞ」

フォスを乗せた船が、出発した。

「なぁんか、地球がこんだけ近いのも変なんよなぁ。もっと遠かった気がするんよ」
「ジャン・ハイ様」
おっすおっす、と慈半は月人たちに挨拶をする。出発の後片付けをしていた月人たちは、微笑んだ。
「もう少し早ければ、例の宝石に会えましたのに」
「そうなん?ちと寝坊しちまったなぁ」
慈半は笑った。それより遅れて、ラプラスの悪魔もやって来る。
「会えました?」
「遅かったてよ」
足元の影が、ラプラスの悪魔の影にくっついた。混ざり合う。それでラプラスの悪魔は全てを把握した。
(宝石側との接触も、やめた方が良いみたいですね)
肩を竦めると、慈半も同じように肩を竦めた。
(殺してやれんのなら、ワシにできることはもう無え)
吐き出した紫煙が、行き場を失って宇宙に溶けていく。

フォスが連れてきた宝石は、全部で8人。
ベニトアイト。
アレキサンドライト。
ゴーシェナイト。
ダイヤモンド。
カンゴーム。
イエローダイヤモンド。
アメシスト。
パパラチア。

「どうします?それぞれみんなが馬鹿じゃありません、我々のことをすぐに信頼するとは思えない」
ラプラスの悪魔は、スーツ姿で言った。それが正装らしい。慈半は黒のワンピースを着てくつろいでいる。
「接触するん?」
「した方が良いと思います」
「ほんなら最初のアイディアで行く?」
「やはり…彼らの信頼を得て、地球へ降りる。それが一番良いと思んですよ」
「じゃ、エクメアに仲介を頼もうぜ」
「ではわたしが」
とん、と軽く跳躍して、そのまま天井を通り抜けていく。慈半はおおー、と 感嘆の声をあげながらそれを目で追った。

「愛の装甲とでもいうべきか…ふむふむ」
「どした?」
セミは小難しい顔をして言った。フォスとパパラチアは、セミを見上げる。
「と、いう話はしたかな?と王子が」
「は?聞いてない!」
「今の王子のマネです」
「にてる~!」
「では、皆様の宿泊所をご案内します」
「え、装甲の話は?」
「のちほど」
え…うそ…。フォスは気になる話題をお預けされて、ぽかんとした。その会話を後ろの方で隠れて聞いていたラプラスの悪魔。にゅ、と床から生えると、そのまま壁をどんどんすり抜けていって、エクメアの居る部屋へと到達した。
「月の王、話がある」
「ラプラス。丁度良かった、私も話がある」
ワイシャツにスラックス姿のエクメア、そしてそこにブラックスーツのラプラスの悪魔が向かい合う。
「宝石たちにわたしたちを紹介して欲しいのだが…」
「ああ、そのことだ。もちろんそうする。そしてこれからは、君たちにも協力をあおぎたいんだ」
「…金剛を起動させることは手伝えない」
「分かっている。君に出来る事は些細な事しかないことを踏まえて協力を求めているんだ。藁にもすがる、とはこのことだな…」
「焦っているのか?」
ラプラスの悪魔は、触覚を漂わせる。周囲に複数の気配を感じた。宝石たちが集まっている。
「フォスが仲間を連れてきて発展があった、今後月人の革新も期待出来る。私もあれこれと手が回らなくなってしまうだろう…だから、君とミス・ジャンに少し手伝って欲しいんだよ」
「ああ、友人の頼みとあれば」
微笑むと、エクメアも同じように笑った。
「行こう、宝石たちに<愛の装甲>の話をする。ミス・ジャンも呼んできてくれ」
「来とるよぉ」
慈半は、ドアをノックしてから出てきた。じゃあ、行こうかとエクメアは二人を連れて宝石たちの住居へと向かう。大広間、ロビーのような場所には大きすぎるソファーが置いてある。

