黒い携帯がブーブーと机上で重苦しい振動を鳴り響かせた。美琴はソファーに腰掛けながら、小刻みに揺れる携帯をじっと眺める。一秒、二秒、三秒。ぴたり。美琴は動きを止めた携帯を手に取って、ぱかりと開く。液晶画面に浮かび上がる着信とメールの履歴。着信のほうはどれも非通知だった。メールも卑猥な内容がずらずらと並べられた文字ばかりで、美琴は玩具を買ってもらえなかった子供のように頬を膨らませた。こんなんじゃ、つまらない。もっと何かこの不満だらけの心を埋めてくれる内容はないのかと、下に下に未開封のままのメールをスライドさせていく。それでも視界で確認できたのは、正義感に満ち溢れたチェーンメールやありきたりな出会いを促す文字だけだった。友達が少ないのか、それとも携帯とゆう機会に無関心なのか。答えはどちらとも正解。アドレス帳を開けば、登録されてるのは数えられる程度で、しかもほとんどが連絡をとりあったこともないような間柄にも感じられた。

「まあ、こんなものか」

呆れ果てたように呟き、携帯を閉じて、ソファーに腰掛けていた身体を立ち上がらせる。送られてくるメッセージが機械的に感情のないもので嬉しいのか、悔しいのか美琴にはよく分からなかった。このぐるぐると胸に渦巻く感情はきっと誰一人理解できないような欲求が刺激を求めているのだ。例えば、そう、完璧な男の弱味を鷲掴みできるようなものが美琴は欲しかった。でもこの携帯は音をスピーカーから出すだけで、役立たずだった。
まっすぐに数歩、足を進める。たどり着いたそこには不透明ながらも壮大な水槽があった。小さなグッピーたちがゆらゆらと水中を滑稽に踊り、金魚はパクパクとえさを無様に求める。

(暢気よね、生かされてるなんてちっとも理解してないくせに)

手に持つ携帯を水面に持っていく。数秒、美琴は携帯を見つめた。その瞳に光はどこにも見当たらない。こんなことをして、何かが変わるとは誰一人考えないだろう。それでも確実に美琴の心を名前のない病気が蝕んでいった。

「…ばいばーい」

その言葉を最後に美琴は手のひらを広げた。指という人的な支えをなくした機械は、叫びもせず、ポチャリと軽快な音をたてて魚たちの滑稽な舞踏会へと吸い込まれていった。魚は新しいお客様に驚愕しているのか、沈んでいくそれに誰も近づきもせず避けていくだけだった。異分子はどんな世界でも受け入れてもらえない、まるで私とあいつみたいだ、と美琴はどん底に落ちた携帯を見て眉間に不機嫌を露わにさせた。その時、美琴のスカートのポケットから、可愛らしいメロディが鳴り響いた。美琴は笑顔をはじかせながら、すばやく携帯を開く。画面に映し出されたのは知らない電話番号だったが、美琴は躊躇もせずに通話ボタンを親指で押して、携帯を耳に近づけた。

「あー…、御坂、か?」

耳に届いたのは、ぶっきらぼうで意地悪な大好きな声だった。電話するのに慣れていないせいかちょっぴり照れれ臭そうな声色に美琴は快哉を叫びたくなったが、高鳴る心臓を押さえながらこちらの心情に気づかれないように素っ気無く答える。

「珍しいわね、何か用事でもあるの?」
「あァ、ちょっと物失くしちまってな」
「大切なもの?」
「そンなンでもねェけど」
「じゃあ、何?」
「……携帯」

美琴は先程水槽に入れた黒い、簡素な携帯を見つめる。

「自分の番号にはかけたの?」
「かけたけどよォ、どォもつながンねェンだわ。さっき確認したGPSも機能してねェし」
「そこらへんに落として、犬とか持って行っちゃったんじゃないの?」
「そォかもな」
「ならさ、明日一緒に携帯ショップ行こうよ」

いいのか?と遠慮しがちな声が受話器を通して聞えた。美琴はそのらしくない言葉にニヤニヤと口元を歪めながら、

「当たり前でしょ。だってわたしのせいだし」
「は?」
「なーんでもない」

水槽の底に沈んだ携帯を囲むように、ガラスの外側からそっと指でハートを描いた。

「どうせならお揃いにしよーよ。ね、一方通行」


/YOU BAD GIRL!