落胤の心臓

理事長室に飛び込んできた奥村雪男は、仕事机に向かっていたメフィストフェレスに駆け寄った。
「なんですか、慌しいですね。奥村先生」
「フェレス卿。兄が・・・いなくなりました」
「は?」
「奥村燐が、消えました」
メフィストの顔から笑みが消えた。
「冗談・・・というわけではないようですね」
「こんなことを冗談で報告に来たりしませんよ」
「勿論、それは理解しています」
メフィストが指を鳴らす。
雪男ははっと振り向きながら腰の銃に手を当てる。
「私の使い魔です。蜂の巣にするのはご容赦いただきたい」
気配すら感じさせなかったメフィストの使い魔が、恭しく頭をたれる。
「残念なお知らせでございます」
「前置きはいい、手短に話せ」
「それでは。端的に申し上げます。若君の心臓が暴かれました」
メフィストの眉がピクリと動いた。
「・・・分かった。もういい。下がれ」
「フェレス卿・・・。若君って兄のことですよね?心臓が暴かれたというのは・・・」
使い魔が深々とお辞儀をしながら霧散するのを待たずに、雪男が噛み付く。
「奥村先生。申し訳ありませんが、少々お時間をいただけますか?」
額を押さえて苦痛に顔を歪めるメフィストに、じりじりとした焦燥を感じる。
雪男は喉が干上がり、言葉を発するのが出来なかった。



先程から、ざわざわと身の内が焦がされている。
奥村燐の力の核として取り出して封印をした心臓が暴かれた。
メフィストフェレスの封印を破り、その心臓を取り出した者、それが誰であるのか。
メフィストはじっとり汗を掻いている自分に苦笑する。
「最悪のシナリオだな」
メフィストは懐から携帯を取り出した。
コール一つで相手は出た。
「はい、なんですか?兄上」
「ゲヘナはどうだ?」
「歓喜に満ちてますよ。そこでも充分聞こえているんじゃないですか?兄上」
電話口から聞こえるノイズ。その全てが悪魔達の歓喜、いや父、サタンの歓喜であることは疑いようがない。
「こんな辺境からも見えますよ、父上の居城がとても綺麗な蒼に染まっているのが」
「・・・そうか・・」
「兄上」
「なんだ?」
「奥村燐、・・・ですよね」
「そうだ・・・われらが末の弟が、父上の手に落ちた」
自分の声が震えているのが滑稽にすら思えた。歪んだ笑いの衝動が喉の奥を震わせる。
アマイモンの溜息が聞こえた。
「兄上、取り返してみますか?」
「なにを・・言い出すんだ、お前は」
「無駄骨になるかもしれませんが・・・恐らくは無駄死にしそうですが、それでも、僕は・・・」
「やめておけ。もう、何をしても無駄だろう」
ふと、燐の笑顔が脳裏をよぎった。それを取り戻すことは永遠に出来ないのだろうか。
「兄上は諦めが良すぎます。奥村燐の弟なら、そうは言わないでしょう?勿論、奥村燐もそして、彼の仲間達も」
「・・・アマイモン、お前、人間に毒されたか?」
「どうでしょう。ただ、あの『奥村燐』が居なくなるのは、我慢が出来ないだけです」
「ぷくくく。放蕩者として遊び呆けていた私だが、たまには腰をすえて反抗してみるか。アマイモン、お前、先走るなよ。私の指示を待て、いいな?」
「分かりました。連絡を待ってます。あと、『腐の王』『氣の王』にも声を掛けておきます」
「アスタロトとアザゼルに?」
「あの二人も奥村燐のことを気に入ってましたから」
「それは初耳だが?」
「あれ?報告していませんでしたか?失礼しました」
「・・・アマイモン・・・」
唸るように呟くと、楽しげな弟の声にそれ以上なにも言えなくなる。
「いつもの調子が戻ってきたようですね。それでは、また。ご連絡、待ってます」
ぷつん。
携帯から不通の音が響く。どっと疲労感が押し寄せてきて、背凭れに身体を預ける。
虚無界の絶対神、魔神サタン。
父に逆らうなど、愚の骨頂。
あの破天荒な暴君の支配を逃れるために物質界へと来たというのに。
「手に手を取って逃避行・・というわけにも行かないか・・・」

メフィスト・フェレスはもう一度携帯を取り上げる。
「奥村先生。今、宜しいですか?はい。まずは・・・奥村君の身体を捜してください」
『なんですって??』
「失礼しました。あまりに説明を端折り過ぎましたね。今、奥村君の魂は虚無界にあります。ゲヘナゲートを通しておりませんので、彼の身体はまだこの物質界に秘匿されているはずです。まずはそれを見付けてください」
『兄が虚無界に??・・・分かりました。詳細は後ほど伺いに行きます。どのようなところを探せばいいのか、指示をいただけますか?』
「理解が早くて助かります。まずは通学路、そして、祓魔塾。此方も使い魔を駆使して近隣の森林や廃墟などを捜索します」
『講師の方々や候補生達には?』
「知らせます。ないがしろにすると、後が大変でしょう?」
『分かりました。候補生達には僕の方から声をかけます』
「講師の方々には、此方から連絡します」
『本部への報告は?』
「勿論、私の方から致しますよ。奥村先生。あの聖騎士が動くと思います、覚悟して置いてくださいね」
『・・・兄は僕が守ります』
「よろしくお願いします」
メフィストは奥村兄弟の絆の強さに掛けてみようか、と考えて首を否定的に振った。
魔神の前に人間の繋がりなど髪一筋ほどの強さありはすまい。
絶望に打ちひしがれながら足掻く。それはいつも自分が見下ろしてきた人間達の有様だ。
それを自分が大舞台で演じることになろうとは・・・。
「うまく立ち回って見せる」
唸るように呟く。メフィストの元からあまりよくない顔色は蒼白、唇すらも蒼い。
それは久しく感じたことのない恐怖。喪失感。絶望。
悪魔に似つかわしくないその心の有様に、乾いた笑いが湧いた。
空は残酷なほどに高く澄んでいた。
どこまでも見渡せるような蒼が、悲劇の幕開けを彩る。

2011/06/16

コメント:
ぬぬぅ。書き始めたら止まらなくなっちゃったよ。これは落とし処を悲劇にするかハピエンにするかで悩むところ。ちょっと続きます。なんでもっと短い話がかけないんだろうか・・・。反省、反省。

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