スコットの場合


フェーズ4は未知数だ。
そもそも、彼女にもう一度同じ経験をさせると設定しているとはいえ、全てが同じように行なわれているわけではない。
わたしは、彼女を傷付けたくない。否、矛盾している。傷付けたくないのであれば、そもそも【シンベエ】の喪失さえも行わないのが正しいだろう。しかし、彼女に必要なのは、大事な人を失うことなのだ。悲しいことに。だから、心を鬼にして続ける。
だけど俺には、勇気がない。やはり、主導権は彼に…【スコット】に任せることにした。
【スコット】は喜んで引き受けてくれた。わたしは疲れている。傍観、観察に徹底する。


「ねえ、いつまでも泣いてないでお話しましょうよ」
スコットはニコニコしながら慈半の隣に座った。慈半は泣き顔をごしごしと袖で拭って、それからスコットを睨みつけた。
「うるせえ、どっか行ってろよ」
「仕方ありませんねぇ…じゃあ向こうの部屋にいるんで、ぼくと対話する気になったら呼んでください」
誰がそんな気になるか。慈半は布団を頭までかぶって、そのまま眠ってしまった。

ふと、目を覚ます。空腹だとか、そういう感覚で起きたのではない。ただ、時間が経って眠るのに飽きただけだ。
もぞもぞとベッドから降りて、隣の部屋に移動する。ぷし、と空気の抜ける音がして次の間が現れる。そこは、真っ白の空間。そこまでは今までと同じ。しかし、見たことない家具が置いてあって、そのなかのソファーに男が部屋着でくつろいでいた。スーツは壁の方に掛けてある。
「おはようございます」
眼鏡をして、前髪をヘアバンダナでとめている。スコットは目線を手元のタブレットから離さずに言った。
慈半はそれを無視して、ひとまず風呂に入ろうと次の間を…廊下を目指した。
「なぁんだ、対話する気になったわけじゃあないんですね」
スコットが笑いながら言う。慈半は無視。

風呂に湯をいっぱいためて、保湿成分たっぷりの乳白色を作り出す。シャワーを浴びで、髪と体を洗い、そして長い髪を結んで頭をタオルで包んだ。はふぅ〜とため息をつきながら、湯に浸かる。
「はぁ……極楽極楽…」
「お邪魔しまーす!」
「ぎゃあああああ!?」
スコットはズカズカと風呂場に入ってきた。タオルで股間を隠しながら、そのままシャワーを浴び始める。
慈半は隅っこに逃げて、そのまま喚き散らした。
「何入ってきてんだ!?ワシが入っとろうが!」
「仲良くなるには裸の付き合いが必要かな、って」
髪を洗いながら、スコットはぬけぬけと答えた。ワシのシャンプー使うんじゃねえよ、と慈半が怒鳴っても気にしない。
「だってシンベエとはついこの間まで一緒に入ってたんでしょう?どうしたんです、突然の性の目覚め。スコたん逆にドン引きなんですけど」
まくしたてながら、スコットは慈半の隣に当たり前のように座り込む。頭に乗っけたタオルで顔を拭いて、続けた。
「シンベエと一緒に入っていたのなら、ぼくと一緒に入ってもいいじゃないですか」
「…は?なしてシンベエとワシが風呂一緒に入っとったけんてお前と一緒に入らないかんの。意味わからんわ」
「いや、シンベエとぼくって同一じゃないですか」
「………」
「ぼくと、シンベエって、同一なんですよね。同じ細胞です。ほぼ。双子とかそういう次元じゃなくて。分かってるでしょ?」
「…いや、うん……まぁ、コピー元のDNAが同じやけん…まぁそうやね。同一って言やあ同一やね…?」
ほら!とスコットは嬉しそうに笑う。
「ばってん違うやろうが?シンベエは死んだけど、お前は生きとろう?」
「死んだシンベエの続きが、ぼく…という考え方は出来ません?」
「んなのありえねえし。そもそも顔…は、ほぼ一緒か……目とか肌とか髪とか、色が違ぇし」
「じゃ、色変えてきますよ。喋り方も真似したら近くなるでしょうし」
ざばっと勢いよく立ち上がったスコットを、一瞬慈半は顔をそらしたが、スコットの発言を吟味して慌てて腰にしがみついた。
「だーかーら!そげんことせんでいいって!なしてお前、そぎゃんシンベエになりたがるんじゃ!?」
「だって、シンベエは愛してくれるのにスコットぼくは愛してくれないのなら、ぼくはシンベエになるしかないじゃないですか」
きょとん、とスコットは首を傾げる。
ゾッとする慈半。
「…お前、マジで頭おかしい」
「自覚はあります」
にっこりとするスコット。そのまま慈半の頭を撫でたので、慈半はそれを振り払って先に風呂場から上がった。

