ほのぼの短編集






―――甘い悪戯



人臭いのが立ち込める。
人間が、女達が生きている場所。嗚呼人間臭い。
窓の外から伺える所業は、如何にも目を逸らしたくなるような痴態。
女はわざとらしく嬌声を上げ、男は阿呆のように絶頂を楽しむ。
嗚呼愚かな男。騙される男。馬鹿じゃないか、と吐き捨てれば
ふと中の女と目が合う。

女が騒いだ。

男は、しぶしぶと温かい女体から離れ、

窓を開ける。

誰も居ないよ、と言えば
嘘よちゃんと見て、と怯える。

私は屋根の上に移動した。


ああ寒い。

何時かの草原に寝転んだように、屋根瓦の上で空を見上げれば
憎たらしく名月が少しだけ欠けている。
明日の夜は、おそらく見事な満月であろう。

だから明日は、死神の仕事は出来ぬ。
今夜のうちに、片付けておきたい。

死亡予定者は、娼婦とその相手の男。
娼婦の死因は性病。男の死因はアルコールの大量摂取による心筋梗塞。
死亡時刻は二時間差。
男が先に死、女は後を追うようにじわりと死ぬ。
私としては、審判をしないといけないので
早めに離れて欲しいものだが…




なかなか男が外へ出ない。
寒空の下、白い息を吐きながらもう一度覗いた。ぶらん、と逆さまになる。

男は、女の隣ですやすやと寝息を立てていた。

…おいおい、勘弁してくれ
私は、脱力した。これじゃあ死亡予定時刻はともかく、審判が…

「なんだい、可愛い顔して寝ちゃってさあ」
女は、悪態をつきながらも
優しい笑顔で男の髪を撫でている。
「…なあサリー。俺さあお前が居てよかったよ」
男は、もごもごと呟く。
「はん、何言ってんだい。女なんて沢山いるだろうにアンタ」
「それでもよ、それでも。こうやって優しくしてくれんのはお前だけだ」
「…そうかい」
男が、そうだよ、と言った。

私は、逆さまになったまま
とりあえず、眺めていた。



嗚呼人間の匂いは 好きじゃない。
私の心に、何かを芽生えさせる。

人と己は 既に別物として、異物として考えていた。

しかしあの、呪われし若き伯爵や
狂い不幸せを背負った哀しき女を見て
接して
なんだかかけがえの無いものにへと 変わってしまった。



寒空、明日は満月の欠けた月。

私を嘲笑うかのように 見下ろしている。


私は、二冊の本を取り出した。
葬儀屋と御揃いの、ピンクのしおりをその片方に挟む。
眠っている、男の時間は止まった。


女の死亡予定時刻は、朝焼けが始まるころ。

ふたりは 





心地よく眠りに着いたまま…

天国へ召されるだろう。












翌朝。
ファントムハイヴ家の庭で、洗濯物を干す従者。
その後ろで、チェアーに座り紅茶片手に新聞を読む少年。
「坊ちゃん、今朝の特報はなんでございますか」
そして傍らで恭しくマフィンを切り分ける執事。
「…そうだな、特にこれと言って興味を引くものはないが」
ばさり、と少年が新聞を伸ばす。
「お、これは…」

「どうなさいました?御主人様」
洗濯物を干し終えた従者は、微笑みながら少年のもとへ歩み寄った。
「読み上げてみろ、セバスチャン」
「この記事ですか?…どれどれ」
従者は、執事の隣に並んで新聞を覗き込んだ。
「‘幸せな恋人たちの、訪れた死。互いに体を寄せ合って、ほぼ同時刻に逝く’…早朝未明、○○街通りの売春宿の一室で、男女の死体を発見。死亡予定時刻はほぼ同時刻と云う検死結果が出されたが、死因はまったく異なり、女性が感染症による病死、男性がアルコールの大量摂取による心筋梗塞であることが判明。しかし二人は、とても気持ちよさそうに眠りについており、苦しんだ様子は見られなかった。この結果に担当した監察医も「まさかこんな偶然があるとは思わなかった。これは死者への冒涜かもしれないが、死神の悪戯のように感じた」とコメントしている。女性の同僚は、男性との関係についてこう語る。「あの二人は仕事とかではなく普通に仲が良く…」
執事が淡々と読みつなぐ。
ここまで読んで、少年がそれを制した。
「…死神の悪戯だ、と」
少年が、笑いながら云う。
「普通は天使の悪戯…とおっしゃいますよね?」
従者は、首をかしげた。
「そうだな、でも天使はそんなことしないだろう。…本当にこれは優しい死神の仕業かもしれないな…。ラクス」
「そうかもしれませんね」
従者・ラクスは、静かに笑った。



