大戦から五年の月日が流れ、学園都市は平穏な時間を取り戻していた。旋毛あたりにアホ毛を生やした少女は平和な学園都市に見守られ成長した。小さかった肢体はスラリと伸び、本人曰わくまだまだ発達途中の胸はさておき、細く長い足に程よくくびれた腰つきは思わず目をひかれる。敢えて簡単に感想を一言に纏めよう。少女は綺麗になった。それは、五年前。まだ中学二年生であった学園都市第三位の電撃姫を彷彿させる。だが、少女は御坂美琴の正式な家族でも妹でもない。むしろ遺伝子自体は御坂美琴本人と何ら変わりのない。人体クローンと言えば、分かりやすいかもしれない。打ち止めと呼ばれる少女はその事実を受け入れながら、普通の高校で友達と遊んで、テストに苦しんで、夢を描いて、泣いて笑って怒って。どこにでもいそうな普通の女の子になった。ただひとつの蟠りを除いて。

「打ち止め、いい加減人参くらい食べろ」
「うっさいなー、今から食べるところなのってミサカはミサカは父親気取りのあなたにうんざり」
「あァ? じゃあどォして人参だけが皿にのっかってるンですかァ?」
「ぐぬぬ…っ、す、好きなものは最後に食べるタイプなのってミサカはミサカは主張してみる!」
「ほォ、そォだったのか。なら俺の勘違いなンだな」

白い青年はニヤリと嫌みったらしく唇を歪める。打ち止めは皿にちょこんと置かれている特製人参グラッセをフォークでさし、ゆっくりと口に入れる。なるべく咀嚼せずに押しつぶすように口のなかで転がすと、甘い味と香りが全体に広がり思わず顔をしかめた。不味くは、ない。むしろおかわりを要求したくなるほどに美味しい。どうせこの暇を持て余した男が、人参が嫌いな打ち止めでも美味しいと喜んでくれるように研究しつくしたのだろう。

「うまかっただろォ?」
「ん……、ま、まぁ悪くはないかもってミサカはミサカは及第点を与えてみる」

ああ、ほんと、可愛くない。打ち止めは唇をきゅっと結び、自己嫌悪する。こんな少女も、彼と出会ったころはもっとずっと素直だった。事あるごとに抱きついたり、彼の胸に飛び込んだりして、何度怒られただろう。思い出すとちょっぴり恥ずかしくて、でも昔の自分が羨ましく思えたりもする。本当は今だって、すっごく美味しいよありがとうってあの薄い胸板に抱きつきたい。何も考えず、子どものままだったらどれだけ幸せだったのだろう、と空になった皿に視線を落とす。

「弁当ここに置いておくからな」

そう言って、可愛らしい巾着袋で包まれた手作り弁当を机に置いた青年。少女のモヤモヤの原因。彼の名前は一方通行。学園都市第一位に君臨する彼もこの五年で、色々あってひどく丸くなってしまった。警備員兼教師の炊飯器料理じゃ教育に悪いと豪語してから、料理を生きがいとし、スーパーで彼の出没率の高さとおばちゃんたちからの評判の良さは、悪党について語る昔の彼からは全く想像ができない。

(まさか本当に家庭的一方通行になるなんて思ってもみなかったってミサカはミサカは心中で吐露してみる)

打ち止めは食べ終えたお皿と茶碗を重ね、流し場に持って行く。ちゃンと水につかしておけよ、という言葉が聞こえたが打ち止めは何も言わずに蛇口を引き上げた。


「それでねあの人ったらまだミサカを子供扱いするんだよってミサカはミサカは愚痴ってみたり」
「へ〜、でも何だかんだ言って楽しそうじゃない。美味しいんでしょ? 愛情弁当」
「お、美味しいけど……それとこれとは別なのってミサカはミサカは反論してみる」