「肌は焼くとして、髪の色ってやっぱ一回抜いた方が綺麗に入りますよね」
スコットはタブレットで金髪の男たちを表示しながら慈半に見せた。頭を乾かしながら、慈半は呆れてため息をつく。
「だから、別にいいってそんままで。シンベエをお前がやる必要は無か。良か、そぎゃんことせんで…」
「え?だってじはんちゃん、シンベエが死んで悲しいでしょ?胸にぽっかり穴が空いてるでしょ?その穴を埋めるのは、やっぱりシンベエしかいないじゃないですか。誰にもその代わりは務まりませんよ。そうでしょう?」
「いや、そりゃあそうばってん」
「ならやっぱりぼくがシンベエになって、じはんちゃんのシンベエになるのがいいんですよ。僕だってシンベエが貰っていた愛情を独り占めしたいんです。ほら?Win-Winじゃないですか。ぼくがあなたのシンベエにな」
慈半は無言でスコットを殴った。右を殴って、そしてそのまま間髪入れずに左を殴った。3発目に鼻の骨を折って、4発目でボディーに決めた。スコットはけたけた笑いながらその場に倒れ込む。鼻血を出したまま、口にその血が入るのも気にせず笑った。
「もう二度と、そんなこと言うんじゃねえ。お前はシンベエじゃねえし、お前になんかシンベエは演じきれん。微塵も掠っとらん。まず、シンベエがお前の立場だったらお前のようにそれに成り代わろうとなんかしねえ。シンベエだったら、自分の前の型に成り代ることなんかしねえ!」
慈半は、スコットの歯に当たった拳をさすりながら言う。血が出た。
「“師匠”になろうとしたか!?シンベエは自分が師匠の代わりになりますだなんて言ったか!?言ってねえだろうが。あいつはあいつで自分を持って、自分としてワシの前に現れた。ほんで好き勝手やって、ワシにとことんシンベエという人間ニンゲンを残していきやがった!何で分からねえ!!お前はいつもそうだ!」

慈半の叫びは、涙に変わった。
「何度も言わねえ。昔一回言ったっきりだったが…もっかい言わないかんらしいな」

スコットは、ぺたんと床に座って慈半を見上げる。
その次の言葉が何なのか、スコットには分かりきっていた。その一回言ったっきりの言葉。スコットを救った言葉。スコットがシンベエの亡霊ではなくなったその言葉。

「お前はお前でおってくれ。シンベエとお前は別じゃ、お前…」
─個性強すぎるんじゃ。

「えへへ…」
スコットは嬉しくなって、とても嬉しくなってそのまま慈半に抱きついた。ぎゅうーっと強く。
ため息をつきながら、慈半はそれの頭を撫でてやる。スコットはその手に甘える。頬を差し出して、撫でてもらう。慈半がふざけて頬をつねった。いひゃい、とスコットが言えば慈半も機嫌良さげに笑う。
「………はぁ、茶番ですね」
突然声のトーンを変えて、スコットは慈半の手を自分の方に引っ張った。体勢を崩した慈半。そしてスコットが、慈半の首に自分の腕を巻きつけて、瞬時にそこの骨を折る。ばきっと音が鳴って、慈半は事切れた。

わたしはスコットを突き飛ばす。
「我が、つがい………!!」
悲鳴さえ、声さえ発することすら難しいほど、わたしの喉はひきつり乾いていた。
魂という名のエネルギーを失った器は、まず肉から溶けた。貝たちの体を参考にしたそれは、クラゲのように形を変えて霧散する。残った骨は、中から酸素を吐き出して穴だらけになり、ぼろぼろと崩れ出した。
「なん、なんて、なんてことを…!うまく、うまくいっていたのに!」
わたしが叫ぶと、【スコット】はとても厭そうな顔をした。ふざけるな、と軽蔑の目を向ける。
「なにがうまくいっていたというのです?たしかにあれは生前のじはんちゃんの記憶を引き継いでいます。ぼくの誘導にきっちりと反応しています。だが、それだけです。同じものを同じように、とある反応に対して正しく反応しているだけ。それではただのコピーではありませんか」
─それでいいのだ!それで!
わたしは立ちすくむ。
「それでいいのなら、貴方が作ろうとしているものは慈半じゃない。別のものだ。同じようなことをする慈半が欲しいのなら簡単です、ロボットを作ればいいじゃないですか。そこにほら、ぼくたちのように彼女の中にあった記憶をデータ化して、入れてしまえばいいんですからね」
「それじゃあ、駄目だ…ダメです。わたしの、わたしの慈半…慈半クンは、違う」
「そうでしょう?ぼくは何も間違ったこと言ってませんよね?」
やれやれ、と【スコット】は肩をすくめる。
「それに、同じことを経験させてゆっくりとじはんちゃんにじはんちゃんらしさを取り戻させるのであれば、決定的なものが足りない。シンベエの消失だけでは、あの中村慈半・・・・は作れない!」
たからかに、彼は続けた。彼女の記憶から作り出したその虚像は、きちんとスコットをやっている。幻ではないかのように、それは本当に本人かのように生き生きとしていた。ああ、これでいいのに。これが、こういう彼女が手に入るのなら。
「彼女には、もっと絶望が必要です」