厨房で、昼食の下ごしらえをする二人。
セバスチャンは、黙々と作業を続けていたがふとその手を止めた。
「?どうなさいましたセバスさん」
ずっと玉葱のみじん切りをしていたラクスは、そんなセバスチャンに声を掛けた。
後ろを向いていたセバスチャンは、ゆっくりと振り向いた。
「意外に、酔狂なことをなさるのですね」
笑いながら、言った。
「…なんのことでしょう?」
「お分かりになられないのなら結構です、私の独り言ですから」

悪魔は微笑んだ。
「死神の悪戯とはよく言ったものです。人間に平等であるはずの神が情けをかけた、ということですからね」
ラクスは、口元だけで笑っている。
「一体どうなさったんです?坊ちゃんだけでなく、只の商売相手に情を移すとは…。とある一日だけ人間の体になってしまう故の、作用なんでしょうか?」
「さあ?…どうでしょう」
「あの方が耳にしたら、憤慨するでしょうね」
「グレルは馬鹿にするだけですよ。…セバスさん、貴方何が言いたいんですか?」


しばしの沈黙。

「では、正直に申します」

悪魔は、にたりと笑った。
「甘くなりましたね」



「…甘くてはいけませんか?」
「いいえ、ただ」


「ただ?」

ラクスの瞳は、光を含んでいる。
いつもの彼女ならば、その双眼に光は宿さない。
彼女が
人間になっている証拠だった。

「ただ…そういう人間は、私たちにとってとても魅力的であるといいたいのですよ」


悪魔は、一瞬のうちに女のそばに寄った。
「…発情期ですかね」
女は、悪魔を見ずに言う。
「腹が減ったのならら、私でも喰らってみますか?」
「強がるのは滑稽ですよ、ラクスさん」
悪魔が、笑いかけた。
「まあ警告だとでもお思いください。これから色々と物騒になりますし」
「私が死ぬとでも考えておるのですか?」
「とんでもない。人間ならまだしも」

悪魔は、女の顎をくいっと持ち上げた。
女は悪魔と目を合わせる。
「あなたは神でしょうに…」
悪魔が、静かに顔を近づけた。



「あの、セバスさん」
ラクスは困ったように眉を下げた。
「これは…どういった」
「……いいえ、何でもありませんよ」
セバスチャンは、ぱっと離れた。笑っている。
「さ、早く仕事を済ませてしまいましょう」
「そうですね、早くしないと御主人様がお腹をすかせて待っています」



この悪魔は、と。ラクスは考える。
甘い悪戯で済ませようとするから怖い。
女は、気づかれないように笑った。




―――月を見せに

夜。

冷たい風がどこからともなく吹いていて。
隙間という隙間を探して、室内へ侵入。ああ、その冷たさは己の心情を表すのか。




葬儀屋は、珍しくワインを空けていた。酔ってはいない。ちびちびと、舐めるように飲んでいる。


(今、何時だろう)




時計がぶら下がっている灰色の壁に目をやる。


「丑の刻…か」




自分で言っておきながら、何故丑の刻などと特別な言い方をしたのか…わからなかった。

ぼうっと、酸素が回らなくなった脳でそのことを考えることにする。
他にやることはない。

きぃん、という音。
それだけが支配して。

しかしやがて、別の音が聴覚を刺激する。



カツン、カツン。

カツン、カツン。


一定のリズム。

カツン、カツン、


コツ、コツ、コツ…





「丑の刻…参り、か」



幻聴のはずなのに、納得してしまったのは何故か?

