人形の生気
三月はまだ春を出し惜しんでいるようだ。ずっと冷えが続いていた。
ヘルシング機関局長、インテグラは窓の外から木枯らしを眺める。
屋敷の外の通りには、紺のスカートに黒のコートを羽織った女学生達が、卒業証書を持って思出話に花を咲かせながら帰宅している。
「季節もすっかり春だな」
背後には、腹出し足出しルックスの夢魔が居た。
「可愛い女学生達だ。インテグラにもあのような時期があったのだぞ?覚えているかね」
「お前が言うと婆臭いぞサキュー。寒そうな格好をして…そう若くもないのだから腹を出すなよ」
インテグラは肩を竦めながら窓から視線を外した。まだ机上には仕事が残っている。
「婆臭いとは何だ婆臭いとは!それに我輩は年を取らない、腹を出したから腹が冷えるわけでもないぞ」
サキューは少し不機嫌そうな顔をしたが、それもすぐににっこりとした優しい笑みに変わる。
「ところで我が女帝、今日が何の日か知っているかね?」
「三月三日………はて、何だろう」
インテグラは椅子の背もたれにもたれながら葉巻をくわえる。
すかさずサキューが火をつける。
「まあ知らんだろうな。東洋の文化だ」
「東洋?日本かね」
「察しが良い。日本の文化で三月三日は雛祭りと云ってオナゴをわっしょいする祭りがあるのだ」
「………お前の説明はおそらく何か間違っているようだな、まあ大体理解した」
インテグラは語彙の乏しい哀れな悪魔のために、パソコンのインターネットを開いて自ら『雛祭り』を調べた。
「…女の子の幸せを祈る行事だと」
「そうだそれだ」
サキューはニコニコしながらインテグラの机に両肘をついた。
「それで雛祭りがどうした?」
「やりたいなあと思ったのだ」
「だろうと思ったよ。だが無理だ、今から雛祭りの準備をしようとしても明日になってしまうだろう?」
「なに、我輩は雛祭りをしたい訳ではないのだよインディー」
サキューはインテグラのパソコンをいじった。
ブラインドタッチで文字を打ち込み、検索をかける。
「雛祭りには雛人形というものを飾るのだ。この雛人形は女の子の身代わりになってくれるという意味合いが含まれていて…」
サキューは、人形供養というページを開いた。
「そういったいわゆる身代り人形には生気が宿りやすい。だからきちんとした方法で供養しなければならないのだよ」
そのページには、数千体にも及ぶ膨大な数の雛人形がびっしりと並べられた画像があった。
正直不気味としか思えない。
インテグラは顔をひきつらせた。
「その…雛人形の供養がどうしたのだというのだ」
「だから、身代り人形は生気が宿りやすいと言っただろう?我輩はその生気が欲しいのだ」
生気…
この悪魔は何を言うのだろうと、怪訝そうな顔つきでインテグラはサキューを見る。
「焼き祓われた生気は格別なのだよ。生身の人間の生気を吸えないのだからそれくらい欲しても許されると思うのだがねえ」
「………ああ、初代との契約で無闇やたらに人間の生気を吸ってはならないのだったな」
「忘れないでくれよ…」
「で、雛人形の供養をしたいのか。………ここで!?」
「だから!違うのだよインテグラ!日本で!雛人形の供養をもうすぐらやるから!日本へ飛ぶ許可をと!」
ああそういうことか…
インテグラは大きな溜め息をついた。
「長々と…さっさと本題に入れば良いものを。勝手に行ってこい。緊急の場合すぐに呼び出す…」
そして、後日に至る。
「たっだいまー!」
ばあん!と派手な音を立てて扉を開け放ち、ご機嫌な笑顔でサキュバリエスは帰還した。
両手両腕に紙袋をぶら下げて、肩にもいろんなものを引っ掻けている。
「たっだいま〜たっだいま帰還したぞーうっへへえ」
「締まりの無い顔だな…日本に行ったと聞いたが、一体何をしに行ったんだね」
相変わらずインテグラの執務室にたむろしていたアーカード、セラス、ウォルター。