打ち止めは口ごもりながら、コーヒーを啜る。――やっぱり、苦い。とっても。彼の真似をして飲んでみたものの、口に広がる苦味に思わず少女の眉間に皺が寄った。美琴は苦笑を浮かべながら、はいと打ち止めにスティックシュガーを受け取るように促した。歎息。そして打ち止めは、口を閉ざしながらスティックシュガーを手にとり、袋を破りさらさらと黒い液体にかき混ぜる。ミルクも一緒にどうぞ、と美琴は打ち止めの許可もとらずに、砂糖を溶かすコーヒーに入れる。打ち止めは声もあげず、マーブル状に優しい色になっていく液体を見つめた。

「これなら美味しいわよ」
「うん……」

打ち止めが程よい甘さになったはずのコーヒーに口をつけ、表情がほっと緩んだのを見やると、美琴は諭すように言う。

「あんまり苛めちゃだめよ。あいつ案外繊細なんだし」
「うん…分かってるよってミサカはミサカは素直に頷いてみる」
「それと」
「?」

美琴は思い出を噛み締めるかのように目尻を下げる。

「伝えなきゃ伝わらない馬鹿男もいるのよ」

それは鈍感大王に恋をしていた自分への戒めだった。だけど、もう笑い話になっている。そうやって叶わなかった初恋は砂糖のように溶けて、いつか甘い物語を紡ぐ。優しい色となって、恋に悩む誰かにアドバイスとして伝わっていく。でも打ち止めの恋は、きっとそんな脆いものではない。長く温めた想いは必ず報われる。

「大丈夫よ。あいつはちゃんと向き合ってくれるからね」
「……うん、頑張ってみるっ!」

紅茶にぼんやりと浮かぶ美琴の顔は、綺麗な笑顔を浮かべていた。その笑顔に見とれた打ち止めも、はらりと笑みを零した。


「それでねお姉さまがねっ」


身振り手振りで打ち止めは今日あったことを喜々と話す。一方通行は久しぶりすぎるその無邪気な姿に、ヒャッハーと拳を作り飛び上がりたくなった。が、それはあまりにも自分のキャラとは程遠くて、そォか、ほォ、と素っ気ない返事でごまかしていく。所々で声が掠れるのは別に嬉し泣きをしたくなったわけじゃなく、気のせいだ。そう、気のせい。

「やっぱり苦いものより甘いほうがミサカは好きだなぁ」

最近は避けられていた。こうやって隣で歩くこともめったになかった。避けられていた理由なんてこの男には一生理解できないものだから、打ち止めの変化に堪えきれず、ほろほろと涙を落としたこともあった。
(年頃の女の子は難しいとか、別に変なことじゃねェンだって近所のババァたちが言ってたが、やっぱりこっちとしては辛いもンだぜェ)

「ねぇ、あなた聞いてるの?」
「ン、あァ、聞いてる」

ぽんぽん、と自身より低い頭を数度撫でれば、張りのよい頬をぷくりと膨らませた。

「だから子ども扱いしないでよってミサカはミサカはむくれてみる」
「ガキだろ」
「むぅ」
「まァ、オマエももォ十五なンだよなァ(肉体年齢)……」
「……そうだよ。ミサカはもう子どもなんかじゃないんだよってミサカはミサカは…」

でも、大人でもない。打ち止めは、そんな微妙で曖昧な感情に板挟みにされ苦しんでいる。特別なことではない。普通の、どこにでもありふれる少女たちとなんら変わりのない。ちょっとした、切ない戸惑い。ただそれが一方通行にはよく分からなかった。まともな少年時代を過ごさなかった彼に、理解できるはずがなかった。でも一方通行はひねくれてしまった打ち止めを見捨てることはなかった。決して、決して、小さな手を離すことはなかった。素直にありがとうと言えないのは、年頃と御坂美琴の変な部分が似通ってしまったためである。それでも一方通行は、ちゃんと汲み取ってくれている。素直になれない言動の裏を感じていてくれる。

「ねぇ、一方通行」
「ン?」

だいすきだよ。ずっと、ずっと側にいてね。そんな言葉はもう気軽に吐き出せないけど。

「なーんでもないってミサカはミサカはあなたの胸にダイブして誤魔化してみたりっ」
「っがァァっ!?!」

飛び込んだ少女の成長した重みにぐらり、と一方通行の身体はそのまま地面に降下した。胸に飛びついた少女を離さぬようしっかり抱きしめながら。


/青の生存率


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