「装甲の話か」
フォスがエクメアに歩み寄った。
「そうだ、その前に友人を紹介させてくれないか?」
「あっエクメア、みんなを戻してくれんだって?」
「エクメアありがとー、エクメア」
「しーっ!こいつ、自分の名前呼ばれんのやだとか訳わかんないやべーやつだから、あんま刺激すんな!さっきもキレて壁溶かしてたし」
「すごい言われようやな」
慈半は後ろの方でくすくすと笑った。
エクメアごめーん、と宝石たちは再び名を呼ぶ。
「……で、友人だが…」
「こんにちは、宝石の皆さん。わたしが<ラプラスの悪魔>…シドです。こっちは<ラプラスのゴースト>…ジャン」
ラプラスの悪魔は、綺麗に笑った。皆は警戒している。
「らぷらす?なんだそれ。…月人、なのか?」
フォスの言葉に、慈半はデジャブを感じた。しかし、それはもう<なかったこと>だ。
「月人はもちろん、あんたらや貝たちとは別種の生き物じゃ、今はこの月に居候しとるとよ。あんたら、仲間を助けたいんじゃろ?ワシらも出来る限り協力するでな。仲良くしてねーってこと」
「まぁ、親愛を深めるのはのちのちでいいだろう。これから金剛について説明させてもらう、ラプラスたちも知らないことだ」
「敵を知らねば何も出来ませんしね」
ラプラスの悪魔は、肩をすくめた。
「金剛は、人間に好意を持たせる物質を発する」
エクメアの言葉に、慈半が眉を動かした。
「…金剛は、人間により作られたが全ての能力で人間に優る。そのため嫉妬と嫌悪の対象となり、感情的理由で廃棄される可能性を危惧した製作者が、補助的につけた性能と思われる。人間の3分の1を抱える我々も、微弱ながらその影響を受ける。長期かつ、近距離で交流する君たちへの影響は大きい」
「初耳だ」
慈半の言葉に、エクメアは頷いた。
「おそらく…元・人間のあなたもその影響を受けるだろうと思っている」
「ちょっと待てよ?」「もと、にんげん?」
宝石たちはざわついた。ラプラスの悪魔が説明を始める。
「彼女は生前、わたしの契約者でした。悪魔という生物は、今やこうして実在していますが彼女が人間だった時代ではおぼろげなものでした。ええっと、悪魔の説明はまぁ置いといて。とにかく、わたしは彼女と契約関係にあったんです。わたしは彼女を守り、彼女はその代償に死後、魂をわたしに捧げるという契約でした」
「で、死んでこいつに魂を食われて、めっさ時間経って、この間復活したんよ」
「訳分かんなくなって来たな」
ゴーシェが顔をしかめた。
「ま、ワシは元・人間。それだけ分かってりゃええよ。ただ、人間だった頃の記憶はあやふやでな。金剛についてはよう知らんし、あんましそういう点では力になれん。すまん」
「ミス・ジャンはそもそも金剛が作られる何千年も前の時代の人間なんだよ」
エクメアの説明のあとに、フォスが尋ねる。
「その、ミス…というのはなんだ?」
「ああ、君らは無性だものな。ミス、というのは女性に対してつける呼び名だ。男性にはミスター」
「好きに呼びゃあええよ、気軽にジャンでええし」
慈半は宝石たちに柔らかい表情で言った。
「話を戻そう。…君たちは金剛に対して、明らかな異形であるにも関わらず無条件 親愛があり、脆く割れる君たちが二人一組で自発的に行動する…狭い地とは言え、散開し我々を待ち構える。種を守るための効率的な戦闘とはとても言えないな…むしろ」

