小説 | ナノ


▼ 29

ところ変わって往診先の屋内、つまり煉獄家の一室へと通された私たちは、家族全員であろう四名から手厚い歓迎を受けていた。

「お館様から伺った通り聡明そうなお医者様ですね。妻をよろしくお願いいたします」

と、旦那様が。

「母上の病を治して下さるのですか!よろしくお願いします!」

と、ご長男が。

「ははうえをよろしくお願いします……」

と、ご長男を更に小さくしたような男の子が。

「本日はわざわざお越しいただき恐縮でございます。どうぞよろしくお願いします」

最後に凛とした居ずまいの奥様が言う。
そうして皆さんに頭を下げられては、私の方もいえいえこちらこそと驚きながら礼を返した。
更に歓迎のしるしだと言わんばかりに、ひときわ元気な声が私とリドルに放たれる。

「粗茶ですが!どうぞ!!」

そう言ってほかほかと湯気の立つ暖かそうなお茶を出してくれたのは、何を隠そう未来の炎柱こと煉獄杏寿朗殿その人だ。柱にお茶を出させてしまって申し訳なく思いつつ、その気遣いに私たちは感心していた。

「ありがとうございます。よく出来たお子さんですね」
「いえいえ、愚息ですが……名を杏寿朗、こちらは千寿朗と申します」
「煉獄杏寿朗です!」
「れ、煉獄千寿朗です……」

リドルが言うと、照れたようにお父様の方の(現炎柱らしい)煉獄さんが笑って、その紹介に預かった二人の男の子は、大きな眼をキラキラと輝かせたミニ炎柱とその弟君らしい。
それにしてもお父さん似だ……。

「元気なお子様方ですね……成長が楽しみでいらっしゃるのでは?」
「……ええ」

私は、本日の患者である煉獄家の奥様へと体を向けて言った。
するとその御姿に、若干の憂いが漂う。彼女は今、私の発言に対して思うところがあったのかもしれないがお許しいただきたいところだ。

「では、早くお身体が元気になるように精いっぱい治療させていただきましょう」
「はい、よろしくお願いいたします」

さあ、治療を始めよう。
そう告げると、リドルは慣れた手つきで懐から分厚い本を取り出した。
蒼く壮大に広がる銀河のような表紙の真ん中に、白ひげを蓄えたリアルな造形の老賢者の顔が浮かんでいる、何とも言えない見た目の本だ。子供たちは特に、眉を顰めて恐る恐る両親の陰からそれを見ていた。私がそれに杖を一振りすると、その表紙の老人の目が刮目する。

「知を求める者よ。何用かな?」

本が喋りだしたので、ご家族の皆さんが驚いてしまわれた。声も出ないとはこのことなのだろう。
私はそんな中、努めて恭しく、そして穏やかに言う。

「こんにちは、宇宙の賢者様。今から診察のお手伝いをしていただけますか?」
「ふむ……では782ページを開きたまえ」
「ええ。よろしくお願いいたします」

顔を触ってしまわないよう慎重に本を持ち、パラパラとページをめくる。この本は、自動で毎日宇宙全体のあらゆる分野に関する造詣が刻まれる特殊なもので、ケンタウロスの占星術を元にリドルと二人で作った本だ。私達二人で書き込んだ知識や調べた記述のみならず、この本自身も自我を持っていることにより、あらゆる知恵を自らスポンジのように吸い取り、それを口頭で問われると見るべきページを示してくれる優れモノ。
私は彼を宇宙の賢者と呼んでいる。……そう呼ぶと機嫌が良くなるからだ。

「では問診を始めます。どんな症状がおありですか?」
「……風邪のように咳、痰、微熱が続いています」
「いつ頃から症状が表れましたか?」
「二年ほど前から……」

本にある通りの質問を奥様にしていく。
当てはまれば項目にチェックが追加されていき、最後の質問を終える頃、賢者はもう結論を出しているようだった。

「おそらく彼女の病は結核であろう」
「!」
「結核……」

ご夫婦が何やら心当たりのある様子で、神妙な面持ちとなる。
それを見た私は尋ねた。

「今までにも同じ病気と診断されましたか?」
「……ええ。しかし治す方法がまだ見つかっていないと」
「……」

結核……マグルの文献ではまだ完全な治療手段は見込まれていない伝染病の一種。
魔法薬での治療は未だ治験段階で、私も最近研究に着手していた病気の一つだ。上手くいくかは分からないが、やれることをやろう。そう思って本を閉じようとしたときだった。

「今まで結核に関して行われたあらゆる研究結果を1206ページに載せておる。治療の成功例は無いに等しいが、失敗のデータから学ぶこともあろう。儂は読むことを勧める」
「……ありがとうございます、賢者様」
「ホッホッホ。また会おう」

私とリドルだけで作ったとは思えないほどの完成度……まさに宇宙の知恵が詰まっている。私たちのやり取りを見ていたご家族は心配そうに成り行きを見守っていた。その視線のもとを向くと私はにこりと笑んで見せる。

「少しでも例はあった方がいい。それを元に新たな薬を作りましょう」

薬を作るとは言っても、今まで集めた素材の中から効きそうなものを片っ端から試して頂き、効き目のあったものを調合して継続的に服用してもらうというシンプルなプランだ。
なかなかどうして、これが一番病気には効く。
しかし注意も必要だ。それから閲覧する失敗例を見れば明らかだろうけど、効きそうに思えて逆効果を引き起こす素材もある。それを避けて副作用も極力抑え、かつ効き目の抜群な薬を作らなければならない。難易度は高いが、だからこそ。

「絶対に成功させます」

お任せをと胸を張ると、リドルも倣ったように言う。

「結核を滅ぼします」
「それは趣旨が違うから」

私が呆れたように笑うと、でも、と彼は言った。

「先生なら出来そうですよね」

あまりに真っ直ぐな視線を向けて言うものだから、それを子供たちは本気にした。キラキラと目を輝かせて此方を見つめるそのまばゆさに、私の良心は傷む。

「本当ですか!母上の病はあっという間になおるのですね!」
「いや、あっという間とは……」
「リンクさま、ははうえをげんきにしてください」
「うっ……」

ご夫婦からの不安げなまなざしも相まって、私は乗り気ではなかったけれど、では……とこぼした。

「早く治せるよう頑張りますね」

笑みを湛えよう。楽しい製薬の時間だ。








まず結論から言おう。奥様の病気は治りそうだ。
それは間違いない。
そして現在の状況をお伝えしよう。私は今首にひやりと刀を当てられている。なにゆえだ。
私に刀を当てている現炎柱を射殺さんばかりに睨んでいるのは、私の元教え子。
大きくむせて吐血する奥様。駆け寄る子供たち……すべてがカオスだ。
わなわなと怒りに打ち震えるかのように現炎柱の旦那様は言う。

「どうやって御館様を欺いたのかは知らないが、よくもこんな劇薬を飲ませたな!やぶ医者め……妻をどうしてくれる!」
「何を言うんだ?先生が毒など盛るか!」
「……」

どうやら薬が効かないと思われてしまったらしい。
私が毒を盛るなんて、絶対にしていない。それがこんな反応を引き起こしたという事は……。

「ゲホ、ゲホッ……うっ」
「母上!」
「ははうえ……!」

阿鼻叫喚の中、私は刀身が震えているのを肌で感じて落ち着きを取り戻した。
すう、と息を吸って、言葉を発する。

「……結核の初期症状は咳、痰、発熱など、風邪と似た症状です」
「何を……」
「結核菌が肺の中の組織を破壊していくことで、呼吸機能が低下し、組織からの出血により血痰や喀血といった症状が現れます」
「……」
「そのまま進行していくことで、全身が衰弱し、死亡してしまいます」

ですから、と、語気を強めた。
そして旦那様が刀を持つその斜め後ろを振り向く。少しだけ、頸が痛んだ。
彼とリドルは目を見開いて、私を見ている。

「その菌を吐き出すための薬を投与したのです。荒療治ですが、咳が出終わるまでは窓を開けたまま、誰も近寄らないでください」
「……治るのか」
「いう通りにしていただけるのなら」
「……」

ゆっくりと、刀が下ろされ、窓が開け放たれる。子供たちは困惑気味に、奥様は苦しそうにしている。
私は彼女に近づくと、何包か薬を置いた。

「咳が止まりましたらこの薬をお飲みください。明日からは朝のお目覚めに一包ずつ」
「ゴホッ、はッ」
「お返事は結構です。あらかじめ薬を飲んだ際の反応をお伝えせずに申し訳ありませんでした。また一週間後に参ります」

では、と言って、私は立ち上がった。

「私をやぶだと言うのは結構ですが、主君の名誉は傷つけるべきではありません」
「……すまないことをした」

苦々しく言う煉獄家の当主は、かなり取り乱していたのだろう。
まあ無理もない。目の前で見たこともない量の血を奥方が口から吐いているのだ。
しかも薬のせいで……そうなっては私も同じことをするかもしれない。
私は努めて冷静に場をおさめに掛かる。

「いえ、奥様のことが大切なお気持ちは分かります。けれどその刀は、一週間たっても病状が良くならなかった時の為に取っておいてくださいね。その時は……」

――頸でもなんでも差し上げますから……まあ絶対治りますけどね。

ああ、やってしまったなあとボンヤリ思いながらも、べっと舌を出さずにいた自分を内心で褒めたたえておく。リドルに行くよと言って腕を引くと、彼は旦那様に中指を立てていたが見なかったことにした。





「お医者様!」
「まってください!」

足早に立ち去ろうとしたその際に、二つの幼い声が私達の歩みを止めた。
振り返ると、そこには走って此方に駆け寄る可愛らしい兄弟が見える。
この子たちには悪いことをしてしまったなと、私は目線を合わせるよう少し屈んだ。

「杏寿朗君と千寿朗君ですね。さっきは怖がらせてしまってごめんなさい」
「いえ!先程のお医者様の言葉は本当ですよね!父上の剣に少しも恐れていなかったので、嘘をついていないと分かりました!ところで先程の傷で頸が痛みませんか?」

はきはきと言うその姿に、私もリドルも目をぱちくりと瞬いた。
そして更に、私たちを驚かせたのは。

「あの、ほうたいを……」

おずおずと包帯を私に差し出す千寿朗君。
何て優しい子たちなんだろうか。
私はにこにこと思わず笑んで、ありがとうと言った。

「優しい君たちには、一ついいものを見せてあげよう」


――ウィンガーディアム・レビオ―サ(浮遊せよ)


そう唱えて包帯をふわふわ浮かせ、鳥のように舞わせてみたり、蛇のようにくねらせたりして見せた。魔法を始めてみる子供たちの瞳はキラキラと輝いている。
ふふ、と笑むと、私はそれを首に巻いて二人の頭を撫でた。

「お母さまの容態が落ち着くまでは、お部屋に入らないようにね」
「はい!」
「はい」
「偉い偉い」

わしゃわしゃとさらに頭を撫でると、きゃっきゃと二人は喜んだ。
じゃあねと手を振り私たちは歩く。
隣を歩くリドルが神妙な面持ちであることに気がついて、私はどうしたのと尋ねた。

「僕も先生に偉い偉いと言って頭を撫でていただきたいのですが」
「うん」
「さっき僕が下品なことをしたのでそれは叶わないなと思いまして」

真面目に自分の行動を顧みている様子の彼に、私は思わず笑う。

「賢明だね……まあでも、今日は比較的大人しかったよ」

顔を下から覗くように見つめて言えば、その瞳が零れんばかりに見張られた。

「だから屈んで」

今は気分がいいから特別だと言うと、リドルはさっきの子供たちみたいに目を輝かせて頭を差し出してきたので、遠慮なく髪を乱させてもらった。
一週間後が楽しみだと笑う私に彼は複雑そうだったけれど、何かあったら今度は好きなことを言ってもいいと言うと渋々と言った具合に頷いた。



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