【スコット】は、ひとつも表情を変えずに言う。
「両親と許嫁の惨殺、孤独、“師匠”との出逢い。復讐への道。師弟関係という絆、擬似親子の愛情、果たされなかった復讐、そして死期。“師匠”を殺した男、背中の傷、孤独。孤独。孤独。戦争。孤独。少しの充実感。殺人を行うことで満たされる欲。飢える欲、孤独、孤独、そして信じ始めた仲間の裏切り、辱め。…あ、それとその前に<殺せなかった男>から受ける凌辱。そして、彼との…神との出会い」
■方■■郎。
「信仰、信仰することによって得られる安心感。自分の肯定。殺人の肯定。目的、理由のある大義名分の殺し。責任を預けられる存在。そしてその彼から受ける施し、愛!愛情!孤独の中にいた頃の寂しさ、仲間のあたたかさ、親友。親友との愛の育み、感情の育み。<殺せなかった男>との再会!別れ!理解しきれない感情、親友の喪失!感情のダムは崩壊した!そしてぼくとの出会い!まだだ!たりない!到底たりない!これからも彼女には試練が訪れる!僕たちだけじゃあ彼女の要素にはなりえない!!」
男はわたしに詰め寄った。わたしは思わずあとずさりをする。
「貴方との出逢いも含めなくてはならないのですよ?あれは夢の中の出来事だしても、今はそれが成立した状態なんですから。あの夢の中でのゲームがあったからこそ、じはんちゃんの魂は貴方にとりこまれた。それもなかったことにしてしまうのであれば、何も生まれない。そうして生まれた中村慈半は別物だ、そうでしょう?」
わたしは頷く。頷くしかなかった。
「ぼくに任せてください。すべてやりますから。彼女を苦しめることなんて、愛すことより容易い」

【スコット】の笑顔に、ただ黙って従うしかなかった。彼女を傷つけるのはいやだ。でも、それをするのはわたしじゃない。
俺じゃない。シドじゃない。なら、大丈夫だ。大丈夫、なんだ。

フェーズ9では、トッシーとの別れが演じられた。
舞台の上で、【スコット】の筋書き通りに役者が慈半を傷付けていく。癒しはほとんどない。たしかにそうなのだ。
彼女の人生のなかで、安らぎというものはほとんど存在しないのだ。その緩やかな幸せのなかにいると、彼女自身がそれを嫌った。わざと何かに巻き込まれるかのように、命を危険に晒すようにしていたのだ。彼女自身が、自分に幸せなど似合わないと思って生きている。
目を背けると、隣で監督として座っている【スコット】から小突かれた。彼女の痛みをお前も知れ、ということなのだろう。目の当たりにしろ、と。わたしは知らない。知ってはいるが、それは観測しただけであり、見てきたわけではないのだ。
いつだって、腹のなかから戻しそうだった。戻すものなどないのに。涙さえ出ない。泣いてしまったら、苦しんでいる彼女に失礼だと思った。
我慢した、必死に我慢して、【スコット】の舞台を見ていた。順調に、中村慈半という人間が出来上がっていた。
フェーズ16において、人生の終盤というか、彼女の安寧の日々になった。
彼女は、夫である土方十四郎との子供を施設から引き取ることにしたのだ。それからは、彼女の安寧が続く。彼女たちの手を離れ、その子供は成人を迎えた。順調だった。そして、幸せが続くと不幸が訪れる。
フェーズ17。彼女の神は死んだ。肺がんである。
舞台上には、彼女と、そして病院のベッドで横たわる土方十四郎の抜け殻しかない。
すすり泣く彼女のそれは、きちんと未亡人のものである。感情を爆発させてわあわあと泣きわめくようなことはもうしない。彼女は、殺人マシーンからただの女になっていたのだ。
しくしくと、泣きながら彼女はぼそぼそと呟いている。今までの苦しみを吐露している。こんな時に、スコットは現れない。ずるい兄なのだ。慈半があまりに悲しみに暮れていると、自分も引っ張られてしまうので近づけないのである。慈半がある程度落ち着いてから、兄は彼女を慰めにやってくる。
「うっ…うぅ……!いやだ、もう、こんなにうしなった…!次はなんだ、我が子か?兄か?うしなうものが、多すぎる…」
慈半の独り言が続く。
このあとは、ただひたすらに泣くだけだ。葬式が始まるまで散々泣いて、そして立派に喪主を務める。
わたしが知る彼女は、泣き終わったらしゃっきりと切り替えてやることはやれる人だ。大丈夫、大丈夫だよと思わず祈るように指を組んで、舞台上の彼女を見守る。手に汗握る、とはこのことだろう。