「呪っているのは?」


誰か


「呪われているのは?」





小生だ。



「何を独りで喋っている」



突如、耳鳴りと幻聴が消えた。

いや消えた…ではなく、消された、の方が近い。強制的なイメージだ。

「…羅刹天?」


葬儀屋は、振り返ってその名を呼んだ。

「飲んでるのか、珍しい」

感心したように、羅刹天は目を開いてみせた。
灰色の瞳。
月の光で、濁った銀に見える。

眩しい。


「…………眩しいと思ったら、」

葬儀屋は目を細めた。

羅刹天の背後の窓が開いている。彼女は窓からやって来たのだろう。

ああ、じゃああの音は彼女の靴音か…。
(なぜあんなことを考えたんだ、小生は)

「月の光か」

「眩しい?…月の光がかね」


羅刹天は、くすりと笑う。窓に腰掛け、月を見上げた。

葬儀屋もそちらに近寄る。足取りがふらついていた。
酔っていないと思っていたが、違ったらしい。
その様子を見て、羅刹天はまた笑った。
葬儀屋が羅刹天に支えられて、窓の外を見る。

「ああ、眩しいよ。今日は見事な三日月だねぇ」


ニヤリと笑ったような月が、二人を見下ろしている。


「見事だろう。私もそう思ったよ」



羅刹天は笑う。

彼女は何故そんなに楽しいのだろう。
葬儀屋は、ふと考えた。他に考えることがない。

「ねぇ羅刹天?なんでここに来たんだい…?」

「んん?別に対した理由じゃない」


羅刹天の体に寄りかかったまま、葬儀屋は顔を上げた。
意外に距離が近かった。
あと少しで、鼻がかする。


「月が綺麗だったからな、見せようと思って来たのだよ」



やはり彼女は、美しく笑った。

「………それだけかい?」



それにつられて、葬儀屋も笑う。彼女が笑えば、自然に笑える。
昔からそんな気がしていた。
こんな存在でも、彼女の側なら赦される気がした。


「それだけさ。他にはない」

「まぁ…、確かに月は綺麗だけどねぇ」



ひっひ、と

ひきつった笑い声で肩を震わせれば、

かすりそうだった互いの鼻頭がぶつかった。

“あイタ!!”と羅刹天がのけぞる。
のけぞると頭を壁で打つ。

その姿はたまらなく愉快で、葬儀屋は声を立てて笑った。
そして彼女も一緒に笑った。




「あ〜……今宵は良い日だ」







月下で逢瀬は叶わぬなら


せめて君にこの月を見せようと、




「ねえ羅刹天、今なら何してもいい?」

「………何言っとるんだお前は」








―――子守唄

シエルはふと、体を起こした。

「………おい、ラクス」

静かに従者の名前を呼ぶ。
消えてしまいそうな声だったが、従者にはそれが聴こえたらしく…

「お呼びしましたか?御主人様」

と、微笑みながらシエルの部屋に入ってきた。
片手には、湯気の立ち上がるカップを乗せた盆を持っている。
「いかがいたしましたか、お眠りになれませんか?」

「…少し、目が醒めてしまってな」
シエルは、ふかふかの枕に上半身を沈めた。
「さっきから横になっていても眠れない」
「私めをわざわざ呼ばずとも、セバスさんを」
「奴はダメだ。一度、眠れなくて奴を呼んだら特に役に立たなかった」

シエルはそう言うが、事実とは異なっている。
役に立たなかったどころか、シエルはたちまちに眠ってしまったのだ。
セバスチャンが用意した、紐にぶら下げたコインによって…


「あんなの許さん。あれは主人の安眠を思っての行動じゃないな」

シエルは少し語尾を荒げた。
その時のことを思い出しているのだろう。
「それはセバスさんなりの思いやりでございますよ」
「思いやり?」
「ええ、そうですよ。…では御主人様は、セバスさんに子守唄を歌ってもらえればご満足いたしましたか?」

ラクスはシエルの隣に立った。
セバスチャンが自分のために子守唄を歌う姿を想像して、シエルは青冷めた。
「ね、思いやりですよ」
「…そうだな、そういうことにしておこう」
シエルはため息をついた。
「だが僕は満足してないぞ。あんな子供だましで…」

まだ根に持っているらしい。
ラクスは苦笑いする。
「それにくらべ、お前はその辺の気がきいている」
「おや、お褒めに上がり光栄でございます」
「ココアをわざわざ用意しているとはな」
「あ…これは……」

