夜空に花咲く
花火を見るのは、何百年ぶりだった。
時代が江戸と呼ばれていた頃。わたしは魔界から下界へ遊びに来ていた。
まだ、今よりも人間が小さくて。優しくて。綺麗だったころ。
夏の時期。蒸し暑い京の都。
たくさんの人だかりに、何事かと思えば。
屋台が道に立ち並び、夜空には…
花が咲く。
※
「すっご〜い!ここなら真正面だよ!セルさんの事務所ってめっちゃ穴場じゃん!」
隣の浴衣姿の娘が、はしゃいでいる。
桃色に赤の蜻蛉が飛んでいる浴衣。
事務所の、広い窓から覗く夜空には、花火が打ち上げられている。
「前まで目の前にビルが建っていたのだが。今年の春に壊されてな」
「よかった〜、今年の花火大会はどうしようかと思ってたの」
「来年もここに来れば良い」
わたしは娘に向かって笑いかけた。
娘の名を、桂木弥子という。巷で噂の女子高生探偵である。
「ふん、たまには役に立つものだ」
そんな憎まれ口を叩くのは、友人・脳噛ネウロ。
「褒めてくれてありがとう。ところでお前、土産も無しに来たんじゃなかろうな」
わたしは負けじと言い返す。
「安心しろ。奴隷二号が差し入れを持ってやってくる」
「それはそれは…抜け目の無いことだな」
奴隷二号。この憎たらしい友人に下僕扱いされている人間のことだ。
名を吾代忍。顔はまるっきり強面だが、根は優しい男である。
「そういえば遅いね吾代さん。ネウロ…いったいどこにお使い頼んだの?」
「花火大会のある会場だが?」
ネウロはいけしゃあしゃあと言う。
「…大会会場は、ここから五キロ以上は離れてるんだぞ」
「そ、そうだよ!なんで近くのコンビニにしなかったの!?」
「せっかくだからな。屋台のものを買うのがよかろうと思って……どうだ?我輩、とても気が利いているだろう?」
ネウロはふんぞり返る。
「おらぁ!買ってきてやったぞクソ野郎どもぉおお!」
噂をすればなんとやらだ。
吾代は額に青筋を浮かべ、肩で息をしながら事務所に入ってきた。
「ご苦労、下僕二号。なかなか早かったではないか」
「てめえが“遅かったら花火と一緒に打ち上げる”とか脅すからだろーがよッ!!」
吾代は机の上に土産を広げた。
「おらっ、焼きそばとかたこ焼きとか…いろいろ買ってきたぞ」
「うわぁあああ!吾代さんありがとー!!…あ、ちゃんと多めに買ってきてくれたんだね」
弥子がそれに飛びつく。
机の上は、焼きそばや林檎飴、綿菓子にたこ焼き。それらのもので埋まった。
「吾代、ありがとう。わざわざすまない」
「…別に。俺も花火、ここで見してもらうんだからよ」
吾代はぶっきらぼうに答えた。
「んんんん〜!!美味しい!」
弥子は次々に口の中に食べ物を運んでいく。
「ほらほらッ!セルさんも食べなよ、林檎飴とか食べたことないでしょ?」
弥子がわたしに真っ赤な林檎飴を差し出す。
「そうだね、見たことはあるが、食べたことは無い」
わたしは素直に受け取った。飴というのだから、舐めて食べるのだろう。
棒のところを持って、林檎を舐める。
砂糖の味が、口に広がった。
「甘いなぁ」
「甘すぎた?でもそれが林檎飴だよ」
弥子が焼きそばを頬張る。
「弥子、落ち着いて食べろ。まだいっぱいあるんだから…」
もきゅもきゅと音を立てながら、必死に食べるもんだから、わたしは思わず笑った。
「探偵、食ってばっかねえで花火を楽しめよな」
吾代は自分で買ってきたであろう、ビールを飲みながら言う。
ネウロはと云うと、窓の外の花火を見続けていた。花火が珍しいのだろう。
たしか、ネウロは花火を知らない。
「ふぁかってるよ、ごふぁいさん」
もごもごと喋る弥子。
どぉん、どぉん。
耳の奥底で鼓動が響く。
「あっそうだ吾代さん!屋上で見ようよ!」
弥子は焼きそばと林檎飴と綿菓子を抱え、吾代の手を引いた。
「ちょっおま…それ全部持って行くのか!?お前は屋上に何しに行くんだよ…」
“もちろん食べながら花火見るんだよ”
弥子は幸せそうに笑っていた。
「お前は行かないのか?」
「……どこへ?」
反応が少し遅かった。
そんなにかぶりついて見ているのだろうか。
「屋上だよ。そっちの方が見えるぞ」
「いや、ここがいいのだ」
ネウロは、ふっと笑った。
外から見る花火は、それはそれは巨大で偉大だ。
近づくことを許さない威厳さを放つ光の塊だ。
しかし建物の中に居れば、それは姿を変える。
窓という枠に限られた、花火という絵画だ。
放つ光は心なしか穏やかになり、誰にも描けぬ絵画となる。
「―“近づくなと警告をしていたそれは、今度は触れるほどに近くに感じるのだ。”」
ネウロは、ニタリと笑っている。
「お、お前…覚えていたのか」
わたしは自然と羞恥心が湧く。
「貴様があまりにも詩人じみたことを言うのでな。印象に残っていたのだ」
ネウロが云った言葉は、わたしが昔、ネウロに話したことだった。
花火を見たわたしは、どうしてもその美しさを伝えたくて、一生懸命説明した。
が、どうしてもその素晴しさというものは、言葉に出来ず。
結局、詩のような物言いしかできなかったのだ。
「“どぉん、どぉん、と耳の奥底で鼓動が響く”だったか?」
「もういい!わかったから、からかうな…」
わたしはネウロの肩を殴った。
「からかってなどいない。褒めている」
「…褒めているのか、それは」
「我輩は花火というものを、今ここで初めて見た。しかし貴様が説明したようなものと、この花火は」
どぉん
どぉん
「結構合っている」
「そうか」
わたしは、なんだか恥ずかしくなったのでそっぽを向く。
「フハハハハ、照れているな?」
ネウロは私の頭をがつがつと小突いた。
夜空には、花が咲いている。
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