─君たちが中央にいる金剛を守る構造だ。

慈半は頷く。守りの配置。これは日本の武将が本陣で控えるというよりは、王がただひたすらに籠城するような形に近いとさえおもっていた。
「金剛がそれを放置しているのは、何度試みても自身の性質から、原子配列さながら自然とその形になってしまうからだろう。よって、現状に落ち着くしかなかった」
「そういうところは機械的ですね」
「機械の性質を理解しているふたりがいるのは、こちらもありがたい」
ラプラスの悪魔の相槌に、エクメアは少し嬉しそうに答えた。続ける。
「さて、ここでクイズだ」
「わーいクイズだ~」
慈半が子供のようにはしゃいだ。
「金剛は人間にとって最も尊いものを君たちにも与えた。何かわかるかな?」
フォスの答え。
「美形」
「ああ…まあそれも尊いが……」
「思いやり」「いたずら心」「元気」「愛くるしさ」「優しさ」「それ!」「ワシにはさっぱり」「右に同じですね」
「正解は」
たまりかねてエクメアは皆の言葉を遮った。
「自由だ」
「……そうかぁ?」
慈半が訝しげに顔をしかめた。
「金剛は、大切な宝石たちを閉じ込めておくことはしなかった。金剛が与えられるものは少ないが、その中でもっともセンスが良い。厳しい制御の中にいる自身への裏返しか、あるいは…」
エクメアは皿の上の<実>を、少しだけ切り取った。
「君たちにかつての主人である人間に近い存在でいてほしいのかもしれない」
切り取ったものを、匙ごと背後に控えていたセミに与えた。セミは嬉しそうにそれを受け取る。
「地上を離れた君たちは、金剛の影響から少しずつ抜けていくだろう。鉱石生命体本来の正気と誇りを取り戻し、協力してくれ。本当の自由は、自ら手に入れるべきだ……そしてミス・ジャン」
突然の名指しに、慈半は煙管を取り出す手を止めた。
「実験に協力して欲しい。元・人間が、金剛の前に現れたとき、金剛がどのような反応をするのか。服従する姿勢を見せるのか、またはあなたの性質を見抜いて敵対するのか…攻撃するのか、を。愛の装甲についての影響も調べたい」
エクメアの言葉に、一番驚いたのはラプラスの悪魔だった。隣のエクメアを、目を見開いて見つめる。
「地球へ向かう舟は我々が」
「だめです」
「…ラプラス、もちろん君も同行してくれ。それなら安心だろう」
「わたしが同行したとしても、彼女を危険な目に遭わせることはできません。断固拒否します」
ぴり、と空気が固まった。ラプラスの悪魔の白い髪の、一本一本の柔らかさがなくなっていた。
「……ふたりで塾考して欲しい。以上だ、宝石たちはこれからよく休んでくれ」
暗い雰囲気のなか、フォスが唐突に立ち上がった。
「パパラチアとイエローを連れて夜襲をかけたい」


─絶対にゆるさない。
慈半の身体中には、白く細い線が何重にも絡み付いている。ぎし、ぎし、と軋んでいる。
「……いや、地球へ行くためにゃあの任務をこなした方がええじゃろ…?」
「ダメです。絶対にダメ。貴女が傷付く可能性がある、それは許可出来ません」
「おい、その言い方だとワシがお前の私物みたいに聞こえる。言い直せ。今なら許してやる」
「貴女はわたしのものだ!!」
ラプラスの悪魔は、慈半の首に両手をかけた。ぎゅっとそこに力を入れる。ぐえ、と慈半は少しだけえずいた。だが、呼吸の妨げにはならない。肺を動かして呼吸をしているわけではないからだ。
「………お前が一番分かってるんじゃあねえか?ワシがあの人以外に飼い主ぶられるのは、嫌だってことを」
「わたしが作った、わたしが生み出した貴女だ。わたしの分身です、わたしの体から生まれた、わたしの中から剥離した、所有物であること飼い主飼い犬の関係は異なります」
「ははーん?だけんワシの体には傷一つねえんだな?背中の傷、ありゃあシンベエが残したものだしな。首の刺青は、ワシがあの人の所有物である意味合いを含めたもんだ」
慈半は、にやにやと笑った。ラプラスの悪魔は、目を見開いて彼女を見下ろしている。怒り、そして憎しみ。それが彼女に向くことを堪えるように、感情を出さないように必死だ。
「なぁ、よく聞けよワシの可愛いペットちゃん?ちぃと金剛と遊んでくるだけじゃろ?宝石たちの攻撃も受けるかもしれん。ばってん、フォスの言うとった夜襲に乗っかるのが最善の策だ。なあ、そうだろ?お前もそれを分かっとるけん、先の出来事に怯えてる」

挑発的な慈半は、目をギラギラさせた。
「いかに低かろうと、ワシが宝石たちと渡り合える可能性に賭けろ。それに…ワシひとりでやるんじゃねえ。お前も戦うんだよ、ラプラスの悪魔」
「……だ、だから…なるべく穏便に…」
とたん、ラプラスの悪魔はしゅんとした。弱くなる。慈半に巻きついていた髪は、そのままふわりと舞った。そのまま重力に従い、普通の彼の髪になる。
「よし、ワシがお前の戦闘の師匠になったるけんなァ……」
慈半はとても嬉しそうに笑った。ラプラスの悪魔は、今にも泣きそうである。
「や、やだ!いやです!やりたくありません!」
「心配すんなって、お前の元になっとるもんは大分強ぇからよ。おにいちゃんがんばって」
「お兄ちゃんじゃありませんし!!わたしは違いますからね!?」

慈半の服装が変わる。戦うときになじみ深いものだ。
黒の隊服。腰のベルトには、二本のククリ刀が差してあった。


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