破印と悪魔と救済と

奥村燐を見かけたのは偶然だった。
学園の中庭で友人らしき男子生徒と笑い合っていた。
中学の頃よりも表情が柔らかくなった気がした。
なんだろう・・・。
白鳥の胸の裡にジワリと黒い一滴が広がった。
胸の辺りがジワリと熱を持った。
それから、奥村燐を見かけるたびにジワジワと熱が広がる。
心の奥を暴かれるような、気分の高揚がある。
神社で盗み見ていたときよりも明確に、白鳥は奥村燐に興味を・・・いやもっと強い思いを持った。



「奥村」
呼ばれて振り返ると、何処かで見たような顔があった。
何処であっただろうか?燐は記憶を辿る。
「訊きたいことがあるんだけど、ちょっと顔貸してくれないかな?」
・・・なんか、中学のころ良く聞いたフレーズだ。
それにしてもこの顔・・・何処かで・・・?
「あ・・・、あの時の」
鳩殺しと言おうとして止めた。あれは悪魔に憑依されていたのだから、彼本人の意志でなかった筈。
それに、いまの彼には魍魎が集っていない・・・は・・ず?
「なんで?」
「はぁ?」
燐は驚愕に眼を剥く。
白鳥の周囲に集る異常な数の魍魎に。しかし、彼自身の周囲を取り巻いているが、本人には近付けない様だ。
「お前・・・」
「来るのか来ないのか、はっきりしろよ」
相手がイラついているのが分かる。その感情の起伏に魍魎どもがざわめくのも。
「わかった。行くよ」
白鳥が先導して校舎の裏に連れて行かれる。
「それで、なんの用だよ」
「俺は白鳥。白鳥零二ってんだ」
「おう、よろしく」
自然と右手を差し出す。白鳥は何が気に入らないのか、片眉を上げて嗤う。
「はぁ?何考えてんだ、奥村」
「いや、自己紹介されたら、とりあえず、握手じゃね?」
「ホント、やり難いなぁ、てめぇはよ。お前に聞きたいことは、この春のことなんだけどな」
『春』という単語に燐が硬直する。あの春休みのことは、忘れることなど出来ない。
その時、燐は養父を犠牲にし、悪魔として覚醒し、祓魔師になると決めた。
「おい・・、奥村ぁ?」
白鳥が燐の肩に手を置いた。
その時、電流が走ったような痺れと、何かが破壊される音がした。
空がにわかに掻き曇り、今にも雨が降りそうだ。周囲は暗く昼とは思えないほどの視界に、燐は周囲を見る。
相変わらず、白鳥の周りには魍魎が集っている。いや、魍魎は周囲ではなく、白鳥に入り込み、出てきてはまた潜っている。
あの時、『腐の王』アスタロトを祓魔したとき、藤本神父はなんと言った。
「聖水で体中を清めてから、テトラモルフの印を刻め」
つい最近印章術の授業であれについて教わっていたはずだ。『テトラモルフの印』。
獅子、牡牛、鷲、竜の四元天使のシンボルを刻んだ聖刻。
「聖刻ってことは・・・俺が触ったら、やばかったのか?」
しえみの家でも鉄柵壊したし・・・。
聖刻を無効化された白鳥は、その衝撃にしゃがみこんだ。
「おい、白鳥?大丈夫か?」
魍魎が一斉に白鳥に集り始める。メキメキと身体が作り変えられていく音がした。
「ま・・・さか」
燐が一歩引くと、白鳥が一歩迫る。
二重に巻いた両側の角、長い悪魔の尻尾、犬歯が目立つ口で嗤う。
「・・・ふふふ。やはりこの身体が一番馴染む」
「その声は・・・」
白鳥は真っ直ぐに燐を見て、恭しくお辞儀をした。
「お久しぶりでございます、若君」
「やっぱり・・・」
悪魔、アスタロトはにんまりと嗤った。
「あなた様のおかげであの忌々しい印より開放されました。馴染みのよい身体だったので、あれからも狙っていたのですが、なかなか破印の機会がございませんで」
『ジジィ、ごめん。せっかく、憑依されないように刻んでもらった印を俺が壊したらしい・・・』ふと、祓魔屋の庭の出来事を思い出す。しえみに『悪魔』と怯えられた。
「けど、今回のは俺のせいなのか?」
勝手に相手が燐の肩をたたいた。燐に接触してきた。
「ふかひれスープだよな」
いや、精確には不可抗力だ。なんとなく音が一緒でも、それはあまりに違いすぎる。
「さて、若君。それでは、参りましょうか」
「あー、やっぱりそう来るか・・・」
アスタロトに憑依された白鳥が訝しげに燐を見る。
「ともに虚無界に参りましょう?ここはあなたのいるべき場所ではありませんよ」
なんだろう、前に会った時より角が取れたような・・・。
アスタロトの禍々しい印象が変わったように思えて、燐は白鳥の目を覗き込む。
「若君?」
「なぁ、アスタロト。白鳥はまだいるのか?お前の中に」
