優しい止まり木のお話(改定)

そのBarは細い路地を奥へ奥へと入った突き当りの地下への階段を下りていくとある。
しかし、看板があるわけでなく、一見すると人を寄せ付けない厚い木の扉があるだけ。
明かりもなく薄暗い地下室への扉。扉を開けることが出来るのは限られた者のみだ。




鍵を差し込む音と開錠の軋み、重い扉を押して入ってきた客は、窮屈そうに背を丸めている。マントに包まれても分かる体躯は逞しい。軍靴の硬い足音が印象的な男だった。
「いらっしゃいませ」
その店内には既に客が一人いた。柘榴のシングルスーツを身にまとった優男がスツールに座り、足を伸ばしている。
「来ていたのか・・・」
マントを外してクロークに預けると、黒いスーツ姿の男はどかどかと足音を立てて、隣のスツールに腰を落ち着けた。歩くたびに右耳の下で束ねている髪の房がゆらゆらと揺れた。
「久しぶりだな。アザゼル」
「ああ、アスタロト」
お互いの名を呼び合った二人はカウンター越しのバーテンダーを見た。
「お二人は知り合いなんですか?」
興味のなさそうな笑みを浮かべたバーテンダー、奥村燐はアザゼルに一礼をする。
「まぁ、腐れ縁て奴か・・・」
アスタロトは忍び笑う。
「兄弟に向かって腐れ縁とは・・酷い言われようだな」
「ご兄弟・・・」
「見えないでしょう?」
燐の呟きを拾って、アスタロトが笑みを深くする。
「失礼致しました」
燐は短く謝罪して、シェイカーを振った。
程なくして、カクテルグラスに良く冷えた酒が注がれる。
「どうぞ、アザゼル様」
「まだ、頼んでいないが?」
「ええ、これはこのバー『ゲヘナ』からのプレゼントです」
アザゼルは、燐から出されたカクテルをしげしげと見つめる。
「ギブスン・・・か」
にやりと嗤う。
「マティーニというよりは、此方かと思いました」
「なかなかな目を持ってるな」
アザゼルは一息に飲みきって、もう一杯と強請る。
喉を焼く強いアルコール度に満足げに口元を歪めた。
「貴方は、カクテルの飲み方をきちんと覚えた方がいい」
アスタロトは礼儀のないアザゼルの態度に溜息をつく。
「それで、『地の王』の王子様ってのは此方さんかい?」
琥珀を思わせる黄色の瞳がバーテンダー姿の燐を見る。
燐は胡乱な目つきでアザゼルを見返す。
彼の予測は間違っていないはずだ。彼は礼儀を尽くすべき相手ではない、と。
「王子様かどうかは知らないけど、あんたらが言っているのがうちのアマイモンのことなら、そうかもしれないな」
「うちの・・・アマイモン・・・」
絶句している二人を尻目に空いたグラスを引き取って洗う。
繊細なガラス細工であるカクテルグラスは少しの力でも割れたり欠けたりする。
燐は力加減に細心の注意を払って、それらを洗う。
何故なら、それらのグラスは全てがメフィストの趣味で特注のバカラグラスだからだ。
一度割りそうになったときに、アマイモンが燐に告げた金額は彼を蒼白にするだけの威力があった。
「若君」
「・・・アスタロト。その呼び方、止めてくれないか?」
「いえいえ。若君、あなたは虚無界の神、サタン様の落胤」
「・・・ハァ」
アスタロトの頑なな答えに燐は溜息をついた。
「それで、あの人魚姫はその後どうしてるんだ?」
「・・・誰が、人魚姫だって?」
アザゼルの揶揄い口調に燐は眉を顰めた。
「『地の王』だよ。物質界に惚れた奴がいるからって、俺に対価払ってこっちに来ただろう」
「・・・あいつはどんな対価を払ったんだ?」
「八候王としての力、永遠の命」
「永遠の命?」
「八候王ともすれば、強大な力を有していて、ほぼ死なない。だが、不死を放棄すれば、いつでも死ねる。それでも人間よりは長生きかもしれないがな」
げらげらと嗤う。それが燐の癇に障る。なんだろう、この既視感は。
『ああ・・・、思い出した』実の父の哄笑に良く似ているのだ、この男の嗤いは。
「若君、申し訳ありません」
「なんで、お前が謝るんだ?アスタロト」
「氣の王の嗤いが気に触られたのでしょう?」
燐の口元が歪む。
「いや・・・」
一瞬、蒼い瞳が見開かれて、オロオロと歳相応の表情をした。
「・・・一々、そのようなことは気に致しませんよ、アスタロト様」
引き攣った笑顔の燐に『腐の王』は彼の視線の先を振り返る。
「・・・メフィスト・・フェレス・・・」
怨嗟を言葉に込めて呟く。
言霊を扱うのは『氣の王』、何故自分にその能力がないのかとアスタロトはアザゼルを睨みつけた。アザゼルは鋭い『腐の王』の視線に表情で疑問を投げかけた。
「おぅ、メフィスト。元気だったか?」
扉を背にいつもの白と明るい藤色の配色が奇抜なスーツとマント姿のメフィストが、ニヤニヤと笑いながら三人のやり取りを見ていた。
今の今まで気配がなかった。
空間を操ることに長けた男だ、アスタロトが振り向くタイミングで姿を現したのだろう。
だが、それでは、燐の態度が腑に落ちない。
「若君?」
「ようこそ、『氣の王』アザゼル。そして『腐の王』。そもそも、あなた方をここへご招待した覚えはないのですが?」
真紅の絨毯の上を踊るようなステップでカウンターまでやってくる。
「いらっしゃいませ、メフィスト様」
燐が一礼をする。
メフィストはいつものように含み笑って、燐のバーテン服をしげしげと見つめる。
「こんな面白い店、教えてくれない気だったのかよ」
「当たり前じゃないですか。まったく・・・。貴方達はどこでここの鍵を手に入れたのですか?」
アザゼルの言葉にメフィストは不満たらたらで訊く。
「親父から」
アスタロトは口を噤んだが、アザゼルがバカ正直に答えた。
「・・・父上が、ここを知っていると?」
メフィストの間の抜けた顔があまりにも滑稽で燐はどうにか表情筋を固めてやり過ごしたが、心の中では転げまわって爆笑したい気持ちで溢れていた。
しかし、魔神がこの場所を知っているのは、ちょっと不味いとおバカの燐でも理解できる。
「ああ、面白そうだから、見て来いってよ」
『腐の王』は溜息をつく。
「アザゼル、少し黙っていてくれないか?」
「なんだよ、久しぶりに会った兄弟との会話を楽しんじゃいけねぇのかよ」
「『氣の王』アザゼル」
有無を言わせない語気で紅い瞳が妖しく輝く。アザゼルは不満そうではあるが唇を尖られるも、『黙っています』とジェスチャーでアスタロトに伝える。
「貴方も父上から鍵を頂いたと?『腐の王』」
「放蕩息子に答える謂れはない」
「ここは、私の店です」
「・・・私は客だが?」
「今すぐ、お引取り頂いても、一向に構いませんよ?『腐の王』」
いつまでも冷戦が続きそうなので、アザゼルが燐に目配せする。
『二人に声をかけて、お前がこの場を収めろ』と。
燐も延々と続きそうな舌戦に辟易して、アスタロトの前に調度出来上がったドライマティーニを、メフィストにフローズンブルーマルガリータを出す。
「メフィスト様、お座り下さい。ここは楽しくお酒を味わっていただく場です。まずはこちらをどうぞ」
ここに来て必ず一杯目に頼んでくる蒼いカクテルを、メフィストの前に置く。
メフィストはフローズンやトロピカルなカクテルを好む。基本は甘めで。しかし、ドライを好むこともあるので、表情からその日の気分を割り出すのがかなり大変。
アスタロトとは犬猿の仲らしいことが、今日初めて知った情報だ。
燐はにっこりと笑った。営業スマイルという奴だ。
ここに弟の雪男がいたら、『ああ、兄さん、大人になって・・・』と涙を流していることだろう。しかし、ここには、悪魔しかいない。
「奥村君に免じてここはこれ以上追求しないでおきましょう」
『後でじっくりとお聞きしたいですね』心話で低く唸るメフィストに、アスタロトは『貴方にお話しすることなど一切ありませんよ』と応える。
紅と碧の瞳が火花を散らして絡む。
燐は悪魔って口数が少ないよな。メフィストはそうでもないが、アザゼルは先程から一言も口を利いていない。それは、アスタロトに黙ってろと言われたからだが、その力関係は燐の知るところではない。
「奥村君、このバツゲームは今日で終いにします」
メフィストと燐は賭けをした。一週間、魔神の焔を使わずに過ごす、と。
