小説 | ナノ


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「灯香さん」

煉獄様とお蕎麦を食べに行った次の日。
リンク・スチュワートという謎の紳士についてモヤモヤと気になったまま、私は薬の研究のため胡蝶様の研究室に訪れていた。
どうやら不死川様へ渡した薬は、想定の半分ほどの痛みにまで留めることに成功したらしいということを胡蝶様から伺った私は、一層の改良を加えるため、二人で成分の分量や対比についての議論をしつつ、実験を交えて新たなる改善に取り組んでいる最中だった。

「?はい……」

私がぐるぐると大鍋の中を掻き回していると、反対側で作業をしている胡蝶様が私を呼んだ。
何も考えず振り向くと、胡蝶様はこちらに笑むでもなく、私に向けるには初めてともいえるような、今までにない凛と澄んだ何処か暗い表情で、私を見ていた。
いつも笑んでいる胡蝶様の、見たことのない一面に面食らいながらも、私は無言の彼女にもう一度声をかけてみた。

「あの、胡蝶様……どうかされましたか?」
「作業をしながらで構わないので、私の話を聞いてもらえませんか」

ほの暗い、というには表現が足りないような、何かに思いを馳せて傷ついているような顔をしている彼女に、私は目を逸らせずに頷くしか出来なかった。
ぐるぐると、大鍋を混ぜていた棒をひとりでに動くよう魔法をかけてしまって、それから私は彼女に向き直った。

「勝手に掻き混ぜてくれるようにしましたので、どうぞお話しください」

私がそう言っても、やはり彼女が笑うことはなかった。
一体どうしたのだろうと身構えていると、胡蝶様は私から少し目を逸らして話し始めた。

「私には姉が一人いるんです」
「……」
「その姉が、昔上弦の鬼に遭遇してから、戦線に立てる状態ではなくなってしまいました。……それで、妹である私は常に、笑顔で優しい姉の代わりにならなくてはと思ってしまう」

ふ、と。
その蝶の瞬くような睫毛を瞼で持ち上げて、綺麗な藤色の瞳をこちらに向けた胡蝶様は言った。

「けれど、灯香さんには……どうしてでしょうね。私が笑っている理由を知っておいてほしくて」
「私に、ですか?」
「ええ。普段は全くと言っていいほど、この話は持ち出さないのですけれど……あまりに貴女の内面がある人に似ていて、つい懐かしくなってしまうことが最近増えたんです。……相手が男性なので、嫌に思うかもしれませんが」

そこまで聞いて、私は何か、聞いてはいけない話をされているような気がしてきた。
もしかしたらその男性は……。と要らぬ勘繰りを頭でしてしまう。いやいや、と、それを口に出すのを躊躇っていると、胡蝶様はぽつりと言った。


「私は彼に憧れていました」

「彼のような人になりたくて、医学を志しました」

「けれど、彼は私の元に留まってはくれなかった」


聞いていて、ぐっと胸元が押さえつけられる心地だった。
きっと、胡蝶様の言う"彼"とは、かえって彼女とってその存在が毒になってしまうくらい魅力的だったに違いない。
泣きたくなるようにも見える悲しげな表情の胡蝶様に、私はその時、言ってはいけない言葉をかけてしまう。


「……その人を、愛していらしたんですか?」


驚いたように目を溢れんばかりに見張った後、彼女は小さく、あまりにも穏やかな声音で。

「はい」

と云った。私も何故だか泣きそうになってしまって、ぐっと唇を結ぶ。言葉に詰まった私に、彼女はごまかすように続けた。

「まあ、彼は海外から来たようでしたし」
「……?」

海外、男性、医者……と聞いて、何やら私は引っ掛かりを感じた。いや、まさか。

「いつか帰ってしまうことは分かりきっていたので……そんなに悲しくはないのですよ。ただ、時々ふと思い出してしまうだけで」

そんな風に私の上司の心を苦しめて解き放たない男の正体は……まさか。私は疑惑を抱く。あの、と。おずおずといった風に、私は彼女にさりげなく質問してみる。

「その方……異国の方なのですね。では、名前が特徴的だったりするのですか?」

私が訪ねると、彼女は思い出をなぞって懐かしむように頷いて肯定を示した。
ゆっくりとその小さな口が、名を紡ぐ。









――リンク・スチュワート、という方でした。


数秒、時が止まったような心地だった。
昨日と言い今日と言い……リンクという人は、一体何を企んでいるのだろう。
外国から来たその紳士は、鬼殺隊にきっと深い関わりを持っていて、私の行動を今でも手に取るように観察できる。その上この敏腕の柱の面々がいくら探しても見つからないほど隠密な行動力……。

「(透明マントでも使っているっていうの?そうじゃなきゃ、私の行動が筒抜けなのも柱の方々に彼が見つけられないのも説明がつかない。でもあれは、ポッター家で管理しているはずじゃあ……)」
「灯香さん?」
「(まさか、リンク・スチュワートはポッター家の人間?)」
「灯香さん!」
「!」

急に胡蝶様の大きな声が聞こえて、びくりと肩を振るわせる。
昨日に引き続き気味の悪いこの現象に、少し恐怖を覚えて、いつの間にか額には冷や汗が伝っていた。
心配そうに此方を窺う胡蝶様に、私は咄嗟に後ろへ離れて距離を取り、両手を前に突き出し笑みを浮かべてなんでもない顔をして見せた。
そして何でもありませんと繰り返し、一呼吸おいて、私は出来るだけ柔らかく笑むように言った。

「その方……帰ってこられる予定はないんですか?」

話を元に戻して、リンクについての詮索を続ける。
あくまでも、胡蝶様のために聞いておきたいとでも言いたげに。

「……ええ、残念ですが。そのつもりはないと仰っていました」
「そうなのですか……残念です。お会いしてみたかったのに……。(私には彼自身の存在を知らしめておいて、深く関わりのあった方々には一切連絡していない……?もし私が彼だったら、きっと一番に煉獄様や胡蝶様に連絡を取りたいと思う筈。それなのに面識のない私に非対面での接触を図ってくる理由は何?)」

けれども彼の行動の不可解さには、ますます謎が深まっていくばかりだった。
まだまだ聞きたいことはあったけれど、あまりしつこく質問するのも不審だし、最悪昨日の煉獄様との食事が感づかれてしまうといけないので私はこのあたりで引くことにした。考え込みながら仕事に戻る私の背中を、胡蝶様がじっと見つめていたのは、私が知る由もなかった。

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