月待人


「ねぇ、セルさんは知ってるよね?」



弥子は、微笑みかけながら尋ねる。


「何を?」


ソファーの上で体育座りをして、新聞を読んでいたセルは顔を上げた。


「夏目漱石が、“Iloveyou”を―」

「月が綺麗ですね、だろ?」


弥子が言う前にセルは答えた。

「あ、やっぱりセルさんは知ってた」

「二葉亭ナントカは“死んでもいいわ”」

「ナントカって…」


弥子は苦笑い。

「あのな弥子、私はそこまで詳しいというわけではないのだぞ?」

セルは新聞をたたむ。

「え?でも、色んなことを知ってるじゃないですか」


「広く浅く、だ。そいつはひとつのことに集中しきらんのだ。ヤコ」


弥子の問いに、偉そうに返したのは、黒光りする椅子に座るネウロである。
こちらに向き直り、机の上で指を組んでいる。

「そいつは、物の名称は分かるが使い方がわからない、と云ったような奴なのだ」

「そこまでじゃあない」

セルは、畳んだ新聞を筒上に丸めて、ネウロに投げた。
投げた瞬間、柔らかな紙は鋭い槍に変化する。

しかしネウロは、それを軽々しく手で受け止めると、弥子の方に返した。

「ちょ!?危なッ…きゃあああああ!!」

弥子にぶつかる前に、セルは槍を元に戻した。
弥子の頭には、新聞が乗っかった。

「……あたしに返さないでよ!ネウロ」

「フン」




ネウロは少し笑って、窓の方に向いた。




平凡な休日の朝。

魔界探偵事務所は、今日も変わらず賑やかだった。


「でも凄いですよね。“I love you”を色んな風に訳して」

弥子は、セルの向かい側に座った。

「……そうだな。私も気になってきた。他の文学者は、どのように訳したのだろう」




普通の人間と、己と同類である魔人が楽しそうに会話している。

ネウロはいつも思う。

こいつ(セル)は、どこか魔人とは違う性質がある。

それは、昔から引っ掛かっていた。だが………


セルについて、そう思うようになったのは
いつからだったろうか。





「そうか……月待人か」


「?なぁにネウロ、なんか言った?」

ネウロの呟きを聞いた弥子が、ネウロに聴いた。が、ネウロは横顔で笑うだけで何も言わなかった。







夜。


弥子を送って帰ってきたセルは、事務所の窓からひらりと中に入った。


「ただいま〜…………って、何をしとるんだお前は」

「何って、見ればわかるだろう」


セルは、机の上にせっせと何かを準備するネウロに言った。

「お月見の、準備をしている」

「…いや見ればわかるけど………」


要領得ないセルは、ネウロの異常行動を、怪訝な顔で見つめた。


「何だその不細工な顔は。貴様の為にやっているのだぞ?」

「私のため?」


セルが腕を組み首を傾げると、非常に哀れんだような顔のネウロは、大きなため息をついた。

「まだわからんのか、脳味噌カブトムシが」

「私がカブトムシなら、ネウロはクワガタだな」

「我輩は虫螻なんぞではない」

「では私もそうだ。………って、何の争いだ」


セルはひとりツッコミ。
机の上には、月見団子がきちんと並べてある。


「どこで買ってきたんだ?」

「その辺のコンビニだ。どうせ我輩は食えんのだからな」

「適当な扱いだな。私は食べるのだから、もっと気を使え」



しかし。

それでも他人の為に何かをするネウロというのは、珍しいと感じた。

なんだか本当に不気味になってきて、セルは後ずさった。


「これで酷い仕打ちでも仕掛けているんなら、私はお前を軽蔑する…」

「フン、信じないのならそれでいい」

ネウロは、静かに笑いながら言った。

「信じる信じないでは……ないが…」

セルは、ネウロのそんな態度に調子が狂う。

しかし、そんなセルも置き去りにして、ネウロは窓に寄った。


「見てみろセル。今宵は良い満月だ」

ネウロの言葉に、セルも誘われる。


「……満月、」



セルは、文字通り目を奪われた。





下界に来て、何年たったろうか。

人間にしてみれば、数年間はなかなかに長い。
が、我々魔人にとってみれば、数年など、数週間も感じないのだ。




「貴様、月を見るのが好きだったろうに」





ネウロは、夜空を食い入るように見上げるセルに、呟いた。

「貴様のことだろうから、下界に来て月を見るのも忘れ、悪意を貪っていたんだろう?」



―そう、きっと

この女は月が好きなのだ。



魔界に居た頃も、太陽を無理矢理昇らせる魔人たちとは逆に、
いつも、この女は

自然に月が出るのを待っていた。

月待人だった。

『自ら決まった時間に、顔を出すから美しいのだ』


ただ月を見上げるその女は、そう言っていた。

『下界では、月の光を“死の光”というらしい…。それは、なんとも私達に似合いだと思う』



この女は、他の魔人たちのような性質をしていない。


「我輩は貴様のそういうところに惹かれたのかもしれんな」


「………………えっ?」



ぼーっとしていたセルは、ネウロが何を呟いたか聞き取れなかった。

「何か言ったか?」


「……いや、何も」

ネウロは、つまらなさそうな顔をした。
月見団子をひとつまみ取り、無理矢理セルの口に詰めた。

「むぐぅ!?な、何を」


「フン、結局貴様は、色気よりも食い気タイプなのだな。ロマンチックなセリフよりも、目の前のディナー………どこかのワラジムシと一緒だな」

「……まとめて失礼だな」


セルは、月見団子を食しながら言った。




「なぁ、セル」

ネウロは、夜空を見上げながら言う。
セルは呼ばれて、ネウロの方を見た。
精悍な横顔が、月の光に照らされている。


「“月が綺麗だな”」





「………あぁ、」


そうだな、と



セルは小さく呟いた。





この男は、月の光が本当に良く似合うと思ったが、口にはしなかった。




二人は、微かに微笑みながら夜空を見ていた。






二人の魔人が、月光の下に佇んでいた。







【エピソード】
┗━おまけ


「なんか匂う!!」


翌朝。
事務所に来るなり、弥子が鼻をひくつかせた。


「私が思うに……これはお団子ね」

「その素晴らしい能力、他にも生かせればいいのにな」


セルは、呆れて肩をすくめた。

「でもなんでお団子?セルさんが食べたの?」


“なぜお団子なのか”

それを訊かれて、セルはギクゥッと、体を硬直させる。

「そ、それはだな。たまたまコンビニで半額だったから…」

「なぜ団子なのか教えてやろうヤコ、それは」


セルが必死で誤魔化そうとしたが、ネウロはそれを制した。
セルの頭を強打し、地べたにへばりつかせた。

「ぐぇえ!!ね、ネウロお前……!!」

「よぉく聞けヤコ。こいつ…セルはな、見かけによらずロマンチストで、月を見るのが大好きなのだ」

「へぇ〜!セルさんてば、意外!!」

ヤコはニコニコと笑う。
セルは恥ずかしくてたまらない。
踏んづけているネウロの足を引っ張り、体制を崩させた。

「やめんか!!ネウロ」

派手な音がして、ネウロが倒れる。

倒れたネウロは、上手く受け身を取ったが、隙を見たセルがその上体を押し倒し、口をきけなくしようとする。

「だから優しい我輩は、わざわざ月見団子を買ってやり、二人で月見をしてやったのだ」

「うわぁ〜いいなそれ!!二人でお月見とか、超雰囲気いいじゃん」

弥子も調子に乗って、笑いながら言った。

魔人二人は、相変わらず高レベルな取っ組み合いを繰り広げている。


「なぁんだ、やっぱ二人はラブラブなんじゃん、仲良しでよかったよ!!」


弥子の、その言葉に、二人の動きは止まった。


「ヤコ…それは聞き捨てならんな」

ゆっくりと、二人は立ち上がる。

「誰と、誰がラブラブだと?ん?」

高身長の二人に見下ろされば、弥子はただの小動物である。

「そっ、そんなに怒らなくても………ね!?だって仲良しなのはいいことだし!!」





“気に食わん”

ネウロとセルは、弥子の頭をはたいた。




「素直じゃないんだからァ!!」


弥子は、涙声で叫んだ。






おわり



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