アーカードは心底厭そうな顔をした。サキューが楽しそうなのが厭なようだ。
その性質を知ってか否か、サキューはにへにへと笑いながらアーカードの目の前に紙袋を突き出す。
「お土産だ我が愚弟」
「お土産ってそれ全部ですか!?サキューさん」
セラスはサキューの大量の荷物を持ってやる。
ウォルターも加勢する。
「サキュー様、久々のご旅行如何でしたかな?」
「いっやー楽しかったよ!!今日本は外国文化が入り交じり独特な文化を醸し出している…素晴らしい人種だな」
「5日も何をしていたというのだ…」
ご機嫌MAXのサキューに対して大変ローテンションなアーカードは睨み下した。
「なんだアーカード、貴様インテグラに聞いていないのか?」
「てっきりサキューが直接言ってるものだと、私は思っていたがな」
インテグラはやれやれと肩をすくめる。
三化物(アーカード、サキュー、セラス)が一人欠ければ少しの安定…戻れば混乱。
またうるさい日常が戻ってきた。
「なぁんだ、だから我が愚弟はこんなにも拗ねているのか。おーよしよし、寂しかったのだなアーカード〜」
「やめろ触るな喋るな」
アーカードの頭をわしわしと撫でまくるサキューに対し、アーカードは冷たい態度を取る。
「ところでサキューさん、このお土産は一体…」
紙袋の中を覗いたセラスが小首を傾げながらサキューに尋ねた。
「日本に行って採ってきた食用植物だ。山菜という。そのまるっこいのがフキノトウ、細いのがツクシ、先がくるんってなってるのがワラビ。天ぷらにすると美味しいんだぞ〜」
「フキノトウ?ツクシ?ワラビ?…天ぷら?」
セラスはますますわからなくなった。
「まあまあ!後でどういうものか見せてやるから。作り方はウォルターも知ってるだろうから一緒に作ろうな」
「かしこまりました」
サキューはニコニコとしながら袋の中を確かめたり整理し始めた。
「………それでサキュー、お前は一体何をしに日本へ行ったのだ」
「ん?あぁ、だから人形供養に行って山菜を採ってきたんだよ」
「人形供養にそんなに時間がかかったのか?人形の生気を喰らいに行っただけだろうに」
インテグラは山菜を手に取り眺めながらサキューに言う。
「なっ…ずるいぞサキュー」
アーカードはサキューを睨む。
「何がずるいものか。お前はチューチュー輸血パックを吸えばよかろうに。いやねインテグラ、人形供養は1日で終わったのだよ。人形はすぐに灰になったので生気は煙と一緒に食らいつくしてきた。ただ、こっちが…」
サキューは山菜を指す。
「山道を歩いていたらまずツクシを見つけてな、よく見ると辺り一面に様々な山菜があって夢中で採っていたら…」
山菜採りに夢中になる夢魔サキュバリエス。
人形供養の生気を喰らうためにわざわざ異国へ赴く夢魔サキュバリエス。
雛祭りがやりたいと言い出す夢魔サキュバリエス。
「4日も山菜採りに夢中になっていたというのかね?まったく…大人気ない」
アーカードは分かりやすくサキューを馬鹿にした。
「ほ〜?そんな態度で良いのかねー久々に生気を食らって我輩の体は最高のコンディションだというのに…」
「なん、だと…」
「血液の濃度も健康、全てが最高。多分味も絶品」
「さ、サキュー…地下へ」
「誰が貴様になんぞに血を与えてやるものか。さあウォルター?一緒に山菜の天ぷらを作ろう」
サキューは勝ち誇った笑みで、ウォルターと一緒に執務室を後にした。
悔しそうに拳を握り締め唸る自分の主人を、慰めようとおろおろするセラス。
まったく、うちの三化物は…
インテグラは、苦笑いしながら溜め息をついた。
3月上旬、ヘルシング機関の日常風景であった。
End
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