白いカップには、ココアが揺れている。
ラクスはそれをシエルに渡した。

「自分で飲もうと思って用意した物でございます。たまたま執事室に向かう途中、御主人様のお声が聴こえたもので…」
「……そういうことか」

シエルはやはりため息をついた。
受け取ったココアを返そうとする。
「いえいえ、どうぞお飲みください」

ラクスがわたわたとつき返す。
そうか?と呟いて、シエルは恐る恐る飲んだ。

「体が暖めれば、少しは眠くなると思います」
ラクスが言う。
「それとも、私めが子守唄を歌いましょうか?」
「…ああ、頼む」


「………へッ!?」

ラクスは変な声を上げた。
「なんだ、歌えないのか」
「い、いや…冗談のつもりで申したのですが…」

シエルは、ココアをぐっと飲み干した。

「何でもいいぞ。別に日本語でも構わない、それなら歌えるだろう」
「そ、それはその、知らないとかそういう問題ではありませんが…」

ラクスは、おろおろする。
「正直に申しますと、恥ずかしいやらなんやらで…」
「僕がお前の主人だからか。じゃあ今だけ、お前は僕の…そうだな」

シエルはさっさと布団にもぐりこむ。

「母親にしては若いか…、じゃあ姉だ。一応女だからな」

「あ、姉でございますか」
「そんな気持ちだったらやりやすいだろう?そら、歌え」


シエルはニッと笑う。
ラクスは、肩をがっくりと落とした。
それを見て、また笑うシエル。
ラクスの反応が面白いらしい。

「で、では…私めの故郷の子守唄を」

「日本語か」
「ええ、しかも方言ですので御主人様にはチンプンカンプンかと…」
「構わない、子守唄なんてどれも一緒だ」
シエルは布団を剥いだ。

「…ご、御主人様?それは一体どういう…」

「子守唄を歌うのに、お前はそこで立って歌うのか」
「……御主人様、これは俗に云う“夜中のテンション”というやつですね」
「何ワケのわからんことを言っている。早く来い、寒いだろ」

いたしかあるまい、とラクスは上着と靴を脱いでベッドに上がった。
襟首の布も取る。
「セバスさんに見られたらどうするおつもりですか」
「別にどうもしない。見られたらいけないことでもないだろ」

それはそうだが…


ラクスにとって、シエルの隣で寝るなど、自分が少年に悪戯しているみたいで気が引けるのだ。

「では歌いますよ」

ごそごそと居心地を正してから、ラクスは云った。








「…どういう内容の子守唄だ」


歌い終わると、静かにシエルは言った。
「これはそうですね…遠くに奉公に出た女の人が、故郷の兄弟を想って歌った歌です。なんでも、奉公先のお仕事が子守だったので、そのときに歌ったこの歌が、子守唄として伝わったんですね」
「ふぅん」

シエルは寝返りを打つ。

「御主人様も、子守唄を聴いてお眠りになられていたんですよ」

ラクスは、にっこりと微笑んだ。
「……うむ、そうだろうな」



シエルは、もぞもぞとラクスの方に近づいた。

「…お母様の匂いと、全然違う」
「そりゃあそうでございますよ。まず私めは日本人ですので…種族が違えば何もかも違いましょう」

ラクスは笑った。


「それに私めは、女の人らしい体つきはしておりません。ごつごつして、寝心地は悪うございましょう?」



シエルは答えなかった。

「…御主人様?」


シエルは、ラクスの胸元ですやすやと寝息を立てていた。



















「ラクスさん…ラクスさん起きてください」


「……うぅん、グレル今日は私は非番だよ…」
「ラクスさん?私はグレルさんではありませんよ」


ゆさゆさと自分の肩を揺さぶる者の手を、優しく掴んでハッとした。

「……おはようございます、ラクスさん」

手を掴まれたセバスチャンは、微笑んでいる。

「せ、せば!」

「ええそうです、セバスチャンです」
「も、も…」
「桃?」
「もももももも申し訳ございません!私としたことが」
ラクスは慌てて起き上がり、セバスチャンに詫びた。

「いえ、構わないのですが…それよりこれはどういったことでしょう。ご説明願えますか?」
「…え?」


セバスチャンは、ラクスの隣を指差した。

そこんは、未だ気持ちよさそうに寝息を立てて眠っているシエルが居た。


「何故貴女が、坊ちゃんのベッドに?」

「あ、いえ〜これは…御主人様に子守唄を歌えと云われて…」

「一緒に眠ってしまったと」

「そうです…」

セバスチャンはため息をついた。
「まったく、貴女というお方は…。とにかく坊ちゃん、起きてください。朝ですよ」

セバスチャンはシエルを起こす。

ラクスは慌ててベッドから降りようとした。

が、しかし


何かにシャツを引っ張られた。


「……ご、御主人様」

シエルは、ラクスのシャツを握っていた。
「おやおや坊ちゃん…」

セバスチャンも、苦笑する。

「ラクスさん。今日は勤務日じゃありませんよね」

セバスチャンが言う。
「はい、そうですが…何か」
「ぜひ坊ちゃんとご一緒に朝食を摂られてください。貴女のことを、こんなにも好かれていらっしゃいますから」



ラクスは、シエルとセバスチャンの顔を交互に見ながら、おろおろとうろたえる。


シエルは、まだ気持ちよさそうに眠っている。

その寝顔を見て、ラクスはふと表情を緩めた。
「では…お言葉に甘えて」














〜後日談〜

「姉かぁ…私にも弟がいたらあんな感じなのかな」
「そうだねぇ…どこから見ても、羅刹天は妹には見えないしねえ〜」
「……葬儀屋。それはどういう意味だ」
「だってそうじゃないか〜、こんなしっかり者でアナゴ肌の妹はいないよ〜」
「アナゴ!?誰が魚だ馬鹿者!姉御肌の間違いだろう!」








―――モテ執事

ファントムハイヴの屋敷では、いつものように使用人たちの騒がしい声が響いていた。



「まったく…今日もウチはうるさいな」


シエルは、テラスで新聞を読みながら呟いた。

「これぐらい騒がしい方が楽しいと思うけどなぁ〜、ねえ?藍猫」

「劉…お前、ウチに来て一体何の用かと思えば」
「くつろぎに来ただけだよ〜」

シエルは、持っていた新聞を握り潰した。
当の劉は、膝の上に座らせている藍猫を撫でている。

「まぁまぁ、いいじゃないか伯爵ぅ。賑やかなことは良い事だよ」
「お前もだ葬儀屋!お前は何をしに来たんだ!?」

劉の隣で紅茶を飲む、葬儀屋。

「小生は近くで所用があったのさ。伯爵はどうしてるかな?と思って寄ったんだよ」

「お前も似たようなものか…まったく、暇人ばかりだな」



「悪態を付きながらも、御主人様は楽しそうでございますね」

ひょっこりと現われたのは、雇い執事のラクスである。
「紅茶のおかわりと、お茶菓子をお持ちしました」
「ラクス、誰が楽しそうだって?」

そんなラクスを、シエルは睨む。
「おや、楽しくありませんか」
ラクスは云われて、きょとんとした。

「いやあ、執事さんもなかなか伯爵のことをわかってるんだねぇ」
劉が、紅茶のおかわりを貰いながら言う。
「ヒッヒッヒ…仕事も板についてきたしね」
葬儀屋も、空のカップを差し出す。

「セバスチャンはどうした?お前、この時間は洗濯物を干しているだろ」
シエルは、ラクスが持ってきたクッキーを口に運ぶ。

「セバスさんはバルドさん達の後始末を…。あぁ勿論、クッキーや紅茶はセバスさんがお作りになったものでございますから、ご安心を」

「なぁんだ、君が作ったものじゃないのかい?」
葬儀屋は、ガッカリ気味に肩を落とす。

「我も、執事さんが手作りしたのかと思ったよ」
劉が、紅茶をすすりながら言った。
膝の上の藍猫は、黙々とクッキーを食べている。

「私めは洋菓子は苦手で…」
ラクスは手を振った。
「ホットケーキぐらいしか作れないもんな」
シエルはからかうように笑う。
それにラクスは、“精進いたします”と答えた。

「そうなのかい?じゃあ今度小生がクッキーの作り方を教えてあげるよ〜」

葬儀屋は、にこにこ笑いながらラクスに言う。

「だったら、我も中国のお菓子を作ってもらいたいな。藍猫も一緒に、執事さんとお菓子作りしたいよねぇ」

劉もそんなことを言っている。

「…もしやお前ら………」

シエルは、二人の不自然な会話と視線に気づき、呆れたように言った。
「ラクスを狙って、ウチに来てるんだろう」


「は!?ご、ご主人様何を仰いますか!?」
ラクスはわたわたと慌てた。
「私なんぞをそんな…」

「そうだよ伯爵ぅ、小生たちはそんな下心でお屋敷を訪れてるんじゃないからねぇ」

葬儀屋は言う。

「人聞きが悪いなあ。我は藍猫も来たがってるから遊びに来てるんだよ?」

劉が云うと、藍猫は黙って頷いた。
嘘はついていないようだが、どこか怪しい。

「ふん、どうだか」

シエルはなんだか気に入らなくて、そっぽを向いた。


「皆さまお揃いで…私が応対できず失礼しました」
セバスチャンが、自分の燕尾服を整えながら現われた。

「もう片付けてしまわれたのですか?」
ラクスはセバスチャンの元に近寄る。
「ええ、お任せしてすみませんねラクスさん」

にっこりと笑いかけるセバスチャン。
「では、私めは洗濯物を取り込んで参ります。皆様、これにて」

ラクスも笑って応え、さっそうと去って行った。

セバスチャンはそれを見送ると、シエルの紅茶におかわりを注いだ。


「…執事君。執事君って執事さんと仲良いよね」

劉は、藍猫を膝から下ろし、テーブルに両肘をついた。
藍猫も、その隣でうんうんと頷いている。

「そういえばそうだねぇ。まあ小生は、彼女とは昔から仲良しだけど…ヒッヒッヒ」

葬儀屋も椅子にもたれながら、言った。
「仲が良いといいますか…ラクスさんは仕事上の、良いパートナーだと思っております」

「かく言う我も、このお屋敷に訪れるお客の中でも、執事さんにはよくしてもらってるしねえ。藍猫だって、気に入られてるし」

「仕事上のパートナーかぁ。小生も一昔前は、彼女と一緒に働いてたときもあったなぁ」

「何だいそれ?我はそんな話知らないなあ」



「…あの、坊ちゃん。これは一体…」

劉と葬儀屋は、ラクスについて談義している。

「二人とも、ラクスを狙ってるらしいぞ。呆れたな…」
シエルは紅茶のカップを置いた。

「モテモテですねえ、ラクスさん」
セバスチャンも苦笑する。

「まぁ、あの人は優しいお方ですから。わからないこともありません」

それを聞いて、シエルは目を見開いた。
「?どうなさいました、坊ちゃん」

「まさか、お前のような悪魔までもがラクスのことを…」

「何を仰いますか。たしかにラクスさんは良いお方ですが、そもそもラクスさんは歴とした“恋人”も居るのですし」

“恋人”と言われて思い出す、派手なオカマの姿。

「そういえばそうだったな…」

「そういう坊ちゃんも、ラクスさんには特別な扱いをいたしますよね?坊ちゃんこそ、ラクスさんのことを…」
「馬鹿云うな。僕は雇い主としての感情しか持っていない。確かに奴は、ちょっと変わってるが…」

言い訳にしか聞こえないと思ったシエルは、言葉をそこで止めた。
別に特別な感情など持っていない。


確かに、ラクスは優しくて良い奴だが…。

シエルは、何かしらの脱力感を感じ、椅子にもたれた。

劉と葬儀屋は、まだラクスについて話している。

「お二人とも、いい加減坊ちゃんのことも構ってやってください。とても寂しそうにしていらっしゃいます」

「なっ…誰が寂しいだなんて…!」
「では、これから私は地下の倉庫の整理を行わなければなりませんので…」

シエルを完全に無視して、セバスチャンは二人を追い越した。


「ああそうだ。少々骨が折れますし、ラクスさんにも手伝ってもらいましょう。………地下の倉庫で、二人っきりで…」


セバスチャンは、怪しくニッコリと微笑んだ。


「ったく、お前らももういい加減に帰ったらどうだ。葬儀屋はともかく、劉は会社を背負ってるんだぞ……ってオイ、お前ら」

シエルは腕組みをしながら言う。
しかし、当の二人は固まってしまっていて、ぴくりとも動かない。

「おい、どうした?劉、葬儀屋?」

「はははははは伯爵!いけないよ、このままじゃラクスが…ラクスが危ない!!」

「まさか執事君までもが狙ってただなんて…!思ってもいなかったよ」
二人は急に立ち上がった。

「は?何言ってるんだ?」

さっきのセバスチャンの言葉は、シエルには聞こえていないらしい。

「「伯爵!我・小生も地下の倉庫に行っていいかな!?」」

「馬鹿かお前らは!セバスチャンがそんなことするわけないだろ!」

シエルは怒鳴る。

「いいや、わかんないよ!?執事君だって男だしね」
「そうさ伯爵…伯爵にはまだ理解できないかもしれないけれどねぇ、男は暗闇で女とふたりっきりになったら、何をしでかすかわからないんだよ〜」

「……ホントにお前ら、救いようのない馬鹿だな」



シエルは、呆れかえって言った。





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