「勝負よ、一方通行!!」

ガララ、と引き戸を勢いよく開けたと同時に美琴は窓際にいる少年に向かって腹の底から思いっきり声を張り上げた。少年はギョロリと赤い瞳をぎらつかせ人差し指をこちらに向ける少女を見て、そうかもうそんな時期なのかと小さくため息をついた。
この時期、学校での試験が近くなると少女は必ずといっても良いほど「勝つのはこの私よ」と宣言してくる。周囲でたむろうクラスメートも、最早それは日常茶飯事になっていて、少女の大音声をあまり気にせずに各々の自由時間を過ごしてしまっている。

「はァ……」
「なにため息ついてんのよ。ほら、早く教科書出しなさい」
「なンでお前はいつも命令口調なンだよ」

美琴は短いスカートであるにも関わらずすらりと細い足を大きく広げながらどしどしと一方通行の方向に進める。チラチラと見えてしまう短パンにお年頃の男子たちは、ロマンという幻想をぶち殺されてぐっと涙を堪える。一方通行もまた違う意味で涙が出そうになったが、頑固な彼女に何を言っても馬耳東風。素直に鞄から適当に教科書と、ペンケース、ルーズリーフを取り出し机上に並べる。美琴も一方通行が座っている席の前の椅子に無断で座り、お気に入りのカエルの顔の形をしたペンケースから、これまたカエルがプリントされたのシャープペンシルを取り出す。それを見た一方通行は相変わらず趣味が悪いと内心で悪態をついて、適当に教科書をめくる。

「お前に分からないところってあンのかよ。別に俺に教えを乞わなくても一人でできるンじゃねェか」
「わ、私にだって、わかんないとこくらいあるのよ!」
「……」
「何よその目!」
「お前って仮にも学年三位だろ」
「仮にもは余計よ。私は第一位に勝つために、第一位を利用してるだけ。間違ってはないでしょ?」
「そォだけどよォ、俺に挑発かける前にあの無駄に頭良いクソメルヘンをどォにかしろ」
「え、あ、あぁ。うん、そうだけどほら!第二位って甘っちょろい立場は嫌なのよね私」
「それ本人の目の前で言ってやれ。ガチ泣きすっから」
「……また今度、ね」

美琴はホストかぶれの少年を思い出し苦笑いを浮かべ、シャープペンシルのノック部分を唇に押し当てた。二人の関係は、毎回第一位の少年に、第三位である美琴がムカつくと喧嘩をふっかけたときから始まった。試験期間はこうやって一緒に同じ机でペンを握って、終わってしまえばすれ違ったときに挨拶を交わす程度の関係に戻る。だから美琴は、このたった一週間くらいの時間が好きだった。言い訳せずにこの白い少年と机を合わすことができる日々が大好きだった。

(なんて、どーせこいつは気づいてなんかいないけど)

目の前にいるのは難攻不落の物件。白い朴念仁。素直に言葉を吐き出せない美琴にも問題はあるが、恐らくこの教室にいる一方通行以外の人間は美琴の淡い想いを薄々気づいている。美琴の真っ赤な顔を見れば一目瞭然なので、学校中の暗黙の了解として、美琴のいじらしい発言に心中で応援して、相変わらず素っ気ない少年にはいい加減にしろという苛立ちさえ抱えている。
美琴は、ふぅと一度小さく息をつき教科書に目を通していく。それほど難しくもなければ、捻りがある文でもないので美琴にとっては少々退屈だ。

「まぁ……どうせ教科書よね」
「って言われても、今日はなンも用意してねェぞ」
「んー…、じゃあさ、ね、私の家においでよ!」

美琴は誇らしげに言った。家なら問題集もあるし、暇つぶしにゲームだってできる。だが、一方通行は深いため息を吐いて、

「断る」
「な、なんでよ」
「俺はお前の家族が苦手なンだよ。ガキがひっついてくるわ、殺すとか言ってくるわ…」
「えー、可愛いじゃない」
「あれがか…」

一方通行の脳裏にうつる美琴にそっくりな姉妹たち。特に長女とは絶望的な溝がある。理由なんて知らないが、突然死ねなどと言われたら傷つくのも無理はない。彼もまた死ねと返すから、段々関係は悪化していくのだが。

「大丈夫よ。あの子たち友達の家に行くって言ってたし」
「友達、だァ? あンな性悪にも友達なンかできるのか……」
「うん、だから二人、」

ぴたり、と美琴は口を開いたまま停止した。誰もいない家で、一方通行と勉強をする。イコール、二人っきり。美琴は自身の発言でようやくその事実に気づき、瞼をぱちぱちと開閉させながら、体温がみるみる上昇していくのが分かった。証拠に彼女の顔色は今、茹で蛸状態である。

「え……、嘘」
「どォした、顔赤いぞ」
「べ、別にあんたと二人っきりだからって緊張してるわけじゃないわよ。ただちょっと部屋汚かったからどうしようかなって……」
「なら中止だな」
「ちょ、なんでよ! あんた私といるのが嫌だっての?」
「違ェよ。汚ねェ部屋に俺を入れるなってことだ」
「嘘! すっごく綺麗! 私って綺麗好きだし!」
「なら何なンですかァ?」
「だから…、うー…」

美琴は口ごもり、真っ赤になった顔でうつむく。ふとカエルのペンケースに視線を落とせば「頑張れ美琴ちゃん!」と呑気な顔でこちらを応援しているかのように見えて、思わずうるっと瞳を潤ませた。

(そうよねゲコ太! 頑張るしかないわよねっ)

無理やり自身を奮い立たせるため、美琴は小さく深呼吸をして落ち着きを取り戻す。そして、ガタリとわざとらしく大きな音をたてて、椅子から立ち上がり、

「あんたは、私に黙ってついてくればいいのよ!」
「だから何でお前は上から目線なンだよ……」
「いいから、ほら早く立ちなさい、ばかっ!」
「……めンどくせェ」

なんて言いながら机を片付けて、立ち上がってくれる一方通行。結局、それがどんな理不尽でも彼はいつだって自身の横暴さにきちんと向き合って、一緒にいてくれる。そんな不器用な優しさに恋をした美琴はほんのりとはにかみながら、ありがとう、と小さく呟いた。


/はにかみやのミモザ