――飛んだ。跳ぶでもなく、まさしく空を飛んだ。大きくも線の細い背中から、大小からなる翼が一面に開く。空の青を縁取るかのような純白が太陽と一緒に輝きを放つ。上条はそれに見とれ、思わず喉がごくりとならした。認めたくはない。実際は、そんなものどこにも生えてないのだから。だけど、それはまるで

「天使…」

思わず飛び出てきた上条のとんでもない発言は、隣にいた一方通行の眉を顰めるには十分の気持ち悪さだった。

「…きめェ、上条ってきめェ」

一方通行は上条から数歩後退りし、真っ白な顔を更に青くさせた。上条当麻のあいつまじ天使のベクトルは可愛い女の子を示していない。彼の視線の先にいたのは、垣根帝督。正真正銘の男だ。

「ご、誤解だ、俺にそっちの趣味はない!」
「まだそンなこと一言も言ってねェのに……ガチで?しかも垣根くン?うっわァ」
「違いますのことですよ!!」

むなしくも否定の言葉は届かず。一方通行はますます上条から離れていく。

(これは、やばい。上条さん=ガチホモというレッテルが貼られてしまうのはやばい!)

上条当麻は唇を噛み締め、何故か自慢の右手に力を込める。何としてでも、一方通行の勘違いという幻想はぶち殺さなければならない。殴るわけにはいかない。ならば、言葉で相手を目覚めさせなければいけない。上条は、そんなによろしくない頭で考えて、一つの打開策を打ち出した。上条は拳を握りしめながら、真っ青な一方通行をぎっと睨み付けた。

「お前、垣根先輩と仲良いだろ!」
「あ?」
「実はお前、垣根先輩が好きなんだろ」
「は?」
「俺に嫉妬してるんだろ!!」
「やっべェ、すげェ死にたくなったンだけど上条くン」

鈍感の大王は気づかない。一方通行がひどく動揺していることにも、彼の肌がほんのりと羞恥に染まったことを。上条は更に、一方通行を煽っていく。

「麦野さんが喧嘩するほど仲が良いって言ってたぜ!はは、さっすが麦野様。間違っちゃいませんな」
「大丈夫か、オマエ」
「もしかして俺が先輩に好意を向けてるって勘違いしたのかよ!上条さんの好みは、女の子だ!」
「…、」
「あ、おい!一方通行?」

一方通行は一度忌々しく舌打ちを落としたかと思えば、くるりと背中を向けてそのまま逃走した。言い訳も、誤魔化すこともせず。ぐんっと猛スピードで距離を離していく。それが鈍感な上条には、良くわからず、首を傾げた。

「なにあいつ。練習する気になったのか?」
「上条」

甘い男の声が聞こえた。誰だろう、と思い、その声の主の方へと頭を動かす。

「御坂、お前のことを探してたぞ」

そこにはなぜか嬉しそうにニヤニヤと口元を緩めた垣根帝督がいた。彼は上条の肩をポンと叩き、ありがとうと呟いた。上条当麻は訳が分からず、感謝の言葉に返事さえもできずに、一方通行が猛スピードで駆けていった道をゆっくりと走っていった。例え、一方通行が100mで素晴らしすぎる記録を叩き出しても、垣根帝督なら追いつけるだろう。あの最強は、およそ体力というものは全くないのだから。

(……なんだ、あれ)

上条当麻は、2人の走っていく背中を見つめながら、ポカンと立ち尽くした。

「あんたって本当、デリカシーの欠片もないわね」

呆れたような呟きがする。我が陸上部マネージャーはどうやら、上条と一方通行の小学生じみた喧嘩を聞いてたらしい。上条はその言葉が全く分からないと言わんばかりに首を傾げた。

「俺、何かした?」
「察してあげなさい」
「意味がわかりません」

クエスチョンマークで頭がいっぱいな上条を、御坂は無言で睨みつける。正直に言えば、同年代の女の子、しかも美少女となると睨まれるのも悪くはない。だけれども、睨まれるのはちょっとだけ傷つく。そんな脆いハートを持つ男子高校生は、自らのツンツンの頭を掻いて、

「ようし、上条さんは早速練習しますよーっと」

誤魔化すように上条当麻はゆっくりと走り出す。御坂美琴は、黙ったままだ。少し、睨み続けたまま。唇がばかとだけ小さく揺れた。

「もうバテたのかよ?」
「っ、うっせェ」
「まぁ俺でもあんだけスピード出してたらバテるぜ」

一方通行は、地面に仰向けに転がっている。あまりにもスピードが出過ぎていたらしく、足がガクガクと震える。本来ならば今すぐにでも立ち上がって、歩いて脈を整えなければいけないのだが、今の一方通行には、それさえも不可能だった。彼に出来るのは、心臓の動悸を聞きながら、小さく深呼吸をしていくことだけだった。垣根はそれを知ってか知らずか。一方通行が転がる脇に、座り込む。

「なんで走ってたんだよ」
「…関係ねェ」

垣根帝督は本当は知っている。一方通行と上条当麻の馬鹿でかい喧嘩は、恐らく色々な部員に聞かれてしまったであろう。垣根も聞いてしまったひとりである。一方通行が誤魔化すのであればまだこのままでいい。喧嘩相手のままでも構わない。だから、

「なぁ一方通行」
「……なンだよ」
「俺、今年こそ優勝するからな」

それは宣言だった。インターハイまで残り僅かになる、夏休み。一方通行は、それを笑うこともせず、貶すこともせず、

「俺だって優勝すンだよ。目指すは世界一の無敵だァ」
「世界一かよ。夢でけぇな」
「夢じゃねェよ、これは絶対的な事実なンだよ。日本人なめンな」
「はは、そうかそうか。おっもしれぇ。いいな、世界征服。やってやろうぜ、短距離はお前、走り高跳びは俺、砲丸は麦野で長距離は……、まぁ上条でいいか」
「『これが私の最終計画』だァ」
「きっもちわりぃ!」

垣根帝督はふきだす。そして、はははははと糸が切れたように大笑いする。一方通行もそれを見て、小さく微笑んだ。その時だった。

「はああああああまづらあああああああああああああああああああ!!」

女とは思えないドスのきいた大音声。ドスン、と一方通行と垣根帝督の間に鉄の塊が地面にめり込む。

「ちょ、謝る! 謝るから、やめて! 死ぬ! いやだああああああああ」
「きゃはははははは、逃げてみせろよぉ! ああ゛? この豚がぁっ」
「頑張って、はまづら」

一方通行は、ようやく身体を起きあがらせ、騒がしい方向を怪訝そうに睨む。

「なにやってンだよ、あの馬鹿づらは」
「さぁ?どうせ麦野を老け顔とかババァとか言ったんだろ。間違ったこと言ってねぇのに「てめぇええっぶち殺す!!」
「地獄耳かよ!?」

垣根は慌てて立ち上がり、駆け出す。
その背中をめがけて麦野は、自慢の怪力をフル活用していく。一方通行は、呆れたようにその馬鹿みたいな光景を笑う。

「ちょっと、何やってんのよ!!」

御坂美琴は、遠巻きで地獄絵図を見ながら、注意をするが暴走する麦野沈利を止められるわけがない。麦野は更に、砲丸やら拳くらいの石やらを無限のように取り出しては、投げていく。浜面へと投げられていた凶器は、いつしか――不幸な男の元へとお届けされる。上条は何十個も槍のように飛んでくる石をみて、一度大きく酸素を吸い込み、

「ええぃ! ちくしょう! 不幸だぁぁぁぁぁああああああああああああああ!」


青春フライト
(飛んでいけ!)


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