二度とキスはしない

彼方から強く身体を引かれる。
なんだろう。
燐は強く強く足元から下へと引かれて覚醒した。
何処までも蒼い空、太陽、ぼんやりとした月。
「こ・・こは・・」
ぼんやりと周囲を見回すと、眼下に雲海がある。
まるで標高の高い山の山頂から見たような景色だ。
「って、俺。浮いてる!?」
燐はぽっかりと空に浮いていた。
少しずつ下へ下へと引き寄せられているように思う。
とりあえず、空に浮いているという状況を飲み込んで、何故こんなことになったのか考えた。
唐突に燐は思い出した。フラッシュバックするように脳裏に情景が浮かぶ。
雪男に撃たれた。
連射されて胸にも腹にも無数の痛みが走った。対悪魔用の銃弾だから、勿論、燐にも有効だ。
「雪男!あいつ、どう・・・」
辺りに悪魔はいなかったと思う。あんなに隙だらけで銃も投げ出した状態で中級以上の悪魔にでも出くわしたらと雪男の身を案じた。
最期に見た弟の泣き出しそうな顔が燐を急かす。
燐を殺した雪男の次の行動は恐らく・・・。
戻らなくてはと強く思った。思ったとたんに足首を掴まれて引かれるように落ちていく。
「うわっ、はえぇよ・・・。空なんか飛んだことねぇんだぞ、こっちは」
見えない力に文句を言いつつ、ぐんぐんと近付いてくる地上を見据えた。
雲海を潜り抜けた頃には、見慣れた魍魎(コールタール)が辺りをふよふよと漂っていた。
何か不思議な物でも見るように燐を中心に渦を巻く。
視界が魍魎で塞がれて真っ暗になる。
「おや、そこにおいでは若君ではございませんか?」
魍魎の中から顔を出したのは羊のような角を持った悪魔、アスタロトだった。
「! おまえ、養父に祓われたんじゃないのかよ」
「・・ああ、あの忌々しいエクソシストに、確かに祓われましたよ」
燐の言葉に苦りきった表情で肯定する。
「じゃ、なんで・・・」
「若君は誤解をしておいでのようだ。エクソシストどもが我々を祓うというのは、この物質界での憑依を解くと言うことでこざいます、若君」
「憑依を解く?」
「物質界への影響力を剥奪される、つまり干渉できなくなると言うことです」
「ってことは・・・」
「ご理解できましたか?そうです、悪魔は物質界に見えないがそこここに居ります。そして、虎視眈々と憑依できる依り代を探しているのです」
したり顔で頷くアスタロトに燐が食って掛かる。
「それじゃあ、・・俺は・・・」
「それこそが全きあなた様のお姿でございましょう、若君」
物質界での身体を失った自分。つまり、今のこの状態は悪魔としての奥村燐。
「アスタロト、ひとつ、聞きたい」
「何です?若君」
「てめぇ、まだ、あの・・・白鳥とかって奴を狙ってんのか?」
「残念ながら。あの身体は馴染みが良くて気に入っていたのですが、聖印を刻まれてしまいましたので使えません」
「そっか。やっぱり憑依するには馴染みがよくないとダメってことだな」
「若君?」
燐が自分の思考に嵌り込んでしまったので、アスタロトは魍魎の間から身体を全て表し、燐を抱える。
「うわっ、な、な、な・・・なんだ?」
「ここでお会いできたのもご縁というもの。このまま虚無界へ参りましょう。お父上もお待ちのはずでございます」
「いや、あいつは・・・待ってなんかいねぇよ」
物質界の身体を失った燐に虚無界の神が興味を持つはずはない。
「それよりも、俺、急いでんだ。色々、ありがとうな、アスタロト」
「滅相もない。ですが、若君。どちらに行かれるのですか?」
「弟のところだよ」
辺りを包んでいた魍魎が霧散した。周囲を見回すと、あの森の上空だった。
「承服しかねますが、あなた様のご意向に背くことは出来ませんので・・・」
うっすらとした、アスタロトが恭しくお辞儀をして掻き消えた。
「さんきゅ、助かった」


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燐一人では雪男のところにたどり着けなかったかもしれない。
目を閉じて気配を窺う。弟の気配を。
「見つけた・・・」
そう口に出した瞬間、ぐいっと引っ張られる感覚とともに周囲の景色が歪んだ。
次の瞬間には、あの場に燐は立っていた。
倒れ伏した自分の身体、蹲っている声を殺して泣いている弟。
『雪男・・・、ごめんな。お前のこと、俺、ちっとも分かってなかったよ』
燐を呼びながら謝る弟の姿に、眉を寄せて立ち尽くす。
ゆっくりと雪男の手が何かを探すように地を這う。
『今更だけどな』
自嘲の笑みを浮かべながら、雪男の傍らにしゃがみこむ。
『お前が死ぬことはない。でも、俺が居ないことが辛いなら・・・』
雪男の指が銃把に触れるのと、燐が彼に呼びかけるのとはほぼ同時だった。
「俺はお前とともに居るよ」
それは雪男の口からこぼれ出た言葉。だが、雪男の言葉ではない。
雪男の中に宿る、他の意識が彼の喉を使った言葉。
「だから、お前が死ぬことはない。そして、俺が居なくなることもない」
『・・兄さ・・ん?兄さん、な・・の?』
「ああ、お前に憑依している」
雪男はそっと胸に触れる。
「間に合ってよかった。お前に死なれたら、繋ぎ止められなかった・・・」
安堵の息を吐く。燐の精神に触れる。
目の前にある遺体の冷たさとは真逆の暖かさに震える。
雪男は自分の身体を掻き抱いた。
「泣きべそかいてる暇じゃねぇぞ。まずは、メフィストとっ捕まえて、フォロー入れてもらはねぇと、やべぇ」
『大丈夫。もうすぐ、ここに来るよ』
「そうか・・・そういう段取りは、さすが俺の弟だ」
『じゃ、俺は少しの間お前の中で眠っとく』
燐の意識が薄らいだ途端に、自分の身体のコントロールが雪男に戻った。
「兄さん!?」
燐の意識を探ると、確かに自分の中にある確信があった。
悪魔の燐に憑依される自分。いや、燐は雪男のために戻ってきたのだ。
悪魔となったのならば、そのまま虚無界へ赴き、サタンを斃すことも可能だったはずだ。物質界の肉体に縛られていた潜在能力は悪魔となったことで開放される。
『俺は面倒な説明は苦手なんだよ、知ってるだろ?雪男』
「うん、そうだね」
『じゃあ、あとはよろしくな』
「分かったよ、兄さん」
人間としての兄の死を前に、二度と離れることのない憑依体の兄。
酷く理不尽な充足感に苛まれつつ、近付く祓魔師達の足音を聞いていた。



2011/05/30

コメント:
『はじめてのキス』の雪男を救済してみました。触れることは出来なくても、自分の中には兄が居る。・・・これが地獄と気付くのは兄が先か、弟が先か。
本当は拍手散文にしようと思ったのですが、あまりに救いのないシリアスになったのでこちらに置きます。

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