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▼ 21

夜、上司の部屋の前に来て私は腹を括ることにした。
いや、そう語ると、さっきの流れからして私が胡蝶様に今夜体を委ねるように聞こえてしまっただろうか。もしそうであったなら違う。
胡蝶様があんな手段に出たという事は、何かよほど聞きたいことがあるか、ご乱心かどちらかだろう。前者であれば、私の知る限りの情報と引き換えに、夜伽を思いとどまってくださると考えた末の、この決心だ。
きっと、胡蝶様はリンクを忘れられていない。
その状態で、(恐らくはイギリス人同士だから)その想い人に性格が似ている私という存在が近くを常にうろついているから、思わず彼と私を重ねてしまったのだろう。うんうん分かる。分からないけど分かる。私は恋愛のことはさっぱりだけど、人の気持ちは少なからず分かる。
意を決して、私は部屋のドアをノックした。

「星です」

すると、どうぞという声が返ってきて、私は部屋に入った。
てっきり昼間のように引きずり込まれたらどうしようかと思っていたから、私はわずかに安堵を覚えた。
胡蝶様は、寝間着姿で机に向かい、書き物をしていた。恐らく仕事をしていらっしゃるのだろうと、私は邪魔にならない程度の離れた場所に座る。しかしそれがどうやらお気に召さなかったらしく、一瞬にして此方に距離を詰めた彼女はふわりと隣に来た。
刹那のことに、柱の動きは凄まじいなと感心していると、胡蝶様はその私の反応もやや気に入らないように、その柔らかな頬をぷくりと膨らませて見せた。

「これから何をするのか、分かって来ているのですよね?」

その 拗ねたような様子に、私は一瞬呆けて、そして思ったことをそのまま口に出していた。

「胡蝶様も、そのような可愛らしい表情をなさるのですね」
「……」
「あっ、も、申し訳ありません。その……つい」
「灯香さん」
「!はい」
「単刀直入に聞きますが、貴女は……」
「……はい」
「……」
「……?」
「……いえ、私が少し、どうかしていたみたいです」

そう言って、胡蝶様は額に手を当てると、小さく溜息を吐いた。
何やら不完全燃焼の会話に気まずくなった私は、あの、と切り出した。

「実は、私は明日にでも行かなくてはいけないところがあるのです」
「……そんな気はしていました」

蝋燭の揺れる室内のぼんやりした光に、彼女の美しい藤のような顔が照らされる。
あまりに美しいので、絵画と話しているのかと錯覚するほどだった。
その顔を、私は今酷く歪ませてしまっているという事実が、胸を貫いてくる。

「私がいなくなる時間は殆どないと言っていいのですが、きっと私の姿や何もかも、変わってしまっているかもしれません」
「どういうことですか?」

私の言っていることが要領を得ないために、胡蝶様は、そう訊いた。
それはそうだろう、誰が過去に行くだなんて予想できようか。
私は言うべきか迷ったけれど、別にリンクの手紙には誰にも言うななどとは書いていなかったから、一瞬考えて口を開く。

「私は明日、十年前の英国に行き、御館様の病を治す薬になるような物を探してきます」

真っ直ぐ、彼女の美しい瞳に直接言葉を届けるように、私は単語を紡いでいった。
言い終わると、暫くお互いにしゃべらなかった。
何処となくやりきった感を感じていると、そんな私を見て胡蝶様は声を出して笑いだした。

「ふふふ。まさか、そんなところに行くとは思ってもみませんでした」
「胡蝶様……」
「貴女は目を離すとすぐ、誰かの役に立つことばかりに傾心して……碌に休まず門限も守らないかと思えば、今度は十年も私の元を離れると言って。本当に……」
「……」
「本当に、リンクさんに、そっくり……」

涙声で、そう彼女が言ったので、私はハンカチを取り出し彼女の頬を拭う。
ここまで迷惑なほど思い出だけ残していったリンクと言う男に、私は再びの怒りを覚えた。

「胡蝶様」
「……みっともない姿をさらして申し訳ないです」
「いえ胡蝶様、ご自分を責めないでください。その方を私がきっと見つけて引きずってでも連れてまいります」
「本当に?ですが、どうやって……」

そこで私は、十年前のイギリスに渡る経緯となったのが、他でもないリンク・スチュワートからの手紙だという事、そして年数逆転時計を見せた。するとそれには見覚えのあったらしい胡蝶様が、ようやく笑って私に言った。

「そういうことでしたか。では彼を連れてきてくれること、期待していますよ」
「お任せください!」

そう私も笑みを返して胸を張る。
すると、胡蝶様はどこか居心地の悪いような表情をした。

「灯香さん、今日はすみません。無理に迫ったりして」
「いえ、胡蝶様のお気持ちも分かります。昔いなくなってしまった想い人と似ている方が現れたら、私もどのようにしていいか分かりませんから」
「……灯香さん、本当にそう思っているんですか?」
「?はい」
「はあ……。そういった態度は相手をつけあがらせますから、本気で好きにされていい時でない場合は控えて下さい。私が男だったら、唇ぐらいはとっくに奪われていますよ」
「!」
「何なら、今奪って差し上げますか?」
「い、いえ!それはリンクさんに取っておいてください!」
「ふふ、冗談ですよ」

それから私たちは、長い別れの前に夜が更けていくまで語らった。
旅立ちの前に、きっと胡蝶様は私が辛くならいように楽しい思い出をくれたのだと感じた。
襲われかけたり上司を悲しませたり談笑したその夜のことは、私はずっと覚えているだろう。

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