「・・・居りますが?それが・・何か・・・」
「白鳥・・・お前、どうしたいんだ?」
アスタロトを無視して燐は白鳥に尋ねた。
その声は確かに白鳥に届いていた。
突然、自分の制御が出来なくなって、小さな小部屋に閉じ込められたようになった。真っ暗で自分と自分以外の境界がはっきりしている。ぐんと自分が小さくなったような・・、身体と自分という精神の間にもう一つ自由を奪う分厚い膜が入り込んだ感じだ。
「このまま、悪魔に乗っ取られて、そのまんまでいいのか?」
『悪魔に乗っ取られる』・・・燐の言葉で、春休みの間の記憶が喚起された。
いつもよりも酷いことをしていた。動物を殺したり、人を傷つけたり。薬に手を出したり。白鳥は自分が自分でないときにやっていた事に恐怖した。
アーチェリーで鳩を殺した。
公園の鴨に矢を打ち込んだ。
肩が触れただけの相手を半殺しにした。
腹を何度も蹴って相手が血を吐いても止めなかった。
女を犯した。悪友達と笑いながら輪姦した。嵌め撮りをして脅した。
盛り場にいったとき悪友の紹介でクスリをやった。
ハイになって乱交パーティに入り浸っていた。女とも、男ともヤッた。
快楽に溺れていた。
『コロシタイ』『コワシタイ』『オカシタイ』『カイラクヲ・・・』
悪友達ですら怖いといって震えていた、己の所業・・・。
白鳥もまた身体の震えが止まらなかった。怖かった。沈んでいた記憶の罪深さに。
自分の生に絶望する。
「白鳥。しっかりしろよ。そのまま、消える気か?お前」
「お・・くむら・・」
燐はじっと白鳥の虚ろな瞳を見ていた。
「どうしたいんだ?お前は」
「・お・・れは・・・」
蒼い瞳に映る自分の姿を見た気がした。まだ視力は自分の物ではないのに。
先程までの隔絶された部屋の中、未だ自由は利かないのに燐の声ははっきりと聞こえる。
「・・消えたくない」
病院で目覚めたとき、父も母も自分の無事を喜んでくれた。
初めて親の愛情を感じた。自分はまだ愛されていた。あの時の歓喜を忘れたくはなかった。
「生きて・・・いたい」
白鳥の目から一筋の涙が流れた。
「・・・だとよ。悪りぃな、アスタロト。こいつの身体は返してもらう」
燐がにやりと笑った。
白鳥=アスタロトの顔が困惑に曇る。
「貴方の我が侭にいつまでも付き合ってはいられませんよ。私も他の兄弟達も」
「我が侭じゃねぇーよ。勝手に決め付けんな。俺の居場所は俺が決める」
「仕方ありませんね。今回は、このまま・・・といたしましょう」
落胆を隠さずにアスタロトは一つ溜息を吐く。駆け引きとして、ここでこの身体を失ってまで、燐を虚無界へと連れて行くのはリスクが高すぎる。
まして、ここはメフィスト・フェレスの結界の中だ。
これからいくらでも機会はある。それまで、この身体は・・・手放せない。
ふと、身体が軽くなったと白鳥が感じると同時に、全ての感覚がクリアになった。
倒れそうになった自分を燐が抱きとめてくれる。
「・・白鳥・・・だよな?」
白鳥が燐の腕を強く掴む。
「奥村・・お前・・・何者だ?」
苦痛に顔を歪めながら白鳥が声を捻り出す。
「あー、まぁ」
明後日の方向に視線を向けながら、後ろ頭をぽりぽりと掻く。
「・・・ふん、どうでもいいか。そんなこと」
燐の胸を突いて距離をとる。
「おい、奥村。俺は白鳥零二。正十字西中卒業。西中の狂犬と呼ばれた男だ」
「お・・・おぅ」
白鳥が右手を差し出す。燐は戸惑いながら、その掌と白鳥の顔を見比べる。
「自己紹介したら、とりあえず握手なんだろう?よろしくな、これから」
燐の顔がぱっと輝いた。
「よろしくな、白鳥」
白鳥の周囲にいた魍魎どもはなりを潜めた。
アスタロトは憑依を解いた。しかし、繋がりを切ったわけではなかった。
虎視眈々と燐が気を赦し、油断するそのときを見定めるために。


2011/06/16

コメント:
燐に舎弟が出来ましたww書きたかったのはどこかといえば、テトラモルフの印を刻まれたはずの白鳥君は正十字学園に通っていたら、絶対にいつかは会うこともあるだろう。
そして、ふかひれ・・じゃなくて不可抗力で接触したら、印が破られてアスタロトがまた憑依するんじゃね?とか考えたら、もう書きたくて書きたくて。また、白鳥は何処かに登場するかも。

[ 32/48 ]

[*prev] [next#]
[top]



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -