研究会という名目上で娘に会いに学園都市に来ていた見た目十代後半の女は、公園のベンチに腰掛け、空に浮かぶわたあめをぼんやりと見つめていた。目の前を忙しく歩く人々は、彼女が一児の母親であることを誰も信じないだろう。それほどこの美鈴という人物は、いい意味で年齢詐欺をしている。そんな母親の大切な一人娘は、この街で居心地良さそうに生活をしている。友達もできて、好きな人もできた。なにより美人さんに成長してくれ、それだけでも満足なのにあろうことか、この街の頂点の内の一人になるという快挙を成し遂げた自慢の娘だ。だが、

「つい最近まで、美琴ちゃんを必ず連れ戻すって思ってたのよ」

綺麗な声色でポツリと呟く。独り言ではない。美鈴の隣に座る、途中で歩いていたところを無理やり連行してきた真っ白な少年に対してだ。少年は自販機で買った缶コーヒーを喉に流し込み、纏わりつく苦味に顔を歪めながら、

「……勝手にしろ」
「白いのは愛着とかないの? ここは君が育った場所でしょ」
「さっさと大切な娘連れて出て行け」
「意地悪。答えてくれたっていいでしょう」

会話のキャッチボールができないことが気にくわないのか、ぷくぅと美鈴の張りのよい頬が膨らみ、どうにかして会話を続けられないものかと話題を探る。しかし娘と盛り上がる話題なんてこの少年に通用はしない。ならなにがある?腕を組み、うーんと唸り続けること一分。

「ねぇねぇ、白いの。あんた名前なんだっけ?」

これなら、名前を聞いてから、由来、そして娘の自慢話と繋がっていく、はずだった。

「関係ねェだろ」
「……つれないねぇ、白ちゃんは」
「あァ?」
「いいもーん。美鈴さんもとっておきの話題がもう一つあるし」

にんまり。美鈴はイタズラをした少女のように口元を歪め、

「君は生き方が下手くそね、アクセラレータくん」

ひゅふ、と一方通行の白い喉から掠れた息が漏れる。驚愕、唖然、焦燥。赤い目が色んな思いを潜めながら美鈴をとらえれば、にまにまとこちらを伺っているようにも見えた。

「……知ってたのか」
「まぁね。実は夫にちょっとだけ調べてもらってね」
「素敵な旦那さンですねェ」
「そうよ、自慢の夫。ちょっぴりおっちょこちょいだけどね」

そこが可愛いのよ。美鈴は脳裏に髭面の男を浮かべながら、一層幸せそうに顔を綻ばせた。

「で、どォするつもりだ」
「どうって?」
「俺はオマエの娘を苦しめた殺人鬼だぜ? 殺しても煮ても捕まえても構わねェ。都合が良いことに今の俺は最弱だ」

抵抗はしない。一方通行はベンチの背もたれに背中を預け、乾いた自嘲を吐き出した。どんなに罪を贖っても、自身がやってきたことは消えないことを彼は知っている。彼女たちに死ねと銃を向けられたら、間違いなく一方通行は抵抗も反射もしない。許されつもりなど彼には更々ないのだ。が、美鈴はただただ優しげな笑みを浮かべるだけで、一方通行に手を伸ばしもしない。貶すような言葉も吐き出されない。

「最初は、なんてことしてくれたの、こんちくしょう!って思ったわ。……でもね、美鈴お母さんは、白いのは悪いやつじゃないって確認したかったの」
「意味わかンねェ」
「うん、でねもう答えは出したの」
「おいおい、随分と安直じゃねェか」
「あんまり考えこまないタイプなのよ。自分の直感こそが一番信じられるってね」