「もういやだ、追体験なんて苦しい。無理だ。たすけて」

泣き顔の慈半は顔をあげた。
どこか遠くを見ている。

「たすけて、シド」

こんな言葉、聞いたことはない。生前、こんなことは言わなかった。
わたしは【スコット】を見た。ただ黙って、舞台を眺めている。その顔は不機嫌だった。筋書き通りではないのが、気に食わないらしい。
たすけてシド。慈半はそう言って、再び泣き崩れた。そろそろ場面転換の時間だ。アドリブにしても、長すぎる。監督は立ち上がる。
わたしは何も考えずに、飛び上がっていた。慈半の元に駆け寄って、抱きしめた。背中をしっかりと抱き締めた。途端、慈半は子供のように泣き出した。どんどんどんどん、体が小さくなっていく、子供に戻っている。
子供が、わたしの…俺の名前を呼びながら泣いている。や、だぁ〜。もう、やだ、よぉおお。しど、しど、しどぉおお。母親に泣きつくみたいに、俺にしがみつく。
「もう辞めだ!!辞めろ!!こんなの、こんなのダメだ!!」
俺は【スコット】に向かって叫んだ。怒鳴った。怒りが湧いた。髪の毛先一本一本が、じわじわと燃えているようだった。
【スコット】は顔色ひとつ変えずに、俺の胸元の慈半の頭を銃で撃ち抜いた。崩れていく肉体を、掻き集める。収まりがなくなって散らかった内臓や脳みそを必死に掻き集めた。
「ええ、辞めましょう。くだらなくなってきましたね、これじゃあ何をしているのか何をしたいのかがわからない。ぼくを振り回さないでくださいよ。貴方の理想のじはんちゃんが作りたいのなら、ぼくたちなんて出番は要らない。ねえ、シンベエ」
「そうですね?結局、あなたはしんだじはんの続きを見たいだけですよね?それって、スコットがはじめにやっていたことですね?それは、だめです、いけないことですとじはんも言っています」
【シンベエ】は、困った顔で頷いている。【スコット】も同意見だ。
「そ、それはちがう…!俺は、俺は慈半クンを、慈半クンが自分自身の続きをすることは、別におかしいことじゃあない!だって、慈半クンは慈半クンだ、同じだ。同じヒトだ!君達は違う!君たちは別個体…」
俺が、必死に弁じていても二人は響かないようだった。
「別個体?今更それは通用しませんよ、それはぼくたちが生きていた時の話であって、今はもうじはんちゃんの記憶の再生です」
「そうですよ、じはんの記憶の再生…リプレイであるのならそれはもう同じものでしょう?別個体、という言い方はあなたのように今も存在しているものに通用する言葉ですね?」
二人に責められる。
俺は言葉をなくした。
いつだって消せるそれを、俺は消せないでいる。俺の元になった二人。慈半の兄。兄ではないが、兄と同じ存在。異性。土方十四郎以外で、異性として彼女を愛している存在。俺はそれが元になっている。だから俺は、彼女を愛している。

違う。違うんだ。

俺はそうかもしれない。だけど、わたしは違ったのだ。わたしは最初、彼女をなんとも思っていなかった。ただのヒトだ。ヒトの女だと。あれを観察していれば、ヒトというものの理解に近づけると思ったのだ。実際、そうだった。夢魔から誘われた、半ば無理やり参加させられたゲームにて、彼女との仲は深まった。彼女がわたしを頼りにしてくれた。それに応えることは、とても心地が良かったのだ。
彼女のために、なにかをすることが、とても気持ち良かった。うれしかった。彼女が、喜ぶことはすべてしてあげたい。

わたしは彼女を愛していた。
これはお前たちのせいじゃない、お前たちシンベエとスコットの影響じゃあない。確かな愛なのだ。

わたしは、しくしくと泣くしかなかった。
月の裏側にポツンと存在する、わたしの邸宅。そこにはわたしの気配しかしない。泣いていても、誰も慰めてくれなかった。

いつの間にか、二人の気配もなくなっていた。記憶の再生を、わたしがやめたからだろう。
孤独。
愛を知らなければ、愛を感じていなければ、経験していなければ、知らなかったはずの感情。

彼女のせいで、わたしは寂しい。


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