小説 | ナノ


▼ 11

私たちは、ふわりとした浮遊感の後、ぐるりと視界が回ったかと思うと弾かれたように、大きく立派な家屋−−御館様のお屋敷の門前に、無事飛んで着地をし、それから木造づくりの重厚でエキゾチックな扉をコンコンとノックした。

「星灯香でございます。鬼のお嬢様と、竈門炭治郎さんをお連れいたしました。」

すると暫くしたのち、キイ、という音とともに扉が開いて、お屋敷のお嬢様たちが二人、私たちを出迎えてくれた。日本人形のように端正なお顔は可愛らしく、瞳も大きくて、けれど凛としたお姿は、雛祭りを彷彿とさせる。どこかの村にいた時……モモノセック?という日本の伝統的な祭日があることを知った。ええと確か……あれは、なんていう花を飾っていたんだったか……。藤の花だっけ?あとで後藤さんに訊いてみようかな。

「どうぞ、お入りください」
「ありがとうございます」
「星様は、鬼の禰豆子さんを連れてこちらにお越しください」
「後藤様は、こちらでございます」
「はい。では後藤さん、また後で」
「おう!くれぐれも失礼のないようにな」

まずはこの任務でも運び屋としての役割を終わらせないと……。
二手に分かれたあと、お屋敷の中の方に向かって歩みを進めた。
アジアンで素敵なお庭の砂利を、あまり鳴らさないように。
そしてお嬢様の一人に先導して頂いた、日の当たりにくいお部屋につくと、禰豆子さんの入った箱を奥の方へと置いた。
任務は大方終わったかしらとお嬢様の方を向くと、彼女はじいっと、箱を見ていた。

「……お嬢様?」

彼女の視線がこちらに向くことはなかったが、それでも返事が聞こえた。

「はい」

それが、この方の考えるところなのだと私は理解した。
きっと彼女は……いえ、鬼殺隊の殆どの構成員は皆、この鬼の少女をどうしていいのか判っていないのでは、と。人を食わない鬼はいないのですかと、いつか私は訊いたあことがある。後藤さんや鬼殺隊の方々は、悲しそうにいないと言っていた。
だから鬼は皆、殺すべきなのだとばかり思っていた。けれど存外、そうでもなかった。
竈門さんのような、妹思いの隊士がいて、禰豆子さんもお兄さんを大切にし、恐らく人を食べてはいないのだろう。それが一体どれほど精神力を必要とするのか……。
例えば人を襲いはするものの、その肉は食べない人狼でさえ、満月を見れば如何に普段は人格者であろうとも理性を失い見るものすべてを切り刻む。それが、人を食わねば飢えに耐えられない鬼であったなら、なおさら辛いだろうに……。
私は禰豆子さんの入っている箱に近づいた。ピクリと、それを見たお嬢様の表情はこわばって、何か言いたげにこちらを見ていた。けれど私は真っ直ぐに彼女の方へ歩く。そして、その箱に触れ、そっと声をかけた。

「禰豆子さん、慣れないところまでお越しくださりありがとうございます。少し此方でお休みになってくださいね」

そう、そっと声をかけてみる。
すこしの間を置いて、カリカリと、箱の内側から軽く音が聞こえた。
これはきっと彼女の返事なのだと思って、私は続ける。

「さっきお兄さんを見て、驚きました。だって、あんなに怪我をされていたのに必死に戦っていたんですよ」

カリカリ。また穏やかにその音が響く。

「ええ、禰豆子さんも戦っていたと聞きました。お二人とも素晴らしいご活躍でした」

カリカリ。今度は照れているのか、少し小さな音だった。



「でもね、禰豆子さん。私は悔しいんですよ」
「……」
「実は竈門さんに、私を呼び出せる魔道具を渡していたんです。試作品だから作動しなかっただけかもしれません。だけど、彼は……いえ、あの三名は誰一人として私を呼んで応援を寄越してもらおうとか、山から逃げようだなんて、ちっとも思わなかったみたいで……本当に、尊敬しますが、同時に頼っていただけなかったことが悔しいです」
「……」
「私は隠ですが、もっと隊士の皆さんに信頼していただける仕事を目指して頑張らなくてはなりません。ですので一生懸命皆さんを支えます。一緒に頑張りましょう」

カリカリ。その音を聞いて、ふ、と笑みがあふれる。
そして、踵を返して、何やら此方をじっと見つめているお嬢様に、私はできるだけ元気に笑って見せた。

「お嬢様。この国の女性は皆さん可愛らしいですね」

言うと、突然の会話にお嬢様は少々戸惑いを見せた後こう返した。

「……星様はこの国以外の出身なのですか?」
「はい、実はそうなんです……この国に来たのは偶然でした」
「偶然?」
「ええ。なので、初めて着物に袖を通した時の感動は未だに覚えているんです」

そうなのですか。とお嬢様はそれ以上訊いては来なかった。お年の割にとても落ち着いている。この家の当主の御館様も、例外ではない。
私は、その落ち着き払った彼女に困ったような口調で尋ねた。

「はい……ですが最近、この国のある文化について思い出せず、どうしても気になっていまして……。差し支え無ければお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい」
「ありがとうございます!お嬢様はモモノセックをご存じでしょうか?」
「はい」
「その日に飾る花は……藤の花でしょうか?」

至極真面目な顔で訊くと、一瞬大きく可愛らしい瞳を刮目された後、彼女は口元を覆った。そして、ふ、という笑ったような声が漏れる。いや、これはきっと笑われてしまっているに違いない。そして、ふふ、と続いた笑い声に、恥ずかしくなりながら彼女が笑い終わるのを待った。

「桃の節句には、桃の花を飾るのが一般的です」
「そうなのですね。ありがとうございます」
「何故星様は、藤の花だと思われたのですか?」

今度は不思議そうに尋ねられて、私は顎に手を当て捻るように考えた。
そうですね、と言う私の言葉を、お嬢様はじっと待っていた。

「私が初めてここに来てお嬢様たちをお見かけした際、薄紫の素敵な色の着物と花を纏っていたのを、この国に来て一番綺麗だと思ったのです」
「……」
「ええと、勿論桃の花も素敵で可愛らしいんですが……藤の花は鬼を遠ざけ、守ってくれる花だと知りました。女の子がすくすくと育つようお祈りをするのであれば、私は藤の花を飾るのだろうと、てっきり」
「……さようですか」

はい。と私は明るく振舞った。

「ですからいつか、鬼の心配がいらなくなった世で、盛大に桃の花を飾ってお祝いしたいものです」

私が笑うと、彼女も僅かながら笑みをたたえた。
襖を閉めて、お嬢様と二人、部屋を出る。
私はこの方の心配を完全になくして差し上げられないかも知れないけど、それでも平和に暮らせる世の中になればいいな。
お嬢様の後ろを歩いていると、急に彼女が振り返って、何やら口を開いた。

「星様の昔いたところは、どんな場所だったのですか?」
「そうですね……少し寒くて、船で渡れるほど大きな湖がありました。それから……」

話をしつつ戻る途中で、後方から何やら言い争うような声が聞こえた。

「不死川様、お待ちくださいませ!どうかその箱を……」

箱?

嫌な予感がして振り向くと、すぐ横を走り去った傷だらけの男性と眼が合う。そしてその手には禰豆子さんの入った箱と刀が握られていた。

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