あはは、と美鈴はぷっくりと赤く彩られた唇を大きく開けて豪快に笑う。そして隣で座る、野良猫のような少年の頭にポンと手を置いた。

「白いのがやったことは許されないわ、例えどんな理由があったとしても。でも、世界中には君みたいに小さな手に拳銃を握らされる子供は幾万といるの。あたしは、その子たちを責めることなんてできないなぁ」
「……状況も理由も違ェ。俺は無敵になりたいってだけで、娘と同じ遺伝子を持ったやつらを一万人虐殺したンだよ」
「それは、本望だった?」
「ァ?」
「無敵になりたい。圧倒的な能力を振りかざして、頂点に君臨することが夢だった?」
「……」
「そんな自分勝手な子が美鈴さんを守ってくれるわけないでしょ? しかも遠回しに娘を危険な場所から遠ざけようとしてくれてるしね」

ばかだ。ばかげている。一方通行は思う。最近のゆとり教育なるものでとうとう大人まで馬鹿になってしまったのかと。だって普通ならお前は人間なんかじゃないと冷たく突き放すはずだ。実際に一方通行の周りはそういった人間ばかりだった。なのに、美鈴は微笑みを絶やさずに、ワシャワシャと白い髪を乱暴にかき混ぜた。

「美鈴さんね、白いのにお礼が言いたかったの。ありがとうって!」
「ァ?」

ばっと両手を横に大きく広げたかと思えば、えいっと小さいかけ声と共に少年に飛びついた。一方通行はその衝撃に耐えきれず、身体が横にぐらりと傾き、どすりとそのまま大きな音をたてて、背中をベンチの板に強く打ちつけた。地面に落ちなかっただけでも幸いだ。しかし沸点の低い少年の優秀な頭脳がポジティブシンキングなわけがなく、こめかみをひきつらせながら、のしかかる女に怒号飛ばす。

「お前は何回俺にタックルかますンだゴラァァァ!」
「あ、その怒り方美琴ちゃんにそっくり!」
「どォでもいいから、早くどけェ!」
「ひひひ、やだよーん。邪魔だったら自力で抜け出しなさい」
「ぐゥ……っ」

厭らしく美鈴は口元を歪め、細身の少年を見下ろす。端から見ればちょっと危ない光景になっているのも関わらず、美鈴はそのまま白い少年の全身を抱き寄せた。

「うわ、これ美琴ちゃんより細いなぁ。ちゃんと食べないとダメだぞ少年」
「……うっせェ」
「ママに口答えしないの」
「誰がママだよ……」
「あ、ママって言った! かっわいい〜。息子も欲しかったのよね。あーくんって呼んでもいい? いいよね、あーくん!」
「うぜェンだよォ!」
「ほらほら、抵抗しなーい」

幼子のようにポンポンと背中を叩かれ、ふと一方通行はその心地よさに何かを思い出したように目をぱちりと白黒にさせた。何かに似ている。なんだったか、と首を巡らせ、記憶はたどり着く。それはあの極寒の地から傷だらけで帰ってきたあの日。緑のジャージの女から殴られ、泣きながら抱き締めてくれたときの温かさと酷似していた。

(あー、……うっぜェ)

どんなに暴れても、この顔を見ているとどうもやる気をなくしてしまう。一方通行は抵抗をやめ、「このまま突き放したほォがいいぜ」とアドバイスをした。が、美鈴はふふんと陽気な声をあげると流暢な英語で答える。

「I would rather die than do it」
「……Why?」
「because……」

折れてしまいそうな身体。薄く儚げに見える赤の瞳。ちょっと触れただけて崩れてしまいそうな存在。
その危うさが、じわじわと美鈴の温かな母性をくすぐっていく。この壊れてしまいそうな少年に対して抱くのは、恋慕、否、いとおしい。いとしい、愛しい。美鈴は首にかかる白い髪にくすぐったさを感じながら、くすりと微笑む。

「I love you.ってとこかな」
「……くっだらねェ」
「そうかな。少なくともあーくんには必要なものだと思うよ」
「チッ……」

第一位という頭脳をもってしても、簡単に良いように言いくるめられてしまう。知識だけじゃ役に立たないものはたくさんある。先人達も経験して学べと教える。だから一方通行は苦手なのだ。この手の女性が、家族という存在が。


/愛の本物は大抵手の届かない場所に置かれてる