最後の時間


―滅ぼすのは楽しい。
大きな口を凶悪に開けて、下品で下劣な笑い声を上げた。
なぜなのか。なにがたのしいのか。
その時は、ただただ怒っていて、震える体は怒りに反応しているものだと思っていた。
レイシフトが終わって、生身でそれを実感すると、自分は怖がっていたんだと気付いた。
心なしか、マシュもドクターも(特にドクターは)暗い顔をしていた。
でも、敵が分かって良かった…とかなんとか奮起して、マシュと一言二言会話を交わして、自室に戻った。

まるで熱があるみたいに、ふわふわと足取りが気持ち悪い。
ベッドまで遠くて、その場に座り込んでしまう。

悪魔。72柱。怪物。幾度かまみえた、おどろおどろしい化け物。

アレと、あと何十回も戦わないといけない。
しかもラスボスは、訳の分からない頭のイカれた魔術師だ。
グランドキャスターさまさまが吐く台詞は、まるで悪役のテンプレート。
対峙し、お前など何とも思っていない勝手にしろと完全に舐めプで掛かってこられた。腹が立つ。腹が立つ。
だけど遠くで、頭の中の隅っこの方で、こいつは正義に打ち倒される完全で完璧な悪役だなぁ…と思っていて。
ああまで綺麗に悪役をやって見せられると、こちらが強制的に<正義>であるかのようだ。
それでも、悪や正義は置いておいて、それよりも。それよりもリアルな死の恐怖を感じていて。
ふと、ぼろぼろと涙が溢れた。
驚いて目を覆うと、とどまることなく涙が流れる。と、同時に醜い嗚咽が響いて、鼻水も止まらない。
目が腫れて鼻が詰まりだして、息苦しくなる。
嗚咽を抑えようと口を塞いでみるが、息苦しさに自然と口呼吸になり、やがて喉が閉まるような感覚に、咳が出た。
派手に咳き込んだ拍子に呼吸が乱れ、息の間隔が短くなってしまう。
相変わらず呼吸が苦しくなるばかりで、一向に涙は止まらない。
ああ…またコレか。頭では冷静だ。
ただただ息苦しくて、どんどん呼吸が出来なくなる。
手足が震え、そして末端から痺れて感覚が無くなる。
それがひどく恐ろしくて、必死で自分の体を抱き締める。こわい、怖いけど、頭はひどく静かだ。また、だ。
こうやって弱虫が、周囲に構って欲しくて大袈裟に泣くのだ。
大袈裟に呼吸を乱し、大袈裟に苦しむのだ。

歯ががちがちと鳴り、口から涎が飛び散る。

私は、病気だ。
自覚して、おかしくてたまらなくなった。世界の命運は、この頭の病気である愚かな自分に掛かっている。重すぎる。背負っているものが重すぎて、一歩も前に進めない。
ドクターに連絡しようかと思った。苦しいのは本当だ。
でも声がでない。出るのは豚みたいな声と涎。
心臓がごうごうと音を立てて、血をたくさん巡らせようと動いている。だが末端まで全然行き届かない。どんどん手足の感覚がなくなっていく。
脳みそまで心臓と同じように鼓動して、時計回りに目眩がした。

「―■■!」

名前で呼ばれて、意識だけ背後の扉に向けた。

「どうした、苦しいのでござるか」
素早く駆け寄って、両肩を抱く。顔を覗き込まれるのが嫌で、両手で覆っているとものすごい力でそれをひっぺがされてしまった。
涙で歪んだ視界に、毎日近くで見慣れている顔が写って安心するが、全然不安感が拭えなくて、呼吸は荒いままだった。

「こっ、こじっ、ろっ…!う!…ぅ!」
「いい、いいから喋るな。ゆっくり息を吸って」

小次郎は、さっと立ち上がってベッドのサイドテーブルに引っ掛けてあったビニール袋を手に取る。
「本当は紙袋が良いらしいが…ほら、これを口に当てるでござるよ。あまりそうぴったりくっつけるでないぞ…ゆっくり、息をしてごらん」

吐く息は勢い良く袋を膨らませるが、吸う息は少なく、いつまでも息苦しさがつきまとった。
小次郎が背中を擦りながら、これでもかというくらい優しい声で言う。

「拙者がそばに居る。大丈夫だマスター…ほぅら楽になってきたな?いい子だ、偉いぞ」
小次郎の声掛けに、頷くことしか出来なかった。
情けなくて嬉しくて、やっぱり涙は止まらなかったが、それでも呼吸は穏やかになったし、さっきまでうるさかった心臓も頭も、段々と元通りになっていった。
しばらくそのままぐずぐずと泣いていると、頃合いを見た小次郎は女を抱き上げた。
そのままベッドで、膝の上に抱き込むように座らせられる。

「服が涙でびしょ濡れではないか」
「…顔、洗う」
「そうか?ではバスルームに行こう、ついでに着替えも済ませてしまえ。もう今日は休むばかりであろう?風呂はどうする?」
「いい、なんか…すごく怠い。つかれた、眠る…」
「うむ」

ふらつく体に鞭を打って、自室に備え付いているバスルームに向かう。
小次郎は隣で、細い体をを支えてくれている。扉を開けるエスコートも忘れない。
ぐしゃぐしゃになった髪を、洗ううちに濡らさないよう纏めようとしたら、やはり先回りされて小次郎が丁寧に髪を手櫛でといて後ろで結わえた。
そこまでされるともう体がとにかく怠くて仕方無かったので、身を任せる。
服を脱がされて、下着だけになる。
洗面所の椅子に座らされて、女は、私は…鏡をぼうっと見つめた。
ひどい顔だ。
これが人類最後の、希望?

ちゃんちゃらおかしい。

小次郎は洗面所のお湯を出して、そこにタオルを浸けると、温度を確認しながらそれを絞った。
右手で後頭部を固定されて、左手の温タオルで顔をぐわしぐわしと拭かれる。その拭き方が、とても大雑把で乱暴なので「むわぁ〜」と声を出すと、背後で静かに笑う気配がした。
「ははははは、子供のようだなぁ主よ」
「うるさいやい」
汗もかいていたらしく、小次郎はタオルで私の体を拭き始める。

「少し休んで、あとでまた風呂に浸かるのだぞ。温まらなければ疲れは取れまい」
「うん」

何でこの人は、こんなに自然に優しく出来るのだろう。
いや、きっと人ってものは、自然に他人に優しく出来るようにできているんだ。そんなものだと思う。
もちろん論外もいるだろうけど、そういう人は自分が他人に優しくできないと分かっているから、関わらないようにするのだろうし。
それでも論外の論外は、故意に他人を傷付けるのだろう。

あいつは―、ソロモンは、その論外の論外の、論外だ。


小次郎が部屋着を探している間に、ブラジャーを外してキャミソールに着替える。
「Tシャツでいいか?」
「うん。ちょっと横に、なるだけだし」

答えながら、受け取りながら、小次郎に抱きついた。照れ隠しのつもりだったが、その行為自体が恥ずかしいことに後から気づいた。しかし、こちらからやったのにすぐに離れるというのもまた、逆に恥ずかしい。
嗅ぎ慣れた香り。落ち着く。けれどとにかく怠い。
「…少し熱があるだろう、風呂のあとでロマン殿に―」
「いや、ドクターは知ってる。いいんだよ別に診てもらわなくて…」
小次郎の指が、頭皮を撫でるように髪をすく。
それがとても心地よくて、私は鼻水をすすった。しばらくの沈黙。彼は私の言葉を待っていた。
「ただのストレス、パニックになって過呼吸起こしただけだからさ。別にいいんだ、薬で治るようなものじゃないし」
「そうか」
待ったわりには、そっけない返事だった。ああ、呆れているのだろうなぁと思った。そしてまた、悲しくなった。
「…ごめんね」
謝ればもっと、惨めになった。ごめん。こんなマスターでごめん。本当にごめん、みんな。何が悲しいって、こんなマスターに従えなければいけない英霊のみんなのことを思うと、悲しくて悲しくて。悔しくて。
私じゃなかったのなら、良かったのに。もっとしっかりした正義感の強い人が。優しい人が。勇気のある人が。知識のある人が。私なんかじゃなくて、もっと相応しい人が居ただろうに。
私だから、ソロモンは目もくれないのだ。

「馬鹿だな、主殿は」
ごつん、とこめかみに思いっきり拳骨を食らった。
「おうっ!?」
横からの衝撃を受け流そうにも、しっかりと小次郎は私の体を支えていたので、めちゃくちゃ痛かった。
「な、何で殴った!?」
「不抜けておったのでなぁ。一発気合を入れて差し上げたのでござるよ、いやはやここまで主君想いの忠臣はおらんと言うもの」
「女子を!グーで!思いっきり殴るのが忠臣か!?」
「ふふ、元気が出たな。ほぅら、ちゃんと気合が入ったではないか」
けらけらと、いたずらっ子のように笑う男は、そうして私の背中をばしばしと叩く。女の子扱いしてくれない。
「前も話したであろう、お主はただのマスターではない。本来一人につき一人であるはずの英霊を幾人も束ねているのだから…これは最早軍師のそれに近い。しかし、だ」

Tシャツを着せながら、男は語る。
「お前は何も気負う必要はないぞ、作戦は他のものが考えるであろう?その作戦を実行するのは我々サーヴァントだ、お前を守るもの、お前の敵を屠るもの…全て我々の責務でござる」
服の首から顔を出せば、伊達男の顔は侍の…剣士の顔になっていた。きっと細められた目は、私を見ている。見透かされるその瞳で、全てが見通される。
「お前は堂々と胸を張って、皆の士気をあげる…それだけでいいのだ。それだけで私たちはお前のために戦おうと思う。誰でもないお前のために、お前に喚ばれたのだから…それに応えようと我々はやってきたのだから。お前は、怖がっているだけでいいさ。それが普通のことだ、恐怖を克服したものなどいない…恐怖を忘れることは愚かであり弱者のすることだ」
く、と顎を持ち上げられた。目線がしっかりと噛み合う。
今目の前に居るのは、私のサーヴァントだ。他の誰のでもない、たった一人のサーヴァント。
「なに、そろそろ我らの陣営も潤ってきたというもの。余裕綽々でござるよ、何も心配は要らぬマスター。俺に守られておればいいのだ、か弱いおなごのように」
「………ここで女の子扱いかっての」
酷くかっこつけるので、悔しくなった。
小次郎は、いつだって微笑みを称えている。目の前の敵を睨みつけ、不敵に笑っている。その姿は美しく、そして強い。
私だって、そうやって立っていたい。でも怖いんだ。怖いんだよ。
「怖いのなら怖がっているのがいいさ、守りたくなる女というのも可愛らしくて良いでござるからなぁ…ディルムッド殿なぞは、それはもう奮起するであろ」

ははははは、と男は軽快に笑った。
「びーびー泣いておるがいい、ちゃあんと俺がそばで慰めてやろう」

男はそう言いながら、緊張で突っ張っていた私の頬を強くつねった。




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