甲高い女の叫び声とともにガラスの割れる音が聞こえた。美琴は、無遠慮に侵入してきた痴話喧嘩と物音を聞き取ろうと耳をすませると、母親の美鈴が「あっくん、明日は説教ね!」と嬉しそうに言ったのを聞いて、ご愁傷様と同情をよせた。しかし、親がいない幼なじみにとっては、美鈴の愛情がみっしり詰まった長い説教が彼の大雑把な性格の抑止力になっている。故に、物が割れる音、何かが床に倒れた音、それら全部の近所迷惑な騒音など、こんなにも派手な騒ぎは珍しい。つまり、学校じゃ美男美女カップルと称えられるあの二人も、今日をもって終わりを迎えることになる。どうして私を見てくれないのよ、私はあなたをこんなにも好きなのに!どこかの王道ラブストーリーに沿った少女の甘ったるい言葉に思わず美琴はぶっ、と噴き出した。相変わらずあの男に少女漫画は似合わないのだ。
数分後、落ち着きを取り戻したことを美琴は確認すると、冷蔵庫の中になぜかあったラベルにでかでかとブラックとプリントされている缶コーヒーを一本取り出した。美琴はそのまま二階にある自室まで駆け上がり、爽やかな黄色いカーテンに隠れる大きな窓ガラスを横にスライドさせると、味気ないベランダがひょっこり姿を現した。雑に放り投げてあったサンダルをつっかけ外に出れば、ひんやりとした風が茶色の髪を揺らし、美琴の視界には昼間は暑かった今日もまだ春だということがなんとなく理解できる夜が広がる。瞬間パンッと乾いた音が一度響き、隣家の玄関の扉から一人の女の子が泣きながら飛び出すのが見えた。あの少女はきっと本気で少年に恋していたのだろう。何度も何度も少年が追いかけきてくれないかと振り返っていたが、王子様は無様な姿を見せないまま、少女の消沈した背中はゆっくりと闇に溶けていった。犬の鳴き声だけが辺りを包む、いつもの光景に戻ったのを見届けた美琴は、「一方通行」とへんてこりんな名前を呼ぶ。すると数秒後、ガラリと向かい側の家のベランダの戸がゆっくり開いた。そこから見えたのは頬にくっきりともみじを残した真っ白な少年だった。美琴はなる程、と呟くと一方通行は美琴のにやけ顔を一瞥して舌打ちを落とした。

「なンだよ」
「またやらかしたのねって。明日頑張りなさいよ?美鈴さんが張り切ってるわよ〜」
「あンのババァ……めンどくせェンだよ。あっちから付き合えって言ってきて、ちょっとばかし遊ンでやったら怒り出すし」
「そりゃあんたが悪いわ。乙女心も学んだほうがいいわよ」
「あー…、女ってどォしてネチネチネチネチ傷つく言葉ばっか言うンだよ」
「女の本能よ。ほら、お疲れ様」

ひんやりとした缶コーヒーが夜空に曲線を描く。真っ直ぐに届けたそれを一方通行は無言のまま、片手で受け取った。

「あんた、見る目ないんじゃないの」
「何言ってンだよ。俺の目に狂いなンてねェよ」
「へぇ、じゃああんたが可愛いと思う女の子教えなさいよ」

にやにや、美琴は厭らしく笑みをこぼす。隣の席のあの子?それとも最近告白してきたあの可愛い子?興味がつきないその問いに、一方通行は眉をひそませ、

「御坂美琴」

少しの戸惑いも焦燥も体裁も余計な前置きも見せずにさらりと滑らかに発言した。まさか自分の名前が、彼の唇からこんなにも簡単に漏れることを予想にもしていなかった美琴は、不意を衝かれ「え、な、え、えええええ!」と周章狼狽した。一方通行はそんな見事な慌てっぷりにくつくつと嘲笑を表面に浮かべた。

「ぎゃは、何赤くなってンだよ」
「だ、だって、私、のこと、あんた、え」
「冗談に決まってンだろ。誰がお前みたいなじゃじゃ馬を可愛いとか思うンだよ」
「じゃじゃ馬!?」
「そォだ、そォだ。手の施しよォがねェンだよオマエは。じゃ、俺寝るからな」
「……ふふふ、言い逃げは、この美琴様が許さないわよ!!」
「あァ?」
「あんたさ、真っ白な肌って不便だなって思ったことないの?」

少女にとって小さいころからずっと隣にいた少年の真っ赤な頬が冗談か本気かなんて、今更問いただすべき問題ではない。美琴はベランダの柵に足をかけ、彼の元まで1メートル、ベルベットに輝く夜空を飛んだ。


/可惜夜ダイアローグ

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