しかし、燐は期限の最後の日、力を行使してしまった。
バツゲームの内容はメフィストの気が済むまで、バーテンダーとしてカクテルを饗すること。この気の済むまでというのがネックだったが、賭けに負けた自覚のある燐には反論できなかった。メフィストがさせなかったのだが・・・。
『メフィスト、貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁ』アスタロトの呪詛は心話のため、燐には聞こえない。メフィストとしても自分ひとりで楽しむためだったのに、こんな招かれざる客がぞろぞろ来る状態では、燐にあーんなことやこーんなことなど出来やしない。
それどころか、魔神が来店するかもしれない可能性を考えたら、このお遊びはここまでとするべきだろう。
「引き際が肝心ですからね。仕方ありません」
「じゃ、アマイモンとも逢っていいんだな?」
「奥村君は、そんなにアマイモンに逢いたいんですか?」
「そりゃあ、まぁ・・・な」
「お、メフィスト、あいつは元気か?」
アザゼルが尋ねてくる。尋ねてから『やべっ』とアスタロトの剣呑な視線に青くなる。
「アザゼル、あなた、そう言えば・・・うちの弟に何してくれてるんです?」
「あいつが望んだことだぜ。それにしても、こっちに来て早々に見つかったのか、あいつ」
「当たり前でしょう」
八候王の力返上しても、『地の王』の能力が中級以下になるわけないのは分かりそうなものだ。アザゼルがニヤニヤと笑っているところを見ると、知っていてアマイモンに教えなかったようだ。
「あいつだから、分かったんだろう?お兄ちゃん」
「『氣の王』貴方、今は父上の性格を写しているんですね。父上はご存知なのですか?」
「知っているよ、むしろ、俺のこの目を通して、今、この場の話しも聞いてるはずだ」
無表情な琥珀の瞳の瞳孔が開ききっている。
「・・ま・・・さ・・・か・・・」
「その、まさか・・、ですね」
メフィストとしても予想外で、アスタロトとしても非常に不服な状況が出来上がりつつあった。
「メフィスト?・・アスタロト?」
「若君、このまま、ここに留まっておられると、虚無界にご招待されてしまいますよ」
『私として願ったり、叶ったりですか。よろしいのですか?』とアスタロトが静かに尋ねてくる。
巨大なプレッシャーを感じながら燐はアザゼルの琥珀を思わせる瞳に縫い止められる。
『よう、末息子。息災か?』
金を思わせる黄色の瞳の奥に蒼い炎と紅い虹彩が見えた。
「青焔魔・・・」
燐が反射的に悪魔としての本性を顕にする。呆然と立ち尽くす燐の身体を青い焔が包む。
「奥村君?!」
「若君!!」
メフィストとアスタロトの声が遠く感じる。身体中を舐めるように炙る焔が燐の理性を食い破る寸前に、ふと身体を縛り付けていた視線が失せた。
アマイモンがアザゼルの眼を両手で塞いでいた。
「これは、アレの意趣返しか?」
アザゼルが静かに尋ねた。
「アマイモン、お前、手が・・・。手、早く手当てするからこっちへ」
アザゼルの眼を塞いでいるアマイモンの手がジュウジュウと焼け爛れている。
燐が慌てて救急箱を出すのに、無言でにっこりと笑う。
「お前は、嫉妬深い舅のいる王子様がいいのか?」
『燐がいいんです』
心話でアマイモンが『氣の王』に話かける。
「アマイモン、いいから、手、離せ」
燐はカウンターを潜ってアマイモンの手を外させようとするが、『地の王』は首を横に振る。
「馬鹿。お前は俺のもんだろうが。勝手に怪我するな。手が焼け堕ちる」
涙目になりながら、燐が半狂乱で叫ぶ。
「落ち着け、末弟。親父なら、もう、いない」
アザゼルが眼を塞ぐアマイモンの腕を叩く。
「アマイモン、お前も手を離せ。ゆっくりだぞ。そっと、外せ」
言われたとおり、ゆっくりと手を外す。その間も炭化した両手がみしみしと音を立てる。
燐はハラハラとその様子を見守っていた。
「メフィスト、アスタロト。お前ら、子供みたいな喧嘩して弟に世話をかけてんじゃねぇよ」
黄色い瞳が胡乱な視線で二人の大悪魔を言葉で縛る。そして、二人にだけ心話で話しかける。
『俺もこの末弟が気に入った。しばらく、見物させてもらうぜ』
また、厄介なのが増えた・・・と二人の大悪魔が心のうちで溜息をつく。
それでも、父である青焔魔が来るよりはましと、自分を納得させる。
「あー、お前、名前、なんてぇの?」
アザゼルがアマイモンの怪我の具合を見ている燐に話しかけた。
「奥村燐だ」
「燐、ちょっと手、貸しな」
隣に立っているアマイモンが不機嫌にアザゼルを睨んだ。
『ちょっと借りるだけだろう、ちっちぇな『地の王』』
『うるさいです。『氣の王』』
言われるままに手を出した燐の指先を鋭い黒爪で傷つける。
「っつう・・・」「!」×3
「落ち着け、兄弟達。言霊による呪詛は、縛たる願いの成就にて完了する」
指先にたまった血の玉をアマイモンに舐めさせる。
「魔法みたいだ・・」
燐が薄く緑色に発光している『地の王』を見つめる。
燐にも理解できた。アマイモンの力が戻ったことが。
「・・・きれいだ・・」
「さて、今夜は面白い余興だった」
アザゼルが立ち上がった。クロークからマントを引き取ると、さっさと帰っていく。
「ありがとうございました」
燐が会釈すると、弾かれたようにアザゼルは振り返り、嫌味たらしい笑みを浮かべた。
「また、な」
それを機にその場をお開きとする。
「美味しいところをアマイモンとアザゼルに持っていかれましたか・・・」
メフィストは不満げに溜息をつく。マルガリータを飲み干す。
「気に入りの店を一つ失うのは、非常に残念ですが、仕方ありませんか」
アスタロトも立ち上がった。
「若君、それでは、また、明日」
深々と頭を垂れ、姿勢良く歩き去っていく。
「おう、明日な。でも、それは、お前じゃなくて白鳥だからな」
にっかり笑いながら燐がその背に答える。アスタロトは目を閉じて、口元だけで笑う。勿論、背にしている燐には分かりようもない。
「そうでしたね。では」
「さて、それではこの空間をそろそろ閉じますよ」
メフィストがアマイモンをちらりと見、燐に告げる。
「結構、楽しかった。ありがとうな、メフィスト」
「仕方ありません。ここは気に入っていたのですが、父上に知られてしまったのでは、何時、奥村君を連れ去られるかと気が気ではありませんし・・・」
本当に残念だと嘆きながら、燐とアマイモンを急かす。
「二人とも、先に出ていてください」
グラスを洗い綺麗に水滴を拭き取る。棚に整然と並べて、酒の壜を元の位置に戻す。
「メフィスト、冷蔵庫の中の果物とかはどうすんだ?」
「ご心配なく。我が屋敷の冷蔵庫に移しておきます」
「了解。・・・今度は、屋敷で作ってやるよ、ソルティドックとか、簡単なのならな」
シェイカーとメジャーカップ、バースプーンがあればたいていのカクテルは出来るから。などと嬉しいことを言われて、メフィストはころりと上機嫌になる。
「では。・・・アインス、ツヴァイ、ドライ☆」
店の照明が一斉に消える。扉を開いて店の中を振り返る。
「ああ、管理人に言われていたのでした。アザゼルの顔を見てうっかり忘れていました。20000Hit、ありがとうございます」
パタンと扉が閉じる。
扉が閉じるとともに、その店そのものが消失する。空間全てが閉じられた。


2011/07/18 海の日


コメント:
ぎゅぎゅっと色々詰め込んでみました。虚無界悪魔どものバトロイです。主にアスタロトとメフィストの喧嘩ですが、あの二人の舌戦は書いていると管理人は飽きないのですが、話が進まなくなるのでかなり割愛しました。そして、人魚姫アマイモンの結末もここに。とりあえず、『地の王』復活で良かった、良かった。
アザゼルはそのうち、また遊びに来ます。雰囲気しか表現していないので、悪魔の辞典にでも後刻記載を入れときますね。>>>・・・職能は淫奔が良かったろうか・・(笑)

[ 22/48 ]

[*prev] [next